「敗戦」はまだまだ続く? デジタル庁が期待外れのスタート 官僚抵抗、リーダーシップ不在のまま

現代ビジネスに9月3日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86879

まだアナログ、渋谷ワクチン接種殺到

日本の行政の「デジタル敗戦」を象徴する出来事がまたしても起きた。

東京都が渋谷で行った若者向けワクチン接種だ。予約不要、先着順で接種できるという発想自体は悪くなかったが、用意されたワクチンは300人分。8月27日11時50分からの受付開始に早朝から行列ができ、7時半には受付を締め切ったものの、行列は収まらず混乱が続いた。「想定を大幅に超えた」と担当者は言うが、どうみても300では想定が甘すぎた。だが、話はそれで終わらなかった。

翌日は、抽選券を配る方式に変え、予約券を配布したが、やはり1キロに及ぶ長蛇の列ができ、2226人に配って当選者は354人。他はハズレで翌日また抽選という「昭和さながら」の方法だった。さすがに批判が噴出してオンライン抽選の検討に乗り出したが、まさにこれが日本の行政とデジタル化の実情なのだ。

つまり、デジタルのツールはいくらでもあるのに、昔からのやり方を変えられないのだ。DX(デジタル・トランスフォーメーション)が掛け声になっている昨今、Dつまりデジタル化よりも、Xつまり仕事のやり方を根本から見直すトランスフォーメーションの方が問題なのだということを如実に示した例だった。

そんな混乱の直後、菅義偉首相の発案で「目玉政策」として打ち出された「デジタル庁」が9月1日に発足した。

もともと新型コロナウイルスの蔓延が始まった直後の2020年4月に当時の安倍晋三首相が打ち出したひとり一律10万円の特別定額給付金が、なかなか配れず、しかも、デジタルでの申請にトラブルが起きて結局紙で申請を受け付ける自治体が出るなど大混乱を極めた。

いかに日本の行政のデジタル化が遅れているか多くの国民が痛感した。2020年9月に発足した菅内閣が目玉政策に掲げた背景には、そうした国民の不満があった。

菅首相はその原因が「行政の縦割り」にあるとして、「複数の省庁に分かれている関連政策を取りまとめて、強力に進める体制として、デジタル庁を新設いたします」とぶち上げたのである。

いまだ、遅々として進めず

もちろん日本政府がIT(情報通信)化に取り組んで来なかったわけではない。2000年に「内閣官房IT担当室」を設置、その後「内閣官房情報通信技術総合戦略室(IT総合戦略室)」となった。民間出身の「内閣情報通信政策監(政府CIO)を置いてきた。

だが、20年経っても日本政府のIT化は遅々として進まなかった。最大のネックは「紙」と「ハンコ」を前提にした明治以来の「お役所仕事」から霞が関の現場が脱却できなかったこと。各省庁にIT知識を持つ人材がいないため、政府が発注する情報システムが受注する「ITゼネコン」と呼ばれる大手ベンダー依存になってしまったことである。

 

菅首相が打ち出した「デジタル庁」はこの問題を打破するのではないかという期待を抱かせた。システムの発注権限をデジタル庁に一元化するなど強い調達権限を持たせ、事務方トップである「デジタル監」の強いリーダーシップで縦割りを打破する。そうした構想を平井卓也・デジタル担当相ら組織づくりを任された現場の面々は思い描いた。

そうした関係者の間では、5月に設置法案が成立する以前から、「まずはトップのデジタル監を決めて、人事体制をデジタル監主導で行うことが重要」(改革派の若手自民党議員)だという声があった。

だが、省庁設置作業を進める霞が関の官僚たちは無言の抵抗を続けた。まずは組織体制を作り、それぞれの民間人ポストに公募で人を集め、デジタル監は最終的に政治判断で決める。そうした通常のプロセスを貫こうとした。

もちろん、「次官級」のデジタル監に本当に強力なリーダーシップを発揮する人材が来たら、各省庁が握ってきた発注権限を名実ともに召し上げられかねない。もちろん、これには各省庁と太いパイプを築いてきたITベンダーも思いは一緒だった。

抵抗線、デジタル監人事

結局、デジタル監の人事はズルズルと延びていった。本当ならば発案者の菅首相が強いリーダーシップで人事や組織形態を決めれば良かったのだが、新型コロナ対応に忙殺され、デジタル庁への関心は完全に薄れていた。

「最後はデジタル監の選定はデジタル政策担当の内閣官房参与である村井純慶應義塾大学教授に任せているの一点張りで、首相自らが人選に関与しようとしなかった」と菅首相に近い人物は言う。

結局、「エンジン」役になるはずのデジタル監はギリギリまで決まらなかった。

これまでIT総合戦略室を事実上仕切ってきたのは和泉洋人首相補佐官だったとされる。

なかなかデジタル監が決まらない中、組織作りを先行させ、6月4日には準備中のデジタル庁ホームページに、「デジタル庁の組織体制(予定)」という組織図が公表された。

デジタル監の下に4人のグループ長が統括する「総務チーム」「戦略チーム」といった組織が置かれた。CTO(チーフ・テクノロジー・オフィサー=最高技術責任者)など8人の最高責任者が描かれていたが、組織図では「デジタル審議官」と同列にデジタル監の「参謀役」のような扱いになっていた。

これはまさに、従来の役所の構造そのもの。多段階構造のピラミッド型は、IT企業などがとるフラットな組織とは真逆の発想だった。

そんな中、デジタル監に伊藤穰一氏が浮上する。村井氏の推薦で平井大臣も「目玉人事」として大乗り気だった。だが、伊藤氏には、米マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ所長だった際に、少女買春スキャンダルで訴追されて自殺したジェフリー・エプスタイン氏から資金提供を受け、その事実を隠蔽する工作を行っていたことを指摘され、メディアラボ所長を辞任していた過去があった。

村井氏も平井氏もこれを軽く見たのか。案の定、ネット上などで猛烈な批判が巻き起こった。東京オリンピックの関係者が過去の言動などで相次いで辞任したこともあり、さすがに国際的に非難を浴びかねない伊藤氏の人事を押し通すことはできなくなった。

霞が関、完勝

最終的に、デジタル監に選ばれたのは石倉洋子・一橋大学名誉教授。72歳のデジタルにはまったくの素人である。

「完全に霞が関の勝利に終わったね。これまでの政府CIO同様、何も邪魔をしない良い人を据えた。システム調達はもとより、霞が関の仕事の仕方も知らない。改革なんてできるはずはないから、総務省経産省も喜んでいます」と政府の改革に携わってきた民間人経営者は言う。DXのDもXもリーダーシップを取って変えられる人物では、到底ないと言うのだ。

 

つまり、デジタル監が「次官級の現場トップ」というのは形だけで、実際は次官級の「デジタル審議官」が実務を仕切ることになるのだろう。このポストには経産省出身の赤石浩一氏が就いた。

菅首相は発足に当たって挨拶しこう述べた。

「立場を超えた自由な発想で、スピード感を持ちながら、行政のみならず、我が国全体を作り変えるくらいの気持ちで、知恵を絞っていただきたいと思います」

そこには、「縦割り打破」という言葉も、「システム発注を一手に握る」といった権限についても、何も触れられていなかった。後手に回る新型コロナ対策と支持率の急落で、今や総理総裁の地位も風前の灯となった菅首相。もはやデジタル庁どころではない、ということだろうが、これで日本の「デジタル敗戦」が続くことになるのは何とも残念極まりない。