「内閣人事局こそが忖度の元凶」という指摘はあまりにお門違いだ 官僚の論理に乗ってはいけない

現代ビジネスに3月21日にアップされた原稿です。オリジナルページ→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54940

前代未聞の不正だが…
森友学園への国有地売却を巡って公文書が事後に改ざんされていた問題は、なぜ財務省の幹部が法に触れかねないような前代未聞の不正を指示したのか、その動機の解明が焦点になっている。

首相官邸の政治家が改ざんを指示したのか、首相に近い官邸官僚の指示はあったのか。疑問は尽きないが、多くの国民は、最低でも官僚による「忖度」が働いた結果だという思いを抱いているに違いない。

『現代ビジネス』のコラム「朝日新聞『森友新疑惑』事実なら財務省解体、誤りなら朝日解体危機か」で元財務官僚の郄橋洋一氏は、朝日新聞の「改ざん」報道に対して、もし本当ならば財務省は解体、もし誤報ならば朝日新聞が解体になるぐらい重大な問題だ、と指摘していた。

官僚だった高橋氏は、よもや後輩たちが決裁された公文書を書き換えるなどということをするはずがない、と信じ、朝日の報道を疑っていた様子が伺われる。他の官僚OBも異口同音に、いくら何でも法律に触れかねない公文書書き換えなど手を染めるはずはないと発言していた。

近畿財務局に書き換えを直接指示したとみられる佐川宣寿・元財務省理財局長の国会での証人喚問が決まったが、どうやら与党は佐川氏の個人の罪に矮小化しようとしているようにみえる。佐川氏が自分の出世を考えて、忖度して文書の書き換えを指示した、という筋書きだ。

だが、もしそうだとしても、その忖度に応える形で、理財局長から国税庁長官に昇進させているので、官邸の政治家がまったく責任がない、という話にはならない。

内閣人事局批判は「お門違い」
そこで焦点になるのが内閣人事局である。第2次安倍晋三内閣が発足したのち、2014年5月に発足した。国家公務員の幹部職員600人の人事を一元的に行うための組織で、内閣官房の下に置かれた。

第1次安倍内閣の折、安倍首相が力を入れた公務員制度改革の目玉のひとつで、いわゆる「官邸主導体制」に不可欠のものとされた。それが、第2次安倍内閣で実現したわけだ。

それまで、各省庁の人事権は実質的に事務方トップである事務次官が握っていた。大臣が幹部人事に口をはさんで大騒動になったこともある。結果、「省益あって国益なし」と言われる「官僚主導体制」が脈々と続いていた。

人事を掌握する事務次官の権力は大きく、事務次官会議で承認されなければ閣議にかけることができない、という不文律も生まれた。その不文律を破ったのも、第1次安倍内閣時の安倍首相だった。

森友学園問題の「忖度」を巡って、この内閣人事局が問題だ、という声がとくに霞が関から湧き上がっている。人事を政治家が握っているから政治家に忖度するのだ、と言わんばかりである。

官僚は国民全体の奉仕者であって、特定の勢力への奉仕者ではない、としばしば官僚は口にする。だが、それはバカな政治家の言うことを聞くのではなく、優秀な官僚が国を動かす方がうまくいく、という「官僚主導体制」へのノスタルジーだろう。

政治家に任せるより、官僚に任せる方が不正が起きない、という論理は、一見正しいようにも見える。

だが、忘れてはいけない。政治家は国民の選挙によって交代させることが可能だが、官僚はクビにすることができないのだ。内閣人事局があると言っても、実際には降格人事はまずできないので、ポストが空かず、抜擢人事もできない。

内閣人事局長は発足当初、霞が関の大方の予想を裏切って、政治家の官房副長官が就いた。初代は加藤勝信官房副長官(当時)、二代目は萩生田光一・副長官(当時)である。ところが、三代目には事務の官房副長官である杉田和博氏が昨年8月に就任している。

何と言うことはない。安倍内閣の人事権限は再び事務方に戻っているのだ。それでも、内閣人事局が問題だ、というのは、かつての「省益優先」官僚体制に戻せと言っているに等しい。

あくまで問題は「官僚」にある
いくら忖度だと言っても、不正を働いて国民を騙すような役所は絶対に許してはならない。麻生太郎財務相が徹底的に真相を究明するのは当然のことだ。郄橋洋一氏が言うように、財務省を解体するぐらいの思い切った改革を打ち出すべきだ。

いくら忖度であろうが、不正を働けば自分自身も役所も大きなペナルティを被るという前例を作らなければ、同じことが繰り返される。

役所や官僚に対してどれだけ厳しい追及ができるかどうかを見ていれば、文書を改ざんさせるよう官邸が「空気」を作ったのか、どうかが見えてくる。甘い処分でごまかすならば、やはり「忖度」はあったのだ、ということを満天下に示すことになるだろう。

徹底した調査と厳しい処分の後には、政治家としての責任が問われることになる。財務大臣はもちろん、引責辞任は避けられない。内閣人事局で佐川氏を国税庁長官に据えた内閣官房副長官官房長官の責任は重い。

内閣人事局がおかしいという批判は、官僚による為にする議論である。政治主導が悪だという国民がいるとすれば、天に唾する行為だろう。人事の失敗によって「忖度」するような官僚をはびこらせたのだとすれば、政治家が任命責任を負えばよい。