なぜ政治家に「忖度」するのか 「内閣人事局」が問題なのではない

月刊エルネオス4月号(4月1日発売)に掲載された原稿です。

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 森友学園問題は、国有地売却に関わった財務省近畿財務局が、本省の指示によって決済文書を事後に改ざんしていた事が明らかになるという驚きの展開になった。財務省が認めたところによると14件の文書を300カ所にわたって書き換え、森友への国有地売却が「特例」であるという表現が削除されていたほか、安倍晋三首相の妻である昭恵氏の名前や政治家の名前が消されていた。

 なぜ、公文書を改ざんするという法律に触れかねない前代未聞の行為にまで財務省は組織的に踏み込んだのか。改ざん当時、理財局長だった佐川宣寿・前国税庁長官の国会答弁に合わせるために、佐川氏の指示で改ざんしたとされるが、佐川氏個人の犯行などという説明では国民の多くは納得しないだろう。

 そもそも、森友学園への売却は「特例」ではなく、適切に処理されていたと繰り返し国会で答弁した佐川氏は、なぜ、そんな嘘を国会で答弁せざるを得なかったのか。

 疑われるのは政治家の関与だ。よもや安倍首相自身が改ざんを指示したとは思えないが、内閣官房長官首相官邸詰めの幹部官僚が関与していなかったか。焦点はそこにある。

 政治家が直接の指示を下さなくても、官邸の官僚たちが、首相にマイナスにならないよう理財局長に工作を指示したことはなかったのか。徹底した調査が必要だろう。

 少なくとも、佐川氏が状況を「忖度」して国会答弁をし、それに合わせて改ざんしたのは明らかだろう。だが、普通に考えて、官僚が自らの身の危険をおかしてまで、そんな事をするか。その後佐川氏は、理財局長から国税庁長官というトップに登り詰める処遇を受けており、外形的にみて、「忖度」には見返りがあったという事もできる。

 出世に目がくらんだ官僚が「忖度」して公文書の改ざんまで行った、ということなのか。

 霞が関の官僚からは安倍政権になってできた「内閣人事局」が問題だ、という声が上がっている。2014年に内閣官房の下に置かれた組織で、省庁の幹部600人の人事を一元的に行う。「省益あって国益なし」という省庁縦割りの仕組みを打破するために、内閣人事局が幹部の実質的な人事権を握ったのである。公務員制度改革の柱のひとつだったが、これには霞が関から猛烈な反発が起きた。

 内閣人事局長は官房副長官が就くことになっているが、初代の内閣人事局長は政治家の官房副長官である加藤勝信衆議院議員(現・厚生労働大臣)が就任した。官房副長官には事務方のトップもいて、当初は事務の副長官が室長を兼ねるとみられていたが、最後の最後で安倍首相は政治家を任命した。政治主導で幹部人事を仕切る体制を明確にしたのだ。

 こうした人事の「官邸主導」が政治家への「忖度」を生んだというのが、内閣人事局批判の根幹である。

 確かに、内閣人事局ができて、官邸の顔色を伺う官僚が増えたのは事実だ。省の都合よりも内閣の意向を尊重するようになったのである。もともと官僚は人事権者には従順な人たちだ。人事権を握った政治家の指示には素直に従うようになった。

 内閣人事局ができる前はどうだったか。各省庁の事務のトップである事務次官が人事権者として絶対的な力を握っていた。大臣ですら人事権を振おうとすれば、大騒動になった。そうした例は過去に多くの例がある。

 省庁の人事を握る事務次官の権力は大きく、事務次官会議で了承したものしか閣議にかけることはできないという不文律までできていた。それが、戦後一貫して続いた官僚主導体制だったのだ。つまり、政策を政治主導で行うには人事権を内閣が握る必要があったのである。

 政治への「忖度」が起きるから内閣人事局を廃止せよというのは、官僚による、為にする議論だ。官僚は国民全体への奉仕者だから政治家からも独立していた方が良い、というのは詭弁である。忘れてならないのは、政治家は国民が選挙によって選ぶことができるが、官僚は国民が直接選ぶわけではない。その官僚の人事権を内閣が握るのは民主主義社会では当然のことだろう。

 だが、官僚が時の政権への「忖度」で、国民を欺く不法行為を行う事は断じて許されるべきではない。安倍内閣は自らの責任において、そうした公務員としてあるまじき行為を行った個人の責任を徹底的に追及すると同時に、組織ぐるみで不正を行った財務省を徹底的に糾弾すべきだろう。

 また、第2次安倍内閣以降、停滞している公務員制度改革に本腰を入れるべきだろう。

 そのうえで、そうした「忖度」の土壌を作った政治の責任は明確化すべきだ。国会で嘘の答弁を続け、国民を騙し続けた麻生太郎財務大臣の責任は免れないし、結果的には自分自身や妻への追及を回避することにつながってきた安倍首相の責任も問われる。

 そうした「忖度」が生じた最大の原因は、安倍内閣が長期政権になったことだ。官僚からすれば、今の政権が将来にわたって続くとみれば、「忖度」することが自分の保身に役立ち、将来の出世にも結び付く、と考えてしまうことになる。

 長期政権は安定をもたらし、外交や経済政策に一貫性を持たせるプラス面も大きい。だが、時間がたてば権力は澱むのが常だ。安倍首相は改ざん前の文書が国会に提出された段階で、「前の文書をみてもらえれば、私や妻の関与が無かったことがはっきりした」と開き直った。その答弁に権力者の奢りを感じた国民は少なくなかったのではないか。

 世論調査でも内閣支持率は大きく低下している。そんな折に、政権を託せる力を持つ野党がないのは不幸なことだ。安倍内閣を上回る明確な外交戦略や経済政策を掲げる野党はない。また、自民党内にも安倍首相を追い落とした後、安倍首相を上回る政策実行力を持っているように見える宰相候補がいないようにみえる。

 「官邸主導の政治」というここ20年にわたって続けてきた日本政治の体制改革がその真価を問われている。