アベノミクスのアキレス腱は「安倍首相の靖国参拝」 イデオロギーが景気回復を崩壊させる

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 日経平均株価が1万5000円を突破し、1ドル=100円台に乗せたアベノミクス効果。大胆な金融緩和など安倍晋三首相が掲げる経済政策によって日本経済は復活の兆しが見えている。6月にはアベノミクスの3本目の矢である「成長戦略」が示される。大方の見方はこの成長戦略がきちんと日本の将来ビジョンを語るものになるかどうかがアベノミクスの成否を分けるというものだが、ここへ来てアベノミクスに立ちはだかる別の懸念材料が頭をもたげている。安倍首相の靖国神社参拝問題である。

 「安倍首相が靖国に行ったらすべてがご破算になる」

 アベノミクスの成長戦略をまとめる産業競争力会議の議員を務める経営者はこう語る。この議員はどちらかと言えば右翼的思考の持ち主で、自ら靖国神社にも参拝していることを公言している。それでも安倍首相が靖国に行くことには反対なのだ。

中国人観光客は減少、日中貿易も減少
 「中国との関係を損なえば、経済的な損失は計り知れない。TPP(環太平洋経済連携協定)を進めようにも、米国の支持も失いかねない」

 そうこの経営者は危惧する。昨年秋の尖閣諸島国有化問題以降、冷え込んだ日中関係に回復の兆しはない。アベノミクスによる円安効果によって外国人観光客が急増しているが、中国人観光客はむしろ減少している。また、日中間の貿易も大きく減少しており、日中双方にとって経済的なマイナスは計り知れない。そんな微妙な日中関係が続いている現在、安倍首相が靖国神社を参拝するようなことになれば、もはや日中関係は修復不能な状況に陥るというのである。

 外務省の幹部も言う。「現段階で日中間で本音で語り合える人間関係を保っている人は、政治家にも官僚にもほとんどいない」。つまり、日中間の外交パイプが細り、意思疎通すらままならなくなっているというのだ。

 靖国神社参拝問題は日韓関係にも大きな影響を与えている。4月末には韓国の尹炳世外相が訪日し、岸田文雄外相と会談する方向で最終調整が行われていた。従軍慰安婦問題を巡って昨年来ぎくしゃくしてきた日韓関係を修正する好機とみられていた。

 ところが、靖国神社で行われていた春の例大祭に、超党派の国会議員でつくる「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長・尾辻秀久厚生労働相)が集団で参拝。麻生太郎副総理のほか、高市早苗自民党政調会長など1989年以降最多の168人が詣でた。さらに安倍首相が、「内閣総理大臣」の名義で真榊(まさかき)と呼ばれる供え物を奉納したことも伝わり、外相訪日は急遽取り止めとなった。

 「首相をはじめ閣僚は参拝しなかったうえ、内閣の要である官房長官靖国には行っていない」と首相に近い官邸スタッフは言う。安倍首相は意図して靖国に行っていないというのだ。日中関係、日韓関係を立て直そうという意思が安倍首相にはあると言いたいのだろう。

 第1次安倍内閣では、それまでの小泉純一郎内閣で冷え切ってきた日中関係を見事に修復してみせた。首相に就任して真っ先に中国を訪問したのだ。この時の経緯から、中国側も安倍氏に対して信頼を置いている、という見方がある。安倍首相で日中関係は修復可能だというわけだ。

日中、日韓、日米、日露いずれも正念場

 安倍氏の外交戦略はしたたかである。日中、日韓など緊張度を増した関係に真正面から向き合ううえで、抑止力となる日米関係を真っ先に改善した。日本のTPP交渉参加は、米国の国内経済再興に不可欠の案件といえたが、ここで一気に歩み寄り、恩を売ってみせた。また、アジア戦略を強化する中で、必然的に中国と対峙することになるロシアとの関係回復にも取り組み、エネルギー販売の落ち込みなどで経済的に苦しむプーチン大統領に急速に歩み寄った。日中、日韓、日米、日露という日本にとって重要な外交関係が、一気に「正念場」を迎えているのである。

 そんな中で、米・露との関係強化を見せ付けることによって、中・韓に弱腰でない外交を仕掛けているとみることもできる。まさに外交の基本方針ともいえる「遠交近攻」である。

 問題は中・韓との「落とし所」を安倍首相が見極めているかどうかだ。尖閣問題で抜き差しならぬ状態にまで突き進んだ日中関係や、橋下徹大阪市長慰安婦を巡る発言などで一気に緊迫度を増した日韓関係も、お互いに「落とし所」を探る局面に入っている。中国の場合、景気減速が鮮明で、諸外国の対中国投資も大きく落ち込んでいる。期待の日本がここで手を完全に引けば、中国経済は沈没しかねない。政権交代直後で経済の建て直しを急ぎたい韓国も事情は同じだ。

 にもかかわらず、安倍首相が「空気が読めない」行動に出る可能性が浮上している。8月15日の終戦記念日靖国神社を参拝するのではないか、というのだ。外務省や安倍氏の経済ブレーンはこぞって参拝に反対している。だが、安倍氏を取り巻く右翼的とも言える思想を共有する議員たちは、安倍首相が靖国を参拝しないということは「あり得ない暴挙だ」とみているのだ。

 安倍氏は2006年から2007年の第1次安倍内閣当時、靖国神社への参拝を見送った。これは外務省や側近の進言に従ったものだったが、その後の野党時代に振り返って「忸怩たる思いだ」と述べている。安倍氏の周囲にいる右翼的な支持者は、今回は間違いなく靖国に行く、と信じているのだ。8月15日の終戦記念日を見送っても、秋の例大祭の時には必ず行くとみている。安倍氏も繰り返し、「国家に命を捧げた人々が祭られた場所に行くのは世界的な常識だ」と述べ、靖国参拝に含みを持たせている。

イデオロギー」が景気回復の足かせに

 外務省をはじめ、経済ブレーンたちは、そんな安倍氏にどうやって靖国参拝を思いとどまらせるか、必死になっている。安倍氏靖国に行けば日中、日韓関係が致命的に悪化し、アベノミクスで上向いた景気が一気に失速しかねない、という説明を繰り返している。それでも安倍首相が参拝しないという確信を得られていない、というのだ。

 外務省の幹部は言う。「日中、日韓関係を踏みにじるような行動に出た場合、米国も日本に対して愛想を尽かす可能性がある」。つまり、現在は米国は、尖閣諸島日米安保条約の範囲内というリップサービスを繰り返しているが、日本が中国に対して喧嘩を売るなら、後は勝手にしろということになりかねない、というのである。そうなって、中国人民解放軍尖閣諸島に上陸するような事態が起きれば、日本の外交は完全に敗北したことになるだろう。

 そうなれば、もはやTPP(環太平洋経済連携協定)などという経済問題を語り合うムードは失われる。アベノミクスによる景気浮揚も幻想に終わりかねないわけだ。日本経済の復活は日本を取り巻く地政学と無縁であるはずはない。アベノミクスの成功を揺るがせるのは、安倍首相の“信念”とも言われる右翼的思考かもしれない。