ウェッジインフィニティに3月24日にアップされた原稿です。→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9183
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「若い頃に他の国々の若者と生活を共にすることが将来にわたる友好の礎になります」
香港の著名な実業家であるロナルド・チャオ(曹其𨉷)さんは今も日本で過ごした学生時代を思い出すという。1958年に東京大学工学部に入学、62年に卒業するまで、東京・本駒込にある「アジア文化会館」で日本人学生と生活を共にした。卒業後は米国留学を経て香港に戻り、父親が創立したニット製品の製造を中心とする繊維会社を大きく成長させた。
ビジネスを通じて日本の経営者にもたくさんの友人を持つ。その「香港永新企業」の副会長に退いた今も、夫人の曹羅碧珍さんと共に年に数回は日本を訪れる。大の日本びいきである。
そんなチャオさんが70歳を超える頃から情熱を傾けているのが、日本と中国、アジア各国との架け橋になるリーダーを育てること。
まず始めたのが大学に私財を寄付し、国際学生寮を建設することだった。中国大陸の5つの主要大学に話をもちかけ、国際学生寮「日中青年交流センター」の設置を提案すると、最初は難色を示されたという。
というのも2010年当時は、日中関係が急速に冷え込み始めていた頃。「同じ学生寮に中国人学生と日本人などほかのアジア人学生を共同生活させることに、当局が神経質になったのでしょう」とチャオさんは振り返る。それでもひとつの大学でうまくいくと、次々に完成していった。何せ、1大学あたり2000万元(約4億円)を寄付するという、大学にとってはこの上ない話だったからだ。5大学の学生寮はすべて完成。日本の学生ほか、アジアからの留学生がここで中国人学生と共同生活を送っている。
チャオさんは、日本の大学でも国際学生寮の建設を考えていた。日本とアジアの政治情勢が厳しい時だからこそ、将来に向けた若者どうしの本物の交流が不可欠だと考えた。ビジネスで知り合い20年以上交流を続けていたファーストリテイリングの柳井正・会長兼社長に相談すると、柳井氏の母校である早稲田大学が中野に学生寮を建設する構想を抱いていることが判明。チャオさんが香港の仲間の実業家グループと共に集めた資金から1億円、柳井氏も3億円を寄付する話がまとまった。
柳井氏は「チャオさんから話があった時に、私も中国と日本が敵対し険悪さが継続するのは危険だと悶々としていた」とメディアに答えている。こうして14年4月に東京・中野にオープンしたのが、国際学生寮「早稲田大学中野国際コミュニティプラザ」である。
次にチャオさんは奨学金の創設を決断する。14年5月、チャオさんは1億5000万米ドル(約180億円)という巨額の私財を投じて香港に「百賢教育基金会(Bai Xian Education Foundation)」を設立。うち1億米ドルの運用益で「アジア次世代指導者奨学金プログラム(AFLSP)」を始めた。奨学生の選考や支給に当たるAFLSPの運用機関として「百賢亜洲研究院」を香港に創設した。
奨学金は返済義務のない給付型で、大学によって差があるが、おおむね1人あたりの年間給付額は2万5000米ドル。学費や入学金、宿舎代、生活費などが含まれる。奨学金としてはなかなかの水準だ。
「せっかく留学してもアルバイトの皿洗いに明け暮れるのでは、その国の悪いところばかり目に付くことになる。十分な奨学金を与えることで、その国の良いところをしっかり見て体験して欲しい」とチャオさんは言う。
AFLSPの対象として大きく「アンカー大学」と「パーティシペーティング大学」の2つに分け、前者には大学別に定員を割り当てて大学自身が選考する一方、後者は10名までの推薦枠を持ち、推薦者の中から研究院が選ぶ。前者には京都大学、一橋大学、早稲田大学、北京大学、浙江大学、香港科学技術大学の6校。後者には東京大学や清華大学、台湾国立大学、ソウル国立大学など10校が指定されている。学業優秀で学位取得を目的に留学する学生を支援するのが狙いだ。
百賢アジア研究院による奨学金授与生の人数
出所:百賢亜洲研究院提供の資料
個人の財産を寄付して作られた設備やプログラムには、その個人の名前が冠されることが多い。ところが、このプロジェクトではチャオさんの個人名は一切冠されていない。運営団体も「百賢亜洲研究院」という名前で、自らは名誉理事長に就任しているだけだ。「名前を付けないというのが私たちの考え方です」とチャオさんは言う。
というのも、ひとりの力だけではなく、「アジアの未来のリーダーを作る」という理念に賛同する多くの人たちに参画してもらいたいと考えているからだ。多くの人たちが参画したきちんとした組織体にすれば、プロジェクトを永続させていくことが可能になる。
百賢亜洲研究院の理事長はチャオさんの長女であるロナ・チャオ(曹恵婷)さんが就いているが、理事には外部の人たちが名前を連ね、香港で成功した日本人実業家の名前もある。香港を拠点に「アンテプリマ」などを手掛ける荻野正明・フェニックスグループホールディングス・チェアマンや、高級自動車イタリアフェラーリの日本総代理店などを展開するコーンズ・アンド・カンパニーの渡伸一郎会長である。
1億米ドルの基金があるといっても、低金利の中で奨学金運営は十分にできるのか。理事長のロナさんは言う。
「本来は7%の運用益を上げて、5%を奨学金運営に使い、2%は基金に残すという構図を考えていますが、実際には低金利でそこまでの運用益は上がっていません。昨年は2・5%ほどでした。いま、運用戦略の見直しを考えているところです」という。
100人の奨学生に2万5000米ドルを給付するだけでも250万米ドルが必要になる。当然、研究院の運営費用もかかる。他の財界人からの寄付を受けるなど、基金の規模を大きくすることも課題だ。
未来のアジアのリーダーに必要な資質
チャオさんが長年の交流で培った人脈もフル稼働している。柳井氏だけでなく、協力する日本の財界人がたくさんいるのだ。
百賢亜洲研究院の諮問委員会には、麻生泰・麻生セメント会長や渡文明・JXホールディングス名誉顧問、松下正幸・パナソニック副会長らが名前を連ねる。
さらに趣旨に賛同する日本の財界人が中心になって「日本百賢アジア研究院」という一般社団法人を日本に設立。渡辺喜宏・三菱東京UFJ銀行顧問が理事長に就いている。
百賢亜洲研究院では、奨学金を給付している学生を一堂に集めるサマープログラムにも力を入れている。昨年は早稲田大学で実施したが、今年は台湾国立大学で実施する予定だ。
トランプ大統領の登場で、中国と台湾の間にも政治的に微妙な空気が流れている。こういう時だからこそ、アジアの学生が台湾に集まり、交流する意味は大きいだろう。
アジアの未来のリーダーにはどんな資質が必要なのか。
ロナさんは、「オープンマインドであることが重要だ」と語る。選ばれる奨学生はすでにオープンマインドな学生が多いというが、海外で学び、様々な国の学生と共に生活をすることで、それに磨きがかかるのは間違いないだろう。
そうしたオープンな学生たちが、それぞれの国の指導的な立場になることで、よりオープンな国と国との関係にもつながっていく。将来に向けて奨学生の同窓会ネットワークも整備していくという。
日本の大学との交渉などに当たるロナさんが心配していることがある。海外に留学したいという希望を持つ日本人学生が少なくなっているように感じることだ。条件の良い奨学金制度を作っても、利用してくれなければ前には進めない。
「もう歳ですから。日本で良くしてもらった恩返しです」と笑うチャオさん。そんなチャオさんの思いを受け止める未来のリーダーたちが増えていくことを祈りたい。