「高齢者を若返らせる」 年齢で分類しないスイスの発想

日本で進む少子高齢化は、世界の関心の的のようです。果たしてどうやって乗り切るのか。スイスで開かれた国際会議を取材した原稿をウェッジの連載で書きましたが、編集部のご厚意で転載させていただきます。
オリジナルページ→ http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2016


 5月末にスイスのチューリヒで「日本の高齢化に学ぶ」という趣旨のシンポジウムが開かれた。スイスのサンクト・ガレン大学の傘下にある「世界人口統計高齢化問題(WDA)フォーラム」という団体が主催。高齢化に関わる分野の専門家を日本から招き、スイスの専門家と議論するという趣向だ。

 日本からは東京大学高齢社会総合研究機構の秋山弘子・特任教授や八代尚宏国際基督教大学客員教授らが参加。スイス側からは学者、国会議員や政府の移民政策担当者、保険会社など経営トップらが集まった。

日本とスイス お互いに学べるはず

 「日本の高齢化はスイスの5年〜10年先を歩んでいる。日本経済とスイス経済が置かれた状況は非常に似ている点が多く、お互いに学ぶべきことが多いはずだ」とWDAフォーラムのハンス・グロート会長は語っていた。

 日本は先進国の中でも最先端の人口高齢化社会。2030年には65歳以上の人口が全体の32%を占めると推計されている。様々な問題に直面することになる日本の取り組みをつぶさに見ていれば、高齢化に直面することになるスイスなどの国々にとって大いに参考になる、というわけだ。

 東大で、医学や工学、社会学などを統合した「ジェロントロジー(老年学)」をとりまとめる秋山教授のプレゼンテーションは関心を呼んだ。高齢化社会に対応する街づくりを千葉県柏市でプロジェクトとして進めているからだ。老朽化した公団住宅の建て替えと同時に、24時間対応の在宅医療拠点や、高齢者が働ける場を設けるという試みだ。

 3人に1人が65歳以上の社会といっても、全員が要介護の状態になるわけではない。スイス側の出席者からは現代人の肉体的な年齢が若返り、昔の65歳以上と現在ではまったく違う、といった研究成果も説明された。つまり65歳になっても健康で、働くことができる社会をどう作るかが大きなポイントになるという認識が、専門家の間で共有されているわけだ。

 「年齢で高齢者と分類するから高齢化問題は深刻に見える。だが、社会の一定割合を高齢者と定義すれば、高齢化問題はなくなる」という声もあった。


 日本で言えば30年の65歳以上の人口は32%だが、75歳以上は20%弱。これは現在の65歳以上の人口比率と変わらない。人々に実年齢よりも10歳若返った生活を送ってもらえば、高齢化問題はかなり解消できる、という発想だ。

 高齢化は新たなチャンスを生む、というのも参加者の共通した声だった。資産を持った購買余力の大きい層が誕生することで、消費産業に大きな変化をもたらすというのだ。その大きな原動力になるのは先端技術である。

産学協同でも高齢化社会への適用が大きなテーマ
 スイスはアインシュタインが教鞭をとったチューリヒ工科大学(ETH)などをはじめとして、先端技術開発に力を入れている大学が多い。もともと政府の機能が弱く民間主導のお国柄のため、いわゆる産学協同が進んでいる。

 一例はEMPAという政府組織。チューリヒ工科大学の傘下にあり、大学と産業界の共同技術開発の拠点になっている。ナノテクやエネルギー工学、健康工学など大学が持つ基礎研究と、産業界の技術とを融合させ、社会のニーズに応えていくというもの。大学が持つ知的財産を積極的に社会に移転していくための組織だ。約1000人いるスタッフの半数が科学者だ。予算の3分の2を政府予算でまかない、3分の1を産業界の寄付で運営している。

 技術融合によって生まれた製品を事業化することにも取り組んでいる。外部の企業や投資家を呼び込み起業するわけだ。EMPAが支援して起業した企業は10年余りで約30社。150人の雇用を新たに生み出したと言う。「独自の基礎技術を持っている会社が多いため倒産した例はほぼない」と産学協同窓口の責任者であるドーべネッカーさんは言う。そのEMPAで1つの大きなテーマが高齢化社会への適用だ。

 EMPAをベースに起業した一例をみてみよう。コンプライアンス・コンセプト社。チューリヒの郊外にあるEMPAの研究所の中に会社がある。

 手がけるのは寝たきり老人の床擦れ防止センサー。ベッドで寝返りが打てず、長時間、同じ姿勢でいることにより床擦れが起きる。これをETHの機械工学の教授が開発したセンサーを使ったシステムで予防しようというのだ。「床擦れに伴う治療費などの総費用は米国だけで数千億円にのぼる」と同社の創業メンバーであるパトリック・チョップCOO(最高執行責任者)はみる。高齢化社会の大きな問題なのだ。

 ベッドに同社のセンサーを付けることによって、長時間同じ姿勢でいた場合に看護士など介助者に警報が伝わる仕組みだ。今は、看護士が時間を計って寝返りを打たせる介助をしているケースが多い。必要な人に必要なタイミングで寝返りを打たせればよくなれば、看護士の負担が大幅に軽減される。

 製品は6月からスイス国内への出荷を始めた。製造はすべてスイス国内の企業に外注し、開発と販売に特化する。システム全体で6500スイスフラン(約53万円)、センサー単独で2500スイスフラン(約20万円)。来年度以降、欧州全域での販売を目指す。

人口が増えるスイスと減り続ける日本
 スイスといえば金融である。「人口高齢化は重要な投資テーマだ」とBZバンク創業者のマルチン・エブナー氏は言う。エブナー氏はかつてスイス銀行大手のUBSやエンジニアリング大手のABBなどの大株主として経営改革を迫る「アクティビスト」として知られた著名な投資家だ。エブナー氏は製薬大手ロシュの大株主としても知られるなど、早くから製薬、医療関連といった高齢化銘柄に投資してきた。最近ではバイオテクノロジー関連の未上場企業に資金を投じているという。

 高齢化をどうチャンスに変えるか、それを日本に学ぼうというスイス。高齢化先進国として日本は成功事例を世界に示していくことが重要だろう。

 だが一方で、高齢化をチャンスに変えるには、これまで前提としてきた社会システムや常識を大幅に見直すことが必要になる。

 スイスの保険大手ヘルベチア・グループのエリッヒ・ワルサー会長はシンポジウムで、「両国は高齢化で似ているが、決定的に違うのはスイスの人口は増えていること。日本のように人口が減る社会では、保険業界は生きていくことが難しい」と指摘していた。

 スイスは移民先進国で、人口(居住者)の25%が外国人だ。国内には移民に対する根強い抵抗感がある一方で、移民なしに年金制度など社会システムを維持することは不可能という共通認識もある。日本は高齢化を克服すると同時に、この人口減少に取り組まなければならない。さて、そこでどんな解を示すのか。世界は注目している。

◆WEDGE2012年7月号より