アベノミクスが本腰を入れる「雇用制度改革」の成否

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 2014年度の予算編成に向けた各省庁の概算要求が始まった。安倍晋三首相が進める経済政策「アベノミクス」の3本目の矢である「成長戦略」に盛り込まれた政策がどう具体化されていくのか。各省の概算要求をみているとおぼろげながら見えてくる。そんな中で、成長戦略が求めた「政策転換」が鮮明に表れたものの1つが雇用対策予算だ。

 厚生労働省は概算要求で、解雇を防ぐための「雇用調整助成金」を半減させる一方、転職支援のための助成金を大幅に増額した。雇用調整助成金は、経営難に陥った企業が従業員を解雇せずに休業などの形で雇い続けた場合に支給するもので、12 年度は1134億円が支給されたが、これを概算要求では545億円と半減させた。一方で、転職する場合の費用などを助成する「労働移動支援助成金」は、12年度は2億4000万円に過ぎなかったが、これを大幅に増額して301億円を要求に盛り込んだ。

 安倍政権は6月14日に閣議決定した成長戦略で、

「行き過ぎた雇用維持型から労働移動支援型への政策転換」

 を掲げ、2015年度までに「雇用調整助成金」と「労働移動支援助成金」の予算規模を逆転させる方針を示した。厚労省はこの方針に従ったわけだ。

根本から変える政策転換

 成長戦略に盛り込まれた通り、民間の人材ビジネスを活用して従業員を転職させた企業に対し、その費用の一部を支給する制度を整備し、助成対象を中小企業だけでなく大企業にも拡大。転職を受け入れた企業が訓練する費用についても助成することにした。12年度はこの制度で助成したのは774人に過ぎなかったが、概算要求の前提は約7万人分だという。

 これは雇用対策、赤字企業対策の哲学を根本から変える政策転換といえる。

 これまでは、とにかく失業者を世の中にあふれさせないことを最優先とし、国が企業にカネを払うことによって企業に余剰人員を抱え続けさせることを良しとしてきた。この傾向は、08年のリーマンショック後の大幅な景気の落ち込みで強まった。経常損益が赤字で、生産量もしくは売上高が前年同期比で5% 以上減っていれば支給対象とするなど、支給要件が大幅に緩和された(その後2012年10月に緩和措置撤廃) 。この結果、雇用調整助成金の支給対象企業は09年10月に9万6400社に拡大、対象者数はピークの09年7月には252万7754人に達した。09年度の支給総額は6534億円だった。

 さらに労働組合を支持母体とする民主党政権は、赤字企業でも潰さないようにする政策を取った。中小企業に融資している銀行に対して、返済条件の見直しを事実上義務付ける「中小企業等金融円滑化法」を09年末に施行。この制度は何度も延長され、13年3月末まで続いた。

一種の麻薬

 日本の失業率は他の先進国に比べて極端に低いが、実際は雇用調整助成金などによって、潜在的な失業者が企業内に余剰人員として抱え続けられていることが数字を良く見せていると 、学者の間などからも繰り返し指摘されてきた。リーマンショック後の09年7月には完全失業率は5.7%だったが、雇用調整助成金の対象者250万人を加えて計算すると、実質的な失業率は9.7%だったことになる。

 企業経営者が人を雇うのは、従業員が付加価値を生み出し、企業に利益をもたらすからだ。企業が成長していけば、さらに従業員が必要になり、新しい雇用を生む。ところが、国民の税金を使って企業に余剰人員を抱えさせたらどうなるか。経営者はどうにかして利益を生み出そうという努力を怠るようになりかねない。

 また、従業員も、会社が傾けば自分のキャリアを生かせる別の職場へと転職していくのが普通だが、その流れが止まってしまう。経営が緩む一方で、従業員個人も自らのスキルアップを怠ってしまう。雇用調整助成金は一種の麻薬なのだ。

「産業新陳代謝

 産業競争力会議が、雇用維持から労働移動へと大きく舵を切ったのは、この麻薬によって個々の企業だけでなく、日本の産業界全体に雇用のミスマッチが起きていると見たからだった。本来ならば潰れるべき企業が潰れず、その企業が人材を「余剰人員」として抱え込んだままになっていることで、人手が足らない成長余力のある企業に人材が移らない。これが日本全体の成長を阻害しているのではないか、と見たのである。

 それを産業競争力会議では「産業新陳代謝」と呼んだ。同会議の議員である坂根正弘コマツ相談役(前会長)や新浪剛史・ローソンCEO(最高経営責任者)らが、新陳代謝の必要性を強く主張した。新浪CEOからすれば、コンビニなどのサービス産業には優秀な人材がなかなか集まってこないという現状を打破するには、役割の終わった製造業が無駄に人材を抱え込んでいる状況を何とかしなければならない、という思いがあった。

「整理解雇4要件」
 産業競争力会議では、解雇法制の整備も議論になった。企業が無駄な人員を抱え込むのは解雇の条件が法律で明確にされていないからではないか、という声が出たのだ。

 現在の解雇ルールとしては、判決で積み上げられた「整理解雇4要件」が存在する。高度の経営危機に直面するなど人員整理の必要性があることが前提で、新規採用の抑制や希望退職の募集といった整理解雇を回避する努力を履行すること、解雇する人の人選基準が合理的であること、説明や協議などの手続きが妥当であることなどが求められる。

 この4要件を満たすことはなかなか難しいうえ、会社が満たしたと考えても訴訟になるケースが少なくなく、裁判所の判断がどうなるかも分からない。日本の企業経営者にとって、整理解雇は不確実なリスクを抱え込むことになるため、欧米のように景気変動に応じた人員整理がなかなかできないのだ。

反対論の噴出

 だが、 産業競争力会議でこの解雇法制の話がでると、左翼系の野党やメディアが大騒ぎを始めた。

産業競争力会議は、企業が解雇しやすくなるように制度を変えようとしている」

 という反対論が噴出したのだ。

「誰も解雇をしやすくしようなんて言っていないのに、一部のメディアが書いたことで批判の嵐になった」

 と同会議の民間人議員のひとりは言う。

「解雇した場合の不確実性を取り除くために解雇のルールを法律で明示すべきだというのが議論の本質だった」

 と別の民間人議員も言う。

 また、 割増退職金を支払うなど金銭で解決できるようにする事も必要だという意見が出た。企業が訴訟などを恐れて本来必要な解雇をしないことも、余剰人員を抱え込むことにつながっている、というわけだ。

改革姿勢の後退

 最終的に、 批判を浴びたことで解雇法制の話は議論しないこととなった。7月の参議院議員選挙を控えて批判の種は作りたくない安倍首相周辺の意向が働いたという。

 そして結局、6月に出された成長戦略には解雇法制の話は盛り込まれなかったが、これが逆に改革姿勢の後退ととらえられた。欧米の金融界などは、日本が成長しない一因に硬直的な雇用慣行があると見ているのだ。改革姿勢を打ち出したアベノミクスでも企業のあり方そのものを変えることはなかなか難しいのではないか、という失望感が広がったのである。そうした失望の声を受けた安倍首相が 、秋に成長戦略第2弾を検討する姿勢をすぐさま表明せざるを得なくなったのは周知の通りだ。

雇用政策の抜本的見直し

 では、秋の第2弾では何をやるか。首相官邸は、市場関係者などから「不十分」と指摘された「農業」「医療・介護」、そして「雇用」をテーマに据える方針を固めている。それぞれに作業部会を設置して、9月にも議論を始める方針だ。つまり、雇用政策の抜本的な見直しも大きな柱になる。

 成長戦略には、

「多元的で安心できる働き方の導入促進」

 として、

「多様な正社員モデルの普及・促進を図る」

 という一文も盛り込まれている。いわゆる「限定正社員」の導入である。正社員は転勤や残業、職種の変更を受け入れないといけないのに対して、勤務地や職種を契約で限定する制度だ。派遣社員やパートなどの非正規雇用が広がった背景には、多様な働き方を求める人たちが多いからだという見方がある 。9月以降の議論では、こうした多様な働き方を可能にする雇用制度の具体化や、解雇法制の整備などが再び議論されることになりそうだ。

成否のカギは「岩盤規制」の撤廃

 もちろん、共産党社民党などはこうしたアベノミクスの雇用制度改革に強く反発している。冒頭の「労働移動支援助成金」の大幅な積み増しについても「大企業のリストラ支援策」だとして、強く批判している。

 アベノミクスの雇用政策の大転換がうまくゆくかどうかは、ひとえに将来の雇用が生まれるかどうかにかかっている。成長戦略では「解雇しやすくする」という批判を受けて「失業なき労働移動の実現」という一文が盛り込まれた。だが、雇用制度を労働移動型に変えた場合、短期的には失業者が増えるのは間違いない。その失業者たちを短期間で吸収する雇用機会をいかに作り出していくか ――。医療・介護や農業といった将来の雇用が期待される分野の「岩盤規制」の撤廃とワンセットで議論が進められるべきだろう 。