安倍外交が目指す「戦後レジームの総決算」 広島へのオバマ訪問、そして日露平和条約締結へ

日経ビジネスオンラインに9月12日にアップされた原稿です→http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/238117/090900030/

歴代首相の誰より外交に力

 安倍晋三首相は歴代首相の中でも飛び抜けて外交に力を注いでいる。外務省によると2012年の第2次安倍内閣成立以降、安倍首相の外遊は、今年8月末までで44回で訪れた国・地域は64カ所にのぼる。同じ国を複数回訪れているケースもあり、のべ訪問国・地域は97にのぼる。

 9月に入ってからも、その勢いは衰えない。9月2日にはロシアのウラジオストクプーチン大統領と首脳会談を行い、5日には主要20カ国・地域(G20)首脳会議で訪れた中国・杭州習近平国家主席と会談した。6日にはラオスビエンチャンを訪れ、日本・東南アジア諸国連合ASEAN)首脳会議や東アジアサミットなどに出席した。これで訪れた国・地域ののべ数は100を超えた。さらに9月下旬には国連総会に出席するのに合わせて、日本の現職首相として初めて、キューバを訪問する方向だ。

 安倍首相の精力的な外遊ぶりには、外務省の幹部でも舌を巻く。歴代内閣でもぶっちぎりである。民主党政権時代は、鳩山由紀夫首相が10回で、のべ11カ国・地域を訪問。菅直人首相は東日本大震災もあったことから、7回でのべ8カ国・地域しか訪れていない。野田佳彦首相時代は増えたが、それでも16回、のべ16カ国だった。

 安倍首相は第1次安倍内閣時代も8回、のべ20カ国・地域の訪問をしており、日本の歴代首相として、間違いなく最も多くの国を訪れた政治家として歴史に名を留めるのは間違いない。アベノミクスでも、憲法改正でもなく、外交で歴史に名前を残すことになるのだ。

米大統領の広島訪問でひとつの戦後体制に区切り

 そんな安倍外交の本質とは何だろう。

 キーワードは「戦後レジームの総決算」である。第1次安倍内閣の頃はしばしば官邸からもこの言葉が発信されたが、第2次安倍内閣以降はほとんど使われなくなった。だが、安倍首相がやろうとしている事が「戦後レジーム(戦後体制)の総決算」であることは間違いない。

 その象徴的な出来事が、今年5月27日に実現した。バラク・オバマ大統領の広島訪問である。日米間で戦われた太平洋戦争での日本敗北の象徴的な場所である広島を、米国の現職大統領が訪問することは、本当の意味で「日米戦後和解」だった。

 編集者の間宮淳氏が、広島へのオバマ訪問が実現する直前に、「日米『戦後和解』への長い道のり」と題した記事を書いていた。その中で、欧州では、連合国軍の大規模な無差別爆撃で大勢の一般市民の犠牲者を出したドイツのドレスデンで「50周年追悼式典」が開かれ、英エリザベス女王の代理であるケント公や米国の統合参謀本部議長らが参列し、共同で犠牲者を悼んだ「ドレスデンの和解」が行われたことを記している。一方で日米間では、原爆やヒロシマナガサキがタブーとなり、終戦50周年でも、60年でも「和解」が実現できなかったことを紹介している。そのうえでこう結んでいる。

 「広島において、日米のドレスデン型の和解が実現すれば、東アジア地域の中で日米だけがいち早く、『責任問題も謝罪も関係なく、勝者も敗者もともに戦争犠牲者を追悼し、和解する』という、もはや国際基準となったヨーロッパ型の戦後和解に移行することを意味する。それ故、この事自体、東アジアの戦後にとってある意味、画期的となる」

 まさしく安倍首相の外交によって、戦後レジームのひとつに決着が付けられたというわけだ。

残された最大の課題「北方領土

 さらに、ここへ来て、安倍首相は、もうひとつの大きな「戦後レジーム」を終結させようとしている。日露関係だ。

 日本とロシアは、旧ソ連ソビエト社会主義共和国連邦)時代の1956年に、戦争状態の終了、外交関係の回復等を定めた「日ソ共同宣言」に署名した。日ソ間に残された「北方領土問題」で意見の一致をみることができず、平和条約を結ぶことができなかったためである。

 その段階で、平和条約締結交渉の継続に同意、北方4島のうち、歯舞群島色丹島については、平和条約の締結後、日本に引き渡すことで同意した。その後、「冷戦」体制の崩壊やソ連の消滅などで、交渉が前進するかに見えた時期はあったが、いまだに平和条約は結べていない。まさしく戦後体制最大の残された課題なのである。これに安倍首相は決着を付ける姿勢を明確に打ち出している。

 ウラジオストクで9月3日に開かれた「東方経済フォーラム」全体会合での安倍首相のスピーチは熱のこもったものだった。官邸のホームページで聞くことができる。

「異常な事態」への終止符を呼びかけ

 演説の終盤で安倍首相はそれまでの「プーチン大統領」という呼び方をファーストネームの「ウラジーミル」に変え、こう呼びかけた。

 「ウラジーミル、あなたと私には、この先、大きな課題が待ち受けています。限りない可能性を秘めているはずの、重要な隣国同士であるロシアと日本が、今日に至るまで平和条約を締結していないのは、異常な事態だと言わざるを得ません。

  私たちは、それぞれの歴史に対する立場、おのおのの国民世論、そして愛国心を背負って、この場に立っています。日本の指導者として、私は日本の立場の正しさを確信し、ウラジーミル、あなたはロシアの指導者として、ロシアの立場の正しさを確信しています。

  しかしこのままでは、あと何十年も、同じ議論を続けることになってしまいます。それを放置していては、私も、あなたも、未来の世代に対してより良い可能性を残してやることはできません。

  ウラジーミル、私たちの世代が、勇気を持って、責任を果たしていこうではありませんか。あらゆる困難を乗り越えて、日本とロシア、2つの国がその可能性を大きく開花させる世界を、次の世代の若い人たちに残していこうではありませんか。この70年続いた異常な事態に終止符を打ち、次の70年の、日露の新たな時代を、共に切り開いていこうではありませんか。」

故郷にプーチン大統領を招待、「安倍首相は本気だ」

 北方領土を巡る結論の出ない交渉に終止符を打ち、平和条約を結ぼうと呼びかけたのである。外務省の幹部も「安倍首相は本気だ」と語る。

 安倍首相は故郷である山口県に、プーチン大統領を招待した。12月15日に首脳会議が行われる。ここで日露平和条約の締結で基本合意する──。もしそれが実現できれば、日露間の「戦後」は終わる。

 もちろん、交渉はそう簡単ではない。だが、プーチン大統領が相当前向きであることは間違いない。安倍首相は前回、ロシアのソチでプーチン大統領に会った際、経済協力できる8分野について提案した。その1番目に掲げたのが、「最先端の医療施設を整備して、ロシア国民の健康寿命を伸ばす」という提案だ。

 実は、ロシアは深刻な人口減少に直面している。安倍首相の演説でも、こんな一節が出てくる。

 「今度の旅を準備する過程で、ロシアの人口統計を目にする機会がありました。そして、私は驚かざるを得ませんでした。1976年からの10年間に生まれた男女が2300万人近くに達しているのに、今ちょうど10代の人口となると、1400万人を切っています。96年からの10年に生まれた人たちで、統計はあたかも、90年代後半に、ロシアがくぐった困難を物語っているようであります」

人口減少が深刻な極東のシベリア

 外務省のロシア情勢に詳しい幹部の話によると、ロシアの人口減少は深刻で、とくに極東のシベリアでは人口が大きく減っている。一方で、シベリアの南の中国は膨大な人口を抱えており、国境をはさんだ人口バランスの悪さにロシアは危機感を持っているという。

 つまり、中ロが親密さを増せば、人口の多い中国に経済活動の主導権を握られるのが明らかだというわけだ。そこで、日本との経済協力がロシアの戦略上、重要になって来る。そういうシナリオの下で、安倍外交はロシアに協力を持ちかけているのだ。

 ロシアの人口を増やすのに最も手っ取り早い方法は、出生率を上げることではなく、死亡率を下げること。ロシア人男性の平均寿命は64歳と言われる。日本人男性はほぼ80歳だから15年短いのだ。このため健康で長生きさせるための医療制度や施設の整備に日本が協力しようというのである。

ロシアにとって、安倍首相はG7への窓口

 クリミア併合以降、ロシアが国際社会の中で孤立を深めていることも、日本にとっては好機到来である。主要国(G7)の中でプーチン大統領との関係を最も保っているのが安倍首相であることは間違いない。ロシアからみれば安倍首相はG7への窓口でもある。

 もちろん、米国が日露関係の改善に抵抗する、という読みはある。日本を自由主義陣営に留め置くために、中国やロシアとの間に領土問題というクサビを打ち込んだのは明らかだ。それが戦後体制を規定してきた。だからこそ、オバマ大統領の広島訪問という「日米最終和解」が不可欠だったのだ。日米の信頼の絆を太くしなければ、日露関係の改善に踏み込むことはできなかったのである。

 日露平和条約が実現し、北方四島だけでなく、ロシア東部、シベリア地域での経済開発が動き出せば、日本経済にとっても大きなプラスになるだろう。今後、12月に向けて水面下で進む実務者協議で、どれだけお互いにメリットがあるかを共有できれば、戦後70年の「異常な事態」が終焉することになるだろう。