津波で全壊した宮城・閖上名物「ゆりあげ港朝市」が復活! 新たな挑戦を始めた朝市組合員の心意気とは

NHKなど様々なメディアにも取り上げられている「ゆりあげ港朝市」が元の場所で復活したということで、取材に行ってきました。以前、現代ビジネスでインタビューさせていただいた水代優さんらとご一緒しました。復活にかける地元の人たちの熱意を感じる一方で、絶望的になるほどの被害の大きさゆえの復興の難しさに愕然としました。現代ビジネスに書いたレポートです。編集部のご厚意で以下の再掲します。現代ビジネス→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35790

東日本大震災津波によって壊滅的な被害を受けた宮城県名取市閖上(ゆりあげ)。震災から2年2ヵ月が過ぎて、瓦礫の撤去は終わったものの、今も建物はまったく立っていない。そんな地域の一角、港に面した広場に、大型連休の最中、大勢の人が押し寄せた。閖上の名物だった「ゆりあげ港朝市」が元の場所で復活したのだ。初日の5月4日には1万5000人、5日には1万人、6日には7000人集まった。

 ゆりあげ港朝市は30年ほど前から続く。日曜・祝日の朝6時から10時ごろまで。震災前は5000人から8000人が毎週訪れていた。「さんま祭り」などのイベント開催時には1万人以上が集まる人気スポットだった。仙台市など周辺地域から車を飛ばしてやってくる常連客のほか、朝市を目当てにやってくる観光客、レジャー客も多かった。閖上には8000人が住んでおり、自転車で買い物に来る客もたくさんいた。町のシンボルになっていたのだ。

 そんな閖上津波によって一変する。10メートル近い津波が押し寄せ建物は壊滅。800人の犠牲者が出た。ゆりあげ港朝市もあの日を境に広場から消え去っていた。それが2年ぶりに復活したのである。

「戻ってくるしかないという現実もあるんです」

 復活早々、これだけの人が集まったのには訳がある。実は別の場所で震災直後から「ゆりあげ港朝市」が続いていたからだ。大手スーパーのイオンが名取市にある「イオンモール名取」の駐車場を提供。閖上での復活まで伝統の灯を保つことができたのだ。

イオンモールでの朝市復活は震災からわずか2週間後の2011年3月27日。震災後の大混乱が続く中で、周辺住民の生活物資は極端に不足していた。ゆりあげ港朝市協同組合の櫻井広行理事長が、必死になってモノ集めに駆け回り、かなりの商品を集めたが、それでもわずか1時間で売り切れた。

 櫻井さんは震災直後は朝市復活を諦めていたという。親戚を探しに避難所にたどり着くと、そこには朝市の常連だった人たちの顔がたくさんあった、という。まったく食べるモノがない中で、朝市の仕入れ先に掛け合って支援物資を集め、避難所で配った。その延長線に3月27日の「朝市」があった。朝市を一刻も早く復活させることが、それまで世話になった人たちに報いる一番の近道だと思ったのだという。

イオンモールでの朝市が1時間で売り切れとなると、名取市やイオンには、「次はいつやるのか」という問い合わせが殺到。組合は急きょ総会を開いて「朝市の早期復活」を決定。4月10日以降、毎週日曜日にイオンモールで朝市を続けてきた。もちろん、いつまでもイオンの好意にすがっているわけにはいかない。元の場所である閖上での復活に向けて動き出した。

 もっとも、話は簡単ではなかった。閖上の町は壊滅状態。名取市による都市計画もなかなか進まない。しかも、町を二分する貞山堀と港の間に住宅建設は認めないことになった。つまり、ゆりあげ港朝市の広場の周囲は誰も住まず、計画が決まるまではしばらく空地のままになることが決まったのだ。

 それでも元の場所に戻ることを決めたのはなぜか。櫻井さんは言う。

「すべて国に頼ろう、助けてもらおうというのは間違っている。自分たちで復活するしかない。だけど俺たちにカネはない。新しいところを借りて朝市を開く余裕がないんだ。復活のシンボルとか、綺麗ごとだばかりではないんですよ。戻ってくるしかないという現実もあるんです」

 そんな時、「天から贈り物が降ってきたかと思った」(櫻井さん)という出来事が起きる。カナダ政府がカナダ産木材を使った建物を被災地に寄付するという話が舞い込んだのだ。朝市用の建物にどうか、というのである。

 この話に櫻井さんは飛びついた。ところが、閖上浜は一切の建物再建が認められていない。名取市などとの談判を繰り返し、特例として建物建設が認められた。朝市の店舗が入る建物2棟と、「メイプル館/カナダ・東北友好記念館」と名付けられたパビリオンが建設されることになったのだ。この完成を受けて閖上での朝市が復活したわけである。

「私たちができるのは、町の復活に向けた灯を消さないこと」

 だからと言って、前途洋々というわけではない。大型連休明けの5月11日日曜日、朝5時過ぎから客が集まり始め、それなりの賑わいはみせたものの、1日の来客数は3500人ほどだった。住民がまったくいない場所での再開だけに、固定客ともいえた自転車で来るような周辺の人たちはもはやいない。

「きちんと特色を出していかないと、お客さんに来てもらえない」と櫻井さんは危機感を新たにする。「元の住民には、震災を思い出したくないので、閖上には行きたくないという人もいるんです」と櫻井さん。それでも復活の第一歩を見てもらおうと、大型連休中は仮設住宅と朝市を結ぶシャトルバスを運行した。だが、毎週バスを出すほどの余裕はない。

 これまでは大手メディアなどに積極的に取り上げられることで宣伝効果も大きかったが、だんだんと被災地への世の中の関心も薄れてきている。

 そこで組合は大きな決断を下した。組合として5000万円以上の借金をして朝市に来た人たちが休憩できる建物などを建設することにしたのだ。朝市での滞在時間を伸ばしてもらい、できれば朝ごはん、昼ごはんを食べて帰ってもらえるような新拠点にしたいという。朝市のそれぞれの店で特長のある食材を提供、取り合わせて食事をしてもらうというアイデアが浮上している。

 また、メイプル館にはゆっくりコーヒーを飲める喫茶コーナーや、メープルシロップなどカナダの物産を販売するコーナーを設ける方向で検討中。被災地を訪れる人たちは今でも多くいるため、そうした人たちの足場として日中はオープンさせる。この運営は、地域経済の再生を目的に設立した「プラットフォーム閖上」が担う。

 様々なイベントも計画していく。5月11日からは急きょ、「飛び入り参加型のせり市」を開催した。朝7時と9時の2回。朝市に出店している店舗が出品した品を、朝市価格の半値ぐらいを初値に競り上げていく。朝市価格よりさらに安く手に入るので、参加者には好評だった。今後、定例化する方向だ。

 また、今年も名物の「さんま祭り」を大々的に行う方針。定例の朝市でも炭火の台を出して、ささかまぼこを客自ら焼いてもらう「体験コーナー」を設けているが、ゆりあげ港朝市のさんま祭りの醍醐味は客が自らさんまを炭火で焼くところにある。8月には実施したい考えだ。

 朝市の港側にお洒落なウッドデッキを敷き詰め、そこでジャズ・イベントを開きたい、という夢も広がる。ウッドデッキ半畳分(実際には1平方メートル)の敷設費1万円を寄付してもらう「はんじょう募金」の呼びかけも始めた。はんじょう募金の名称は「半畳」と「繁盛」をかけている。予想以上の反響で、すでに100口以上集まっている。目標は1000口、1000万円だ。

 こうした新アイデアを盛り込んで、「ゆりあげ港朝市」が本格的に復活するのは9月になる見通し。グランド・オープンでは様々なイベントも行う予定だ。震災前に51店あった店舗は震災後に38に減っていたが、新しく加わる店も出て、現在は43店舗にまで増えている。今後も櫻井さんたち組合メンバーの心意気に共感する人たちの出店を待望しているという。

「地元の皆さんはもとより、援助をしていただいた人や、税金で被災地を支えていただいた皆さんに何とか恩返しをしたいと思っています。私たちができるのは、元の場所で朝市を続け、町の復活に向けた灯を消さないことだと思います」

 復興から復活、そして新しいチャレンジへ。「ゆりあげ港朝市」の挑戦はこれからが本番である。