単なる「貿易協定」ではないTPP ”国境”が”県境”になる

ウェッジインフィニティに10月9日にアップされた原稿です。→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5467

 TPP(環太平洋経済連携協定)が、交渉参加12カ国の間で10月5日、大筋合意に達した。工業品や農産物をはじめ、知的財産権環境保護に至るまで幅広い分野でのルールが統一されることになる。工業品の関税は99.9%が撤廃されることになり、世界のGDP国内総生産)の約4割を占める巨大な経済圏が誕生することになった。

 TPPはTrans‐Pacific Partnershipの略とされるが、当初から様々な日本語訳が当てられてきた。環太平洋戦略的経済連携協定というものもあったが、最近は環太平洋経済連携協定や環太平洋パートナーシップ協定といったところで落ち着いている。

貿易協定ではなく、共同体を目指す

 経済連携というと貿易ルールを定めた協定のように感じるが、この協定の本質は単なる貿易協定ではない。加盟国がパートナーシップを組むこと、つまり共同体になることを目指している。環太平洋共同体構想と言った方が将来像を示しているかもしれない。

 2013年に安倍晋三内閣がTPP交渉を決めて以降、交渉を担ってきた甘利明・経済再生担当大臣は10月5日の記者会見に臨んで、こう発言している。

 「われわれのルールが世界に広がるに従って、世界がより豊かで相互依存関係が強くなる。つまり、これは経済の安全保障であると同時に、間接的に、安全保障にも、地域の連帯と平和にもつながっていく重要な試みだ」

 経済が一体化することで相互依存関係が深まり、安全保障や各国の連帯つまり「政治の統合」へと進んでいく。EU欧州連合)が経済の一体化から入って政治統合へと歩みを進めているのと同じく「共同体」を模索していこうというところに本質があると見るべきだろう。

 2006年5月にシンガポールブルネイ、チリ、ニュージーランドの間で発効した地域の自由貿易協定だったTPPに、米国が参加を表明して交渉を始めたのは2010年3月のこと。日本では2009年に民主党が政権を握り、鳩山由紀夫首相が「東アジア共同体構想」を打ち出していた。中国や東南アジア諸国と共に経済圏を構築するというもので、通貨の統一なども含んでいた。

 EUは加盟国を徐々に増やし、共通通貨ユーロの採用国も増加。共同体としての地歩を固めていた。そこに「経済成長のエンジン」とみられていたアジアまでが経済圏を築けば、世界最強を誇って来た米国経済の孤立化は免れない。2008年のリーマンショックによる米国金融界の凋落で、米国の地盤沈下が深刻さを増していた時期に重なった。

 その頃から経済産業省を中心にTPPへの参加が日本の大きな政治課題になった。背後に米国の圧力があったのは間違いない。つまりTPPはもともと経済連携は表看板で、本質は地政学的なヘゲモニー争いだったわけだ。

 それだけにTPPの大筋合意が持つ意味は大きい。単に関税を撤廃し外国産品を受け入れるという話ではないのだ。ゆくゆくはEUのような国境のない共同体へと進んでいくことになるのはまず間違いない。貿易の壁を撤廃するだけでなく、それぞれの国のルールを統合していくことになるだろう。これはすでに著作権の保護期間の統一といった交渉に明確に現れている。これが今後、経済ルールのすべてについて統一する方向に動き出すとみていいだろう。

「21世紀の世界のルールになる」という意味

 12カ国だけでなく、アジアの周辺国がこぞって参加し、大経済圏に育っていく。甘利大臣が「21世紀の世界のルールになる」という意味はそこにある。

 日本は間違いなく変化を迫られることになる。とくにこれまで関税という壁で守り、事実上の鎖国状態を維持することで保護されてきた産業は生き残りをかけて構造転換せざるを得なくなる。端的に言えば農業だ。コメ、麦、牛肉・豚肉、乳製品、砂糖などを、政府は「重要5品目」とし、TPP交渉の枠外として守る姿勢を見せたが、現実には段階的に関税が引き下げられ、輸入枠が拡大されることになる。TPP域内各国との競争にさらされるのは間違いない。

 これまでの関税による保護を前提にした体制は、価格競争では絶対に外国産に勝てない、ということが不動の前提だった。だが、それを前提にしている限り、その産業は滅びていくことになる。発想を変えて、安全性や品質、ブランド力などで高付加価値品を生み出し、生き残っていくしかない。何の努力もしなければ、価格が安い外国産品に消費者が向いていく。つまり、経営努力が不可欠になるのだ。

 オレンジの自由化で日本のみかん農家は全滅すると言われたが、現実はどうなったか。様々な品種改良が行われ、日本人好みの柑橘類が次々に生まれて新しい市場を作った。海外市場にも輸出されている。

 安い外国産米が今以上に入ってくることになるが、それで日本のコメが全滅すると考えるのは早計だ。すでに米価の下落などによってコメ作りの競争は一段と厳しくなっているが、一方で食味の良さを求める品種改良が進み、新しいブランド米が生まれている。日本のコメは品質では世界一だという自信が、コメを日本の輸出産品に変えていく可能性は十分にある。

 安倍首相は10月7日の内閣改造後の記者会見で「TPPをピンチではなくチャンスに変える」と言い切った。価格だけではなく、品質で選ばれる輸出農産品をどんどん生み出していけば、日本の農業の未来が開けて来るというのだ。

日本と米国の国境が、今の県境と同じになっていく

 そのためにはこれまでの慣行に捕らわれない改革が不可欠になる。現在は国家戦略特区だけで認められている農業生産法人の要件緩和などを日本全体で推し進めることが不可欠だ。株式会社が本格的に農業に参入する道を開くことも必要になるだろう。米国の大農業会社やニュージーランドの大畜産会社と真正面から戦って勝たなければならないからだ。

 同じ野菜でも北海道産と九州産では、当然天候の違いによる収穫量の差があり、それがコストに跳ね返る。だからといって、コストが安く価格も低い北海道産に課税しろという話にはならない。TPP内の地域が一体化していけば、それと同じ話だ。日本と米国の国境が、今の県境と同じになっていく。これは現実にEUで起きていることだ。

 そうした流れの中で、経営努力を放棄し、ルールで守られる道を模索し続けたらどうなるか。その時こそEU内のギリシャと同じような悲惨な国になるだけだろう。

 これから本格化するそれぞれの分野でのTPP対応では、大きく発想を転換する必要があるだろう。