「原子力発電」は本当に不要なのか? 国民議論なしに進む「脱原発」

月刊エルネオス11月号(11月1日発売)に掲載された原稿です。http://www.elneos.co.jp/

新潟知事選で消える再稼働

 十月十六日に行われた新潟県知事選挙で、東京電力柏崎刈羽原子力発電所の再稼働に慎重姿勢を示す無所属の米山隆一氏が当選した。民進党が自主投票になったため、自民党公明党が推薦する前の長岡市長の森民夫氏が俄然優勢とみられたが、結果は、六万票の差をつけて米山氏の勝利となった。米山氏には共産党自由党社民党が推薦していた。選挙戦終盤には蓮舫民進党代表(写真)が米山氏の応援に入り、事実上、野党統一候補が与党候補を破った格好になった。
 米山氏の勝利に困惑の色を隠さないのが経済産業省など霞が関泉田裕彦・前知事が、徹底して反原発の姿勢を貫いてきた路線が、泉田氏の不出馬で覆ると期待していたからだ。柏崎刈羽原発には原子炉が七基も林立しており、東京電力の発電能力の主力を占める。これが一基も再稼働しないとなると、東京電力の収益に深刻な影響をもたらす。
 県知事選で国とのパイプの太さを強調した森氏が勝利すれば、安倍晋三内閣が掲げている、「安全が確認されたものから再稼働させる」という方針に従って、柏崎刈羽の再稼働を順次、容認することになるとみられていた。ところが、原発再稼働を争点に、慎重姿勢の米山氏が県民の支持を得たことで、当面、再稼働は難しくなったとみて間違いない。
 これによって、東電の経営の先行きが一段と厳しくなれば、原子力発電を民間事業者が担ってきたこれまでの基本政策を、抜本的に見直さざるを得なくなる可能性が出てくる。稼働しない巨大設備を抱えていては経営が成り立つはずはないし、かといって原発廃炉にしようとすれば巨額の費用がかかる。ちなみに原発廃炉費用は原子炉の規模によって三百五十億円から八百五十億円くらいかかるとされているが、三十億円もあれば閉鎖可能な火力発電所とは桁違いだ。しかも、使用済み核燃料や放射性廃棄物の最終処分の問題はいまだに解決していない。

その場しのぎの原発政策

 こうした状況にもかかわらず、安倍内閣原発政策を国民議論の俎上に上げることを避け、その場しのぎの対応でお茶を濁している。二〇一四年四月に閣議決定した「第四次エネルギー基本計画」では、原発を「重要なベースロード電源」と位置付けたが、一方で、「省エネルギー再生可能エネルギーの導入や火力発電所の効率化などにより、可能な限り低減させる」とした。
 安全が確認されたものから再稼働を認める、という「事業者任せ」の姿勢に終始し、原発を推進するのか、脱原発に向かうのか、方針が分からない。そうした議論は閣内でも行われていない。国民を二分する難題であることが分かっているから、それに火を付ければ政治的にもたないと感じているのだろう。
 かつて民主党政権は末期に、「二〇三〇年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」とした方針を示したが、結局それも閣議決定すらできなかった。現在の民進党も、三〇年代に原発ゼロの実現を目指すという姿勢は保っている一方で、原子力規制委員会の安全確認を得た場合には原発の再稼働は容認するとしている。
 今回の新潟知事選の結果を受けて、蓮舫代表は「(民進党は)三〇年代に脱・原発依存という軸を掲げている。これで大きく変わることはない」と述べたと報じられた。
 二〇三〇年代に脱原発というと、積極的に原発の廃止を進めるような印象を受けるが、実態は違う。日本の原発は一九七〇年代に二十基、八〇年代に十六基、九〇年代に十五基が建設された。一九九七年までに五十二基である。ところがその後二十年の間に建設されたのはわずか五基。〇九年の北海道電力泊原発三号機が最後だ。
 日本では原発の稼働期間は原則四十年間と決まっているため、老朽原発は今後廃炉になる。四十年で廃炉していくとすると、二〇三七年には五基しか残らないのだ。新増設やリプレイス(建て替え)を行わずにいれば、なし崩し的に「脱・原発依存」が進むのだ。
 本来ならば、原発の新増設などについて議論を行うべきタイミングなのだが、政府の原発政策を明確にするための議論すら起きていない。実は議論を始められない理由がある。

原発保有の「抑止力」

 もともと、なぜ原発が必要かという議論すら、国民の目を欺いてきたのだ。原発は火力発電などに比べて「コストが断然に安い」と言われ続けてきた。それは重大な事故は起きないという「安全神話」が前提だった。
 今年十月の報道によると、電気事業連合会が、東京電力福島第一原発事故に伴う損害賠償・除染費用などの東京電力を含む大手電力各社の負担額が総額十五兆円と当初計画より八兆円上回る見通しを出し、超過分を国費で負担するよう要望しているという話が明らかになった。福島第一原発の事故でまさしく膨大な費用負担が生じ、結局はそれが国民の負担となってのしかかっているのだ。
原発がなければ日本の電力は足らない」という脅しも、震災後何度かの夏の電力消費のピークを乗り切って、説得力がなくなった。「高いLNG(液化天然ガス)や原油を買うのは国費の流出だ」という説明も、原油価格の下落で一気に色褪せた。
 では、安全性に不安があり、コスト的にも安いかどうか分からない原発は止めてしまうべきなのか。そう単純ではない問題もある。
 実は、原発を持つということは国の安全保障に直結する問題だ。日本は民間事業者が発電という平和利用に限って使うということで、核物質の取り扱いを国際的に許されている。原子炉で生まれるプルトニウムは純度が高ければ核爆弾に転用できる。原発を持っていることで、国際的には核武装できる能力を持っていると見られる。一種の「抑止力」を持っていることになる。実際、原子力基本法の基本方針の中には「我が国の安全保障に資することを目的として」という一文がある。
 原発を放棄するということは、原子力技術を持つことも放棄することにつながる。国家の安全保障にもつながる大きな問題なのだ。福島の事故から五年。そろそろ原発について本音の議論を行う時だろう。