不寛容な世論を拡大させるSNS 「新聞」が消え社会の分断加速

SankeiBizに5月25日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

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 新聞の凋落(ちょうらく)が著しい。世界の中での「新聞大国」と言われてきた日本の新聞発行部数は、日本新聞協会の統計によると、2020年10月時点で3509万部。ピークだった1997年の5376万部に比べて1867万部も減少し3分の2になった。特にここ3年ほどは毎年5%を超す減少率となり、2020年は7.2%減と、まさに壊滅的な減少を示した。

 いやいや、電子版へのシフトが起きているのであって、新聞というメディアが終わったわけではない、という人もいるだろう。確かに減少が本格的に始まったのはスマートフォンが普及し始めた2006年以降で、人々の情報ツールが劇的に変わったことと無縁ではない。だが、「紙の新聞」というメディアが滅びつつあるのは明らかだろう。

 現存する世界最古の紙に印刷した定期刊行の新聞は、1609年に創刊された「レラティオン」というドイツのもので、ハイデルベルク大学に残る。ヨハン・カルロスという製本職人が副業で始めた150部の新聞だったという。紙ということで、それ以前に発行されていて、歴史の中に消えていったものもあるだろうから、近代新聞が生まれてから500年近くたっているだろう。この間、新聞はメディアとして磨き抜かれ、一種の「完成型」になっていた。

 新聞社の電子版は当初、紙の新聞を電子に置き換える作業から始まったが、今ではすっかり「別のメディア」になっている。読者によく読まれる記事も変わり、取材する記者や編集する新聞社のデスクたちの「志向」も大きく変わってきた。紙の新聞と電子新聞は別物である。

 「完成されたメディア」と言ったのは、情報パッケージとしての優秀さだ。慣れた読者ならば1紙10分もあれば一瞥(いちべつ)してその日のニュースを大まかに把握できる。圧倒的な一覧性を持っている。どんどん見出しが目に飛び込んでくる新聞から得られる情報量はパソコン画面から得られる量を凌駕(りょうが)するだろう。

 また、しばしば指摘されることだが、パソコンやスマホで読むニュースは、自分自身の「選択」で選んでいるものが増え、新聞のように、本来興味のなかった分野の記事を見出しにひかれて読むということが少なくなる、とされる。つまり、自分自身の好みにあった情報ばかりを読み、意見の違う情報、関心の外にある情報は無意識に排除していくことになるわけだ。

 「SNS(会員制交流サイト)などのネット上の場合、議論というよりも、自分に似た意見に同調し、『信念を強化』する場になっている」と、かつてインタビューした江島健太郎・「Quora」日本代表が語っていた。中立公正さを重視して両論併記を心がける新聞などの伝統的ジャーナリズムと違い、SNSの利用者は「他人の意見はどんどん聞かなくなって閉じ籠もっている」という。最近しばしば目にする不寛容な世論を拡大させ、社会の分断を加速させているということだろう。

 『フジサンケイビジネスアイ』の休刊で、また一つ「紙の新聞」が姿を消す。デジタル化の流れの中で、致し方ないことだろう。一方で新聞社が人々に幅広い知見を提供し豊かな言論社会を作り上げていく新しいメディアをどう創り上げていくか。大いに注目していきたい。