勝財務省が東証「斉藤おろし」画策

FACTA 2011年9月号 連載 [監査役 最後の一線 第5回]
8月20日頃に配本された記事ですが、編集部のご厚意で資料として再掲させていただきます。
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財務省は8月2日付で中尾武彦国際局長を財務官に昇格させるなど、幹部人事を発令した。東日本大震災後に閣僚懇談会で幹部人事の凍結を申し合わせており、異動は小幅に留まったが、かねてから省内外で「10年にひとりの大物官僚」と言われてきた勝栄二郎事務次官も留任した。次官を2年以上務めることが「大物次官」の条件とされており、勝氏もこれに加わることとなった。

財務省の前身である大蔵省の事務次官が1年で交代するようになった1967年以降、2年の任期を勤め上げた次官OBは8人いる。そのうち、澄田智氏と松下康雄氏は日本銀行総裁、竹内道雄氏と山口光秀氏は東京証券取引所理事長に就いた。日銀総裁が間接金融のドンなら、東証のトップは直接金融のドンであり、それこそが大物次官にふさわしいポストとみなされてきたわけである。

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そんななかで、日銀総裁の正式候補になりながら、当時の野党民主党の反対で苦杯をなめた武藤敏郎氏(大和総研理事長)の処遇に財務省の現役幹部は躍起になっている。すでに68歳の武藤氏を長く待たせるわけにはいかない。日銀がダメならと、東証に白羽の矢が立った。

財務省は年明けから本格的に動き始めていた。東日本大震災が起きる前、こんなことがあった。

東証の斉藤惇社長のもとへ大手新聞の記者がやってきて、「東証社長に武藤氏、斉藤氏は会長に」という原稿を見せ、近く新聞に載せると通告したという。斉藤氏が「こんなデタラメを誰が言っているんだ」と怒ると、件の記者は「弊社の社長が財務省の幹部から直接聞いたので間違いない」と明かしたらしい。役所が記者にいわゆる新聞辞令を書かせ、外堀を埋めるケースは時折あるが、新聞社の幹部まで“共犯”とは珍しい。

また、財務省の大幹部が野村ホールディングスの社長に、斉藤氏に引導を渡すよう依頼したという話も、斉藤氏の耳に入ってきた。斉藤氏は野村証券で副社長まで務めたが、東証株式会社化の際に社長になったのは“野村枠”ではなかった。

斉藤氏はすでに71歳。2007年の社長就任から丸4年になる今年は、交代を考えてもいいタイミングではあった。ところが、役所が陰に陽に動いていると知って、斉藤氏は態度を硬化させる。周囲に「今年は絶対に辞めない」と公言し始めたのだ。結局、大震災が起きてこの人事話は立ち消えとなった。

だが、財務省は諦めていない。来年に向けた地ならしを始めている。

東証は株式会社化した際に、上場審査などのルール作りや規制を行う「自主規制法人」を持ち株会社の傘下に置いた。そこに東証社長とは別に理事長職を置き、財務次官OBの林正和氏を迎えている。

林氏は証券畑の経験がほとんどなく、典型的な天下り。当時、安倍晋三内閣の官房長官だった塩崎恭久氏が、天下りは認めない内閣の方針に反するとして強く反対したが、西室泰三会長(当時)が強行した。財務省の看板審議会である財政制度等審議会の会長を務めていた西室氏は、かねて財務省と昵懇で、林理事長誕生に力を貸したという見方が専らだ。

その林氏も就任から4年を過ぎているが、財務省が武藤氏のために狙っているのはその後任ではない。林氏は武藤氏の後に次官になった後輩で、順序が逆になる。まして理事長職は東証社長よりも格下で、大物次官には不釣り合いということのようだ。何としても東証のトップである社長ポストを奪還したいのだ。

大物次官OBの処遇にとことんこだわる構図は、斎藤次郎氏のケースが典型だろう。小沢一郎氏と近く、非自民の細川護煕連立内閣が「国民福祉税」構想をぶち上げた時の大蔵事務次官だったため、その後、自民党が政権復帰を果たすと、不遇をかこっていた。09年の政権交代自民党に遠慮がなくなった途端、民主党天下り禁止方針にもかかわらず、日本郵政の社長に抜擢された。次官辞任から14年、斎藤氏は73歳になっていた。小沢氏の指示という見方もあるが、大物次官復権財務省幹部が動いたと見るのが正しいだろう。

今、東証大阪証券取引所との統合交渉を行っている。日本経済新聞が「東証大証、統合協議へ」と報じたのは大震災の前日、3月10日のことだった。財務省東証社長人事に触手を伸ばしていた時期と重なる。

民主党政府は成長戦略の一環として「総合取引所」構想の実現を掲げている。持ち株会社の下に証券、金融、工業品、穀物などの取引所をぶら下げて一本化しようという発想だ。経済産業省天下り先である東京工業品取引所や、農林水産省の次官OBが社長を務める東京穀物商品取引所を一度に統合するのは難しくとも、東証大証がまとまれば名実ともに日本の資本市場の総本山。そのトップの座を財務省が狙っても不思議ではない。大証の理事長も20年以上も大蔵省OBが務めていた時代がある。

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だが果たして、資本市場のトップに財務次官OBがふさわしいのか。

次官にまで上り詰める官僚はたいがい財務省内で主流の主計畑を歩む。国債発行などを扱う理財局を経験していればまだしも、市場が分かる官僚は省内には少ない。しかも証券行政が金融庁に分離されてから、財務省と証券市場の関係は大きく離れているのだ。また、霞が関の官僚はえてして、規制では制御できない「市場原理」を嫌うが、財務省官僚ほどその傾向が強い。そう考えると、資本市場の旗振り役に、大物次官OBはミスキャストと言える。

それ以上に、取引所ビジネスをめぐる環境の激変が、官僚出身の素人経営者では太刀打ち不可能になっている。国境を越えた統合で生き残りを図る世界の取引所との国際的な競争に打ち勝つには、トップ自らがデリバティブ金融派生商品)や取引システムに精通し、戦略を決定できる経営力が必要だが、数学に暗い東大法学部卒ではもう歯が立たない。

仮に経営方針を決める取締役会と、現場の事業を担当する執行役員会を分離したとしても、取締役にも相応の専門知識が不可欠になる。ましてやトップとなれば、飛行機で大陸間を移動しながら各取引所のトップと英語で戦略を語り合い、提携などを瞬時に決断できる力が必要だ。

専門外を歩んだ官僚が、基礎知識と人徳だけで乗り切ることができた時代はとうに終わっている。規制や監督権限を盾に天下りを押し込めるほど財務省の権威も力も大きくない。

東日本大震災の直後に急増した東証の売買代金は、その後どんどん細り、日本の証券市場は凍死寸前の様相だ。勝次官が大物を自任するなら、やるべきことは資本の総本山をまた財務省天下り先にするアナクロニズム(時代錯誤)ではないはずだ。