土俵際で逆転「規制強化」となった薬事法改正 医療用には薬剤師の対面販売を義務付け

月刊誌エルネオスは霞が関や永田町で読者が多いように感じます。いただいている連載コラムでは、なるべく易しく経済問題を解説したいと考えています。1月1日発行の新年号に掲載した原稿を、編集部のご厚意で以下に転載します。


月刊エルネオス連載 硬派経済ジャーナリスト磯山友幸の≪生きてる経済解読≫──33

 安倍晋三首相は「規制改革こそが成長戦略の一丁目一番地」だと繰り返し述べてきた。そして、その代表的な例として医薬品のインターネット販売を挙げてきた。こうした方針を受けて、十二月五日に「薬事法及び薬剤師法の一部を改正する法律案(薬事法改正案)」が可決、成立した。では、その中身はどうか。大手新聞の中には、「薬ネット販売九九%超解禁」といった記事もあり、規制緩和が進んだと思われるかもしれない。だが結果は逆。規制緩和は名ばかりで、薬全体で見れば、むしろ規制を厳しく強化する内容になった。
 安倍首相は二〇一三年六月五日の成長戦略についてのスピーチでこう述べていた。
「ネットでの取引がこれだけ定着した現代で、対面でもネットでも、とにかく消費者の安全性と利便性を高めるというアプローチが筋です。消費者の安全性を確保しつつ、しっかりしたルールの下で、すべての一般医薬品の販売を解禁いたします」
 薬には、大別して一般用医薬品と医療用医薬品がある。一般用というのは大衆薬とも呼ばれ、薬局やドラッグストアで処方箋なしで購入できるものだ。一方の医薬用は、医師に処方箋をもらって、それに従って薬局の窓口で購入する薬である。
 安倍首相は一般用については「すべて」ネット販売を解禁するとしたのである。実は、ネット販売の解禁は安倍首相の英断というわけではなかった。一月に最高裁の判決が出て、「ネット販売を一律に禁じた厚生労働省令は違法」という判決が確定していたのだ。つまり、一般用についてはネット販売解禁の流れは成長戦略以前から固まっていたのである。

 「対面なら安全」の根拠なし

 こうした流れに強く抵抗していたのが、日本薬剤師連盟など薬剤師の業界団体である。薬剤師でも立場はさまざまだが、地域で小規模な薬局を開業しているような薬剤師が多い。一般薬とはいえ、薬がネットで買えるようになれば地域の薬局が大打撃を受けかねないというのが本音である。
 もちろん、業界団体はそんな主張はしなかった。国民の安全を守るためには、一般薬にも対面でなければ販売できない例外を設けるべきだとしたのだ。中でも「劇薬」は対面に限定すべきだとした。
産業競争力会議」では、メンバーだった三木谷浩史楽天会長兼社長がネット販売の解禁を強く主張したが、委員の多くは「例外はやむを得ないのではないか」という意見だった。一般薬でも「対面」を死守したい厚生労働省の説得が奏功した格好だった。さらに、最高裁判決を引き出した原告のネット販売会社ケンコーコムが、楽天が四割出資する会社だったこともあり、「三木谷氏は自分のビジネスの利益のために解禁を主張している」という誹謗中傷が積極的に流された。
 結果、法律では、劇薬など二十八品目について「要指導医薬品」という新たな分類となり、今後「対面」での販売が義務付けられる規定が盛り込まれた。二十八品目は一般用医薬品全体から見れば〇・二%にすぎないから「ごく例外」というわけだ。だが、二十八品目には、発毛剤や花粉症用鼻炎スプレー、勃起障害等改善薬などが含まれる。
 政策大学院大学福井秀夫教授らは、ネット販売を禁止する合理的根拠が不明だとして、法案に反対する緊急声明を出した。ネットだと危なく、対面ならば安全だという理由すら明らかにされていないというのだ。「薬局と同様に薬剤師が関与するインターネット販売でも危険だという根拠が明確になっていない」と、規制緩和に逆行する動きだと批判した。
 福井教授らが「さらに重大な問題」だと指摘するのは、法律ではいつの間にか医療用医薬品にもネット販売の禁止規定が盛り込まれたことだ。「専門家会合を設けて検討するプロセスさえ経ないまま」禁止規定が盛り込まれたとしている。
 実は、日本薬剤師連盟厚労省が一般用の例外にこだわった本音は「本丸」の医療用を守ることだったといわれる。医療用は一般用の十倍の市場規模があり、ここを守ることが薬局を守ることにつながるというわけだ。
 自民党内の議論でも、ネット解禁に慎重な意見が相次いだ。実は薬剤師連盟の政治力はつとに知られている。〇五年からの三年間だけでも十四億円を政治献金している。そんな政治力が効いたのか、法案作成のプロセスとしては強引ともいえる「巻き返し」が行われたのである。

 潰された新サービス創出

 薬剤師が本当に安全確保のための指導を行ってきたのかという批判もある。今回、対面を義務付けた結果、本人確認などが必要になり、代理人には販売できなくなる。
 安倍首相がスピーチで指摘したように、ネット社会の中でどう利便性と安全性を確保するかが問われている。ネットを活用すれば、薬局がない山間部の老人と病院や薬局をつないでバーチャルな「対面」での安全確認などを行うことは、技術革新の中で十分可能性がある。新しいサービスが生まれてくる余地もある。ところが、法律で旧来型の「対面」を義務付けてしまえば、昔からある薬局に本人が足を運ぶことが不可欠になる。
 薬剤師の中にも、ネットを活用した新しいビジネスを模索する若い経営者がいる。薬局の薬剤師が顔なじみの患者からメールで常に服用している薬の処方箋を受け付け、アルバイトが届けるといった、「ネット販売」とはいえない従来型の延長線上にあるサービスを行っている地方の薬局もあった。
 だが、今回の法律でこうした芽はすべて摘まれてしまうことになるだろう。ネットには対応できない昔ながらの薬局は残るかもしれないが、それで国民の利便性は高まるのか。
 医療専門メディアは今回の法改正について、「薬局や薬剤師には、これまで以上に地域の健康拠点としての役割が期待される内容となった」と書いていた。どこか、郵政改革の逆行と似た構図である。既得権層が守る「岩盤規制」の突破が容易でないことを、今回の法改正は如実に示している。