動き出した、公務員定年「65歳」への延長論 官僚優遇を正当化する驚きの「論理」

日経ビジネスオンラインに9月15日にアップされた『働き方の未来』の原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/021900010/091400052/

政権維持が目的化し「魂を売った」との声

 「もう誰も『公務員制度改革』なんて言わなくなった。長期政権のためには誰を敵に回さないことが大事かを第一に考えるようになった。霞が関は敵に回さないということだ」

 安倍晋三首相に近い構造改革派の重鎮は安倍内閣の「変質」を嘆く。「古い自民党には戻らない」「規制改革こそアベノミクスの一丁目一番地」と繰り返し述べて、国民には改革への期待感を煽る一方で、首相官邸は長期政権の維持が目的化し、そのためには「魂も売っている」と批判する。その典型が公務員への「優遇」だという。

 そんな官僚優遇の方針がまたしても打ち出された。公務員の定年を65歳に引き上げる方針を固めた、というのである。すでに、内閣人事局人事院総務省の局長級計10人ほどからなる関係省庁会議を設置して、具体策の検討を始めており、年度内に具体案をまとめるという。現在は原則60歳になっている国家公務員法の規定を2018年の通常国会で改正。2019年度から段階的に定年を引き上げる方針だ。

 人手不足の中で高齢者の活躍の場を確保するのは良いことではないか、と思う読者もいるに違いない。現在、高齢者雇用安定法という法律によって、企業に60歳以上の人の雇用促進を義務付けている。企業は定年を延長するか、定年自体を廃止するか、再雇用するかの3つの選択肢から対応を求められている。

 定年延長と再雇用は全く意味が違う。定年延長の場合、それまでの雇用契約が継続されるので、給与など待遇は原則維持される。一方で再雇用の場合、雇用契約を結び直すことになるので、待遇は全く別体系になる。定年になって再雇用されたら給料が半分以下になった、という話を聞くのはこのためだ。

ほとんどの企業は「再雇用」で対応

 ほとんどの企業は再雇用で対応しており、定年を65歳以上としている企業は16%、定年を廃止している企業は3%にとどまっている。年功序列型賃金の中で、高齢社員の給与は相対的に高い。それをそのまま5年間延長しては、企業の採算は大きく悪化してしまう。高齢者よりも、給与が低くてバリバリ働く若手社員を採用したい、というのが企業の本音なのだ。

 政府が高齢者雇用を企業に求めているのは、高齢者に活躍の場を与えよう、という表向きの理由からだけではない。年金の支給開始年齢が段階的に65歳に引き上げられており、定年から年金受給までの「空白期間」を作らないようにしたいというのが本音だ。つまり、年金財政という政府の懐事情を優先させるために、企業に雇用維持を求めているわけだ。

 少子高齢化が進む中で、それも致し方ないことだと言えるかもしれない。企業が「再雇用」を選択するのは、苦肉の策とも言える。再雇用ならば企業に利益をもたらす人材にはそれ相応の給与を支払い、逆に長年勤めただけで高給を貪ってきた人は「市場価格」まで引き下げることができる。

 だが、公務員の定年を引き上げるとなると話は別だ。なぜなら、勤続年数に応じて給与が上がっていく仕組みが完璧に出来上がっている。しかも、よほどの事がない限り、降格されることはない「身分保障」がある。つまり、定年を延長すれば、その時点の給与水準がさらに5年間続くことになるわけだ。つまり、公務員人件費は大幅に増える。もちろん全て税金で賄うことになる。

 当然、単純な定年延長には国民から批判の声があがることは、定年を延長したい官僚たちも十分に理解している。メディアの報道では「役職定年制の導入で総人件費を抑制することも検討」といったエクスキューズが書かれている。さらに、国家公務員だけでなく、地方公務員も定年延長の対象だとされている。各自治体が国の制度を基準に条例で決めているので、国の制度を変えれば、地方自治体も変わるという「論理」である。自分たちだけが得をするためにやっているのではなく、全国の地方公務員も得をするのだ、という「仲間づくり」である。

 国と自治体を合わせれば公務員の総数は330万人にのぼる。決して霞が関にいる高級官僚だけが得をするわけではない、と言いたいわけだ。公務員給与の話になると、自衛官など現場の最前線にいる「薄給で国のために尽くしている」人たちがすぐに引き合いに出される。毎年恒例の公務員給与の引き上げでも、現場の待遇改善が金科玉条のように主張される。だが、その実、最も待遇改善の恩恵を受けているのは、現場から遠い霞が関の官僚たちだ。今回の定年延長でも同じことが言えそうだ。

 さらに驚くべき「論理」を駆使して定年延長を正当化している。政府が率先して定年を引き上げれば、民間企業にも定年延長の動きが波及する、と主張しているのだ。自民党の「一億総活躍推進本部」が今年5月に行った提言にはこう書かれている。

事務次官の「定年」は何歳になる?

 「かつて完全週休二日制が公務員主導で社会に定着していったように、公務員の定年引上げが民間の取組を先導し、我が国全体の一億総活躍社会をけん引することも期待される」

 まず、公務員の待遇を変えれば、それに民間が従うはずだ、というのは何とも時代錯誤ではないか。定年を伸ばして総人件費が増えても税金か国債で賄うことができる公務員と違い、民間企業はそれを吸収できるだけの事業収益を生み出さなければならない。

 そうは言っても人手不足が深刻化しているのも事実だ。人員を確保するのに定年延長や定年廃止が選択肢であることも間違いない。だが、民間企業が定年を延長する場合、まず間違いなく人事制度を大幅に変えることになる。いわゆる年功序列型の賃金体系が大きく見直されていくことになるだろう。

 つまり、若い人も高齢者も働きに応じた報酬が支払われるようになり、ただ勤続年数が長いというだけで昇給していくような仕組みは姿を消していく。これまでは若年層には働きに比べて相対的に低い給与しか払われず、長期間在職することで働きに比べて相対的に高い給与が払われるようになっていた。より長期に会社に所属してもらう事にインセンティブを与えてきたわけだ。その終身雇用を前提とした年功序列型賃金はもたなくなると考えられる。

 そういう意味では、民間企業での定年延長論議は、日本企業の採用形態や日本人の「働き方」を根本から変えていく大きなきっかけになる可能性はある。だが、公務員となると話は別だ。仕事の仕方を変えなくても、定年延長ができてしまうからだ。本来ならば、公務員の年功序列型の賃金体系を抜本的に見直す必要があるのだが、そこに手を付けることはまさしく「公務員制度改革」に他ならない。当然、大抵抗に遭う。

 霞が関の中でも、若手の改革派の官僚たちは「定年延長?勘弁してください」という意見が多い。現在、事務次官の定年は62歳だが、公務員全体の定年が65歳になれば、次官は67歳あるいは70歳定年ということになりかねない。入省年次を基準に昇進を決める年功序列の人事制度を続けていけば、55歳になってようやく課長という「高齢化」が進むことになりかねない。若手が活躍する場が失われれば、有能な人材はますます役所に定着しなくなる。さっさと活躍できる民間に転職してしまう、あるいは、そもそも公務員になろうとするのは安定を求める人だけ、ということになりかねない。

 安倍内閣は、霞が関を優遇しているように見えて、実は霞が関を骨抜きにしている、という見方もある。内閣人事局が官邸に設置され、政治家が幹部人事を握るようになって、「官邸の意向」に逆らう幹部官僚はいなくなった。自らの人事に直結するからだ。定年を延長して「安定志向」が高まれば、さらに政治がコントロールしやすくなる、というのだ。

 そこまで安倍内閣が高等戦術を駆使しているかどうかは別として、公務員の定年延長が、公務員制度の仕組み自体を根底から揺さぶることになる可能性はありそうだ。