シン・ゴジラ、「霞が関」の現実と虚構の境目 「プロ」の官僚たちもリアリティに共感

日経ビジネスオンラインに9月9日にアップされた原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/083000015/090800012/ 

日経ビジネスオンラインでは、各界のキーパーソンや人気連載陣に「シン・ゴジラ」を読み解いてもらうキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を展開しています。※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。


NHKアナ・堀潤さんに勧められて

 「シン・ゴジラ観ましたか。私はもう2回観ちゃいました」──。8月上旬にTOKYO MXテレビの『モーニングCROSS』という番組にコメンテーターとして出演した際、メイン・キャスターの堀潤さんがシン・ゴジラを激賞していた。「ネタバレになるから言いませんけど、永田町や霞が関の描写がなかなかなんです」。

 堀さんは元NHKのアナウンサー。NHKを辞めたのは、東京電力福島第一原子力発電所事故のNHKの報道姿勢をツイッターで批判して報道担当を外されたからだとされている。福島原発事故をジャーナリストとして見続けてきた人だ。

 もともと初代ゴジラは、ビキニ環礁の水爆実験などが社会を揺るがしていた時代に、核が生み出した怪獣として誕生した。ゴジラに夢中になった筆者世代にとって、それは常識だから、堀さんがシン・ゴジラを激賞する理由もすぐに想像できた。さっそく翌日、観に行った。

霞が関官僚が真っ先に食いついた

 シン・ゴジラは、「想定外の危機」に政治家や官僚たちが立ち向かう一種の政治ドラマだ。子供向け怪獣娯楽映画かと思って観ると、理屈っぽく、話が複雑。リアリティが強すぎる。逆に言えば、政治家や官僚の動きを見事に再現した「プロ受けする」映画と言っていいだろう。危機管理に仕事で関わる霞が関官僚が真っ先に食いついたのはこのためだ。

 経済産業省の改革派官僚として公務員制度改革などに携わり、退職して独立した後も改革の仕掛け人の役回りを担っている原英史・政策工房社長など、官僚の視点からシン・ゴジラの出来を解説する記事を新潮社のフォーサイトに書いてしまったほどだ(フォーサイトの該当記事)。

官僚の目から見ても「違和感なし」
 経産省から内閣官房の危機管理担当部局に出向した経験もある原氏はこう書いている。「映画にも出てくる『内閣危機管理監』の下、当時、東海村JCO臨界事故(中略)など、オペレーションルームでの対応にあたった経験があるが、それに照らしても違和感はほとんどない。それぐらい、よく関係者に取材して作られていると思う」

 官僚の目から見ても「違和感がない」仕上がりになっているというのだ。つまり、映画が描く政治家や官僚たちの行動がリアルなのである。

 福島第一原発の事故では、政府や東電、国会、民間などがそれぞれ事故調査委員会を設け、膨大な報告書を残した。手元に国会事故調がまとめた報告書があるが、報告書本編だけでも641ページに及ぶ。映画のシナリオを作る段階では、こうした報告書をかなり読み込んだのだという話がプログラムに書いてあり、なるほどと合点がいった。

 さらに事故当時、内閣官房長官だった枝野幸男氏にもインタビューしている。詳細はこのシリーズのインタビュー記事に書かれているので読んでいただきたい。(記事「枝野氏だからこそ語れるシン・ゴジラのリアル」)

 シン・ゴジラ福島第一原発事故をモチーフにしているのだ。「想定外」の危機に直面した時、政治家や官僚たちはどう動くのか──。シン・ゴジラはそんなテーマが下敷きになっている。娯楽映画を装いながら社会派の映画なのだ。

 国会事故調の報告書には官邸に対する厳しい言葉が並ぶ。

 「危機管理意識の不足」、「指揮命令系統の破壊」、「政府・官邸の役割に関する認識の不足」──。官僚機構に対しても、「政治家に対する事前説明の不足」、「平常時の意識にとらわれた受動的な対応」、「縦割り意識による弊害」と辛らつな評価が下されている。

原発事故時の官邸は大混乱

 そして、当時のドラマの一部が再現されている。報告書に出て来る当時の福島第一原発吉田昌郎所長(故人)の証言はこんな具合だ。

 「(官邸にいた東電の)武黒から電話がかかってきて、『おまえ、海水注入は』、『やってますと』というと、『えっ』、『もう始まってますから』、『おいおい、やってんのか』と。『止めろ』と言うので、『何でですか』と。『おまえ、うるせえ。官邸が、もうグジグジ言ってんだよ』」

 当時の官邸の大混乱ぶりが伝わってくる。

 当時の官邸や霞が関は、明らかに「想定外」の危機に直面して右往左往し、冷静に対処することができなかったのである。テレビを通じてそんな気配を察知していた多くの国民は、5年半たった今、暴れまわるシン・ゴジラの姿に当時の記憶を重ねている。だからこそ、一見「プロ向け」の映画が、大ヒットになっているのだ。何とシニカルな現実だろう。

「現実」と「フィクション」が溶け合う

 映画ではシン・ゴジラが出現した初めの段階では、そんなダメな官邸や霞が関を彷彿とさせる光景が出て来る。国民への発表文を決める会議の最中にまったく想定と違う事態が生じて、あたふたと会議を取りやめたり、国民に真実を伝えることよりも、国民の反応を気にしたりと、2011年の春を思い起こさせる描写が続く。シン・ゴジラへの攻撃命令を出していながら、最後の最後に人影を発見、首相が攻撃を中止させる場面も、「人命は地球より重い」と言ってしまった過去がある日本の政治家の姿を描いている。

 だが、後半になると、ダメだろうな、と思っていた閣僚が決断し、内閣官房に集められた特命チーム「巨大不明生物特設災害対策本部巨災対)」が活躍を始める。最後の最後に何とか危機を食い止めるのである。映画には、周囲のエリート官僚たちを片っ端から怒鳴りつける首相は出て来ず、意外にも冷静沈着に判断を下している。それを官僚たちが見事に支えている。そんな「作り」が霞が関の現職官僚たちをも奮い立たせているのだろう。

 官邸に集められる巨災対のメンバーたちが各省庁の異端児、変わり者であるという設定も、霞が関の官僚たちが溜飲を下げる大きな要素になっている。霞が関の縦割り組織の中で、自分は十分な役割を与えられておらず、本来の能力を発揮できていないと思っている官僚は、実はかなり多い。危機に際して声をかけられた劇中の官僚たちに、自分自身を重ね合わせているのだ。

 シン・ゴジラにハマっている霞が関官僚の間では、市川実日子演じる尾頭ヒロミ環境省自然環境局野生生物課課長補佐は、○○省の××さんにびっくりするほど似ている、といった「現実」と「フィクション」をないまぜにした話が盛り上がっている。それぐらいリアリティを感じているのだろう。

首相を助け官僚を統括、「官房副長官」というポスト

 与党政治家の間では長谷川博己演じる矢口蘭堂内閣官房副長官に自らを重ね合わせる人が多い。官房副長官は若手実力政治家の登竜門ともいえるポストで、衆議院議員参議院議員から各ひとり任命される。首相や官房長官のそばにいて、その意思を官僚組織につないでいく「結節点」にあるポストだ。

 首相や大臣の活躍を描かれても若手政治家にとっては「遠い将来」の話でしかないが、官房副長官となれば、早晩自分にも回って来る可能性がある、と感じられる。官僚だけでなく、若手政治家の間からも、「私は何回観ましたよ」といった声が出て来るのは、こうしたヒーロー設定が現実味を帯びているからだろう。

 映画では巨災対のメンバーの活躍で、タイムリミットギリギリでシン・ゴジラの凍結プランを完成させる。焼け野原の中で動かなくなったゴジラの姿を政治家矢口らが見つめるところで映画は終わりを迎えるが、これはあたかも福島第一原発を凍土壁でかろうじて封じ込めている現状にほかならない。いつまたシン・ゴジラが暴れ始めるのか、あるいはこのままシン・ゴジラは永遠に封じ込められるのか──。

 登場人物に自分を重ねられる部分のある人は、かならずシン・ゴジラにハマる。2度3度と見る人も増えている。ちなみに私が映画を観るきっかけを作ってくれた堀さんは、9月1日段階で5回観たそうだ。

 「集まって来る官僚たちの持っているパソコンのメーカーがみなバラバラなんですよ」

 そんな微細なところにも堀さんは霞が関のリアリティを見出していた。なかなか手の込んだ作品である。