新商品は「古(いにしえ)」にあり 「うまいもの」が奈良で復活 磯山友幸 (経済ジャーナリスト)

WEDGEで連載中の「地域再生キーワード」。4月号(3月20日発売)に掲載されたものです。オリジナルページ→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6854

Wedge (ウェッジ) 2016年 5月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2016年 5月号 [雑誌]

 「奈良にうまいものなし」と言われる。だが、そんなことはないと立ち上がった奈良・春日大社の元権宮司。歴史に刻まれた「うまいもの」の復活が地域の新たな活力となる。

 「志賀直哉は『奈良にうまいものなし』とのたもうたけど、どうしてどうして、いろいろありますのや」

 古都・奈良の春日大社権宮司を務めた岡本彰夫さんは、長年、古(いにしえ)の文物の復興に力を注いできた。神官として仕えた春日大社でも、神社に残る古文書類などを調べあげ、儀式を古来の姿に戻す努力を昨年退職するまで続けた。そんな大和・奈良の伝統を重んじる岡本さんが熱心に取り組んでいるのが、歴史に刻まれた「うまいもの」の復活なのだ。

 奈良県北中部・桜井市初瀬にある長谷寺は古来、霊験あらたかな観音霊場として貴人から庶民に至るまで多くの人の信仰を集めた。伊勢神宮へ続く伊勢街道沿いでもあり、門前町は多くの往来客で賑わった。その初瀬に近い黒崎村(現・桜井市黒崎)に「女夫饅頭(めおとまんじゅう)」という名物があったという。


 古書の収集家でもある岡本さんは、嘉永6年(1853年)に刊行された『西国三十三所名所図会』に、この女夫饅頭を商う店の繁盛ぶりを描いた図があるのを見つけ、どんなものなのか、興味を抱き続けていたという。 


 「調べてみると200年以上の歴史があって、あの本居宣長も食べたと『菅笠日記』に書いている。由緒正しい饅頭だということが分かったんです」と岡本さんは振り返る。享保21年(1736年)に幕府の命で編纂された『大和志』に黒崎名物として饅頭が載せられているのが現在確認できる最古の記録だという。

 そんなある日、桜井市で地域おこしに力を注ぐ堀井清孝さんと、この女夫饅頭を復活したらどうか、という話になった。堀井さんは印刷会社を経営するかたわら、「やまとびと」というコミュニティ誌を発行・配布していた。古の女夫饅頭が地域の新「名物」になるのではないか、というわけだ。

 岡本さんは奈良の旧市街に店を構える『樫舎(かしや)』の主人、喜多誠一郎さんに製作を依頼した。古文書にも正確な製法が残っているわけではない。何度かの試作を繰り返して、女夫饅頭は見事復活した。2012年のことだ。

 上が白の上用饅頭で、下が紅の酒饅頭、さらにその紅白の間に餡をはさむ。それを蒸籠で蒸すのだ。素朴な味わいの饅頭だが、手間暇がかかっている。「本物」にこだわったすべて手作りの逸品が出来上がった。

 堀井さんは長谷寺の参道に『やまとびとのこころ店』というカフェを兼ねたコンセプトショップをオープン。ここでお抹茶などと共に女夫饅頭を味わうことができるようにした。

 実は、樫舎の喜多さんが岡本さんの依頼を受けてお菓子を復活させたのは、女夫饅頭が初めてではなかった。

 奈良県天理市で、町おこしの団体「まほら座(天理山辺元気プロジェクト研究会)」を立ち上げた代表の伊藤良次さん。岡本さんとは気の合った友人で、古道具集めの同好の士でもある。伊藤さんに天理の町おこしに役立つ知恵を請われて思い至ったのが「こうごり」だった。30年ほど前に春日大社の氏子に天理から嫁いできたお年寄りの女性がおり、「こうごり」という菓子があるという話を聞いていたのだという。

岡本さんが調べてみると、もともとは「粉陰嚢(こふぐり)」と呼ばれていたものらしく、男子の祝い物として春に作って贈答したようで、享和2年(1802年)の俳句の歳時記にも載っていることが分かった。その「こうごり」の復活を岡本さんが樫舎の喜多さんに頼んだのだった。


 正月のきな粉作りの余材を用いた団子のような餅菓子で、粗いきな粉が独特の食感を醸し出す。お茶席にも出せるような上品な仕上がりになった。岡本さんが「こうごり」に新たな字を当て、「子福利餅」とした。

「長い歴史の中で廃れてしまったものには、廃れた理由がある」と喜多さんは語る。女夫饅頭の場合、「ものすごく複雑で難しいお菓子だ」という。「子福利餅」にしても粗いきな粉は今や普通には手に入らない。復活させたと言っても「そっくり昔のまま」を復元したわけではない。手に入る材料も人々の味覚も時代と共に変化した。だが、何と言っても昔のものは「手間暇のかかる」ものが多いという。



カメラメーカーから味噌作りへ

 もうひとつ復活させたものがある。法論味噌(ほろみそ)だ。南都の社寺の僧や神官が学問をする際、眠気を催すとなめていたと伝えられる。だが岡本さんが法論味噌の復活を考えたのは、修行のためでも、町おこしのためでもなかった。

 春日大社では正月に「歳旦祭」というお祭りが行われる。古文書によると、室町時代には、歳旦祭での神様へのお供え物には「法論味噌」が含まれていたが、江戸時代になると「赤味噌」で代用されていたのだという。法論味噌とはどんなものだったか。岡本さんは昔のものに戻せないかと考えた。

 奈良県田原本町にある嶋田味噌・麹醸造元の嶋田稔さんはカメラメーカーの役員を退職した後、家業を継いだ。「茜八味噌」の名で味噌を作り、創業260年になる旧家だ。岡本さんは法論味噌の復活を嶋田さんに託した。

 「いや、手間がかかる味噌ですわ」と嶋田さん。通常の味噌に、やき胡麻やくるみ、麻の実、山椒などをあわせて煮込み、さらに天日干しをして、最後にホウラクで煎って仕上げる。嶋田さんの味噌作りは「安全安心な本物を作ること」。そんな信条がなければ到底完成しなかった味噌だ。記録で使う材料は分かったが、配合は嶋田さんが試行錯誤し、完成させた。

 目が覚めるほどに塩辛い物ではなく、どちらかというと栄養価を感じる濃厚な味。「眠気覚ましというよりも夜食のようなものだったかもしれへんな」と岡本さん。酒飲みには肴としてぴったりの一品である。「法論味噌」という商標が使われていたため、「飛鳥味噌」という名称で注文生産に応じているほか、毎年、歳旦祭に奉納している。完全に古が復活したのである。

 岡本さんは奈良や東京でいくつもの勉強会を主宰。岡本さんの博識ぶりや人柄を慕う人は多い。そんな人と人とのつながりが、こうした商品の復活の原動力になっている。

 若草山のふもとにある奈良最古の宿『むさし野』が出すオリジナル郷土食「遣水(けんずい)」も岡本さんの監修だ。大和に伝わる「おやつ」をセットにした。奈良のっぺいや雑煮、ほおの葉めし、三輪そうめんの三年物と新物の食べ比べなどを完全予約制で提供している。茶粥を食べる大和には間食文化が根付いていたというが、最近は奈良の人でもほとんど食べなくなった。それを何とか残そうというわけだ。

 新商品は新しいアイデアから生まれてくるものばかりではない。古をたずねることで、今の時代でも受ける新商品が生まれてくるのだ。

 『むさし野』の女将の山下育代さんは次なる企画も考えている。奈良の社寺に伝わったおもてなし料理の逸品を会席料理に組み込めないか、というのだ。岡本さんが掘り起こした昔からの知恵を今に蘇らせる取り組みは、まだまだ続編がありそうだ。