「1日2万件」はどこへ?厚労省が「PCR検査の数値目標」に反対するワケ いまだに抵抗する厚労省、保健所

現代ビジネスに7月9日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73912

激しい対立が水面下で起きている

なぜ日本では新型コロナウイルス対策にPCR検査が活用されないのだろうか。

PCR検査の体制を拡充すべきだという声が根強くあるものの、一向に検査件数の「数値目標」が示されない。「1日2万件」と安倍晋三首相が国会で答弁し続けたものの、一向に目標件数に達することがなかったトラウマなのか。

7月6日に初会合が開かれた政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会(分科会長・尾身茂地域医療機能推進機構理事長)でも、「検査体制を拡充するための基本的考え・戦略」という「たたき台案」なる文書が配布されたが、その中にも検査数の目標については一切明記されていない。

関係者に聞くと、件数を明記することを巡って激しい対立が水面下で起きているのだという。

新設「有識者会議」の下の分科会が

分科会は、感染症医師らを集めた「専門家会議」を廃止して「新型インフルエンザ等対策有識者会議」の下に新設された。

廃止ではなく、法的な位置付けを明確にしたのだ、と公式には説明されているが、「専門家」が独走して対策を作るため、経済界や国民の感覚から乖離しているという批判があった。また、厚労省の代弁ばかりしているという苛立ちが首相官邸にもあったという。

いずれにせよ、メンバーには専門家会議の12人の中から8人が横滑りしたのに加え、連合の石田昭浩・副事務局長や平井伸治鳥取県知事、経済学者の小林慶一郎・東京財団政策研究所研究主幹、大竹文雄大阪大学教授ら10人が加わった。

分科会の会長には専門家会議の副座長だった尾身氏が就いた。いわゆる専門家が半分以下に抑えられている。

経済界、スポーツ界が賛同

5月に有識者会議のメンバーに追加選任された小林氏はPCR検査の検査体制を拡充することが最も有効な経済対策だと主張。国として検査件数の目標数値を示し、体制整備を急ぐべきだとしてきた。

これまでの会議の場だけでなく事務方の厚労省担当者などにも働きかけたが、一向に取り上げられなかったとされる。

そのため、小林氏は6月中旬に、独自に民間有志に声をかけ、「9月末までに1日当たり10万件、11月末までに1日当たり20万件の検査能力を確保する」ことなどを求める提言をまとめた。

この提言には著名な経済学者の多くが賛同しただけでなく、日本商工会議所の三村明夫会頭や、榊原定征・前経団連会長など経済界の大物や、神津里季生・連合会長、神奈川や埼玉、愛知などの県知事など100人以上が名を連ねた。

提言には斉藤惇・日本野球機構会長(プロ野球コミッショナー)も賛同していた。プロ野球は全選手にPCR検査を受けさせることで無観客ながら試合を再開させてきた「先行事例」だ。検査によって陰性を確認することで、試合を行うことを可能にしたわけだ。

それでも抵抗する理由

ところが、健康な選手にPCR検査を受けさせることに、厚労省や保健所は当初、激しく抵抗したとされる。

同じく提言に名前を連ねる大手企業の経営者も、社員全員に新型コロナの抗体検査は受けさせているが、PCR検査を受けさせることができないと苦言を呈する。

民間の検査施設のキャパシティは余っているにも関わらず、民間が検査を行えるのは保健所との契約に沿ったものだけに限定されているため、症状がなく、感染している懸念の低い一般社員に検査を受けさせることに保健所、つまり厚労省がゴーサインを出さないのだという。

経済界がPCR検査体制の充実を主張するのは、陰性であることを証明しないと海外諸国が入国を認めないなどビジネスに大きな支障をきたすことになりかねないためだ。

すでに欧米などでは検査体制を拡充することで陰性確認の体制を整え、経済活動を再開させる動きが強まっている。日本では経済活動の再開が進められているが、検査体制が不備なままでは感染爆発のリスクと隣り合わせだと多くの識者が感じている。

厚労省の伝統の技

そんな提言をまとめ上げた小林氏のこと、分科会の初会合では「20万件」体制を整えるよう強く主張すると思われたが、そうした場面はないままに終わった。

では、小林氏が心変わりしたのかというとそうではない。会議関係者によると、小林氏らには「たたき台」という文書が会議に出てくることはまったく知らされておらず、医療専門家系のメンバーと厚生労働省でまとめられたという。

尾身会長が会議前に小林氏を訪ねて議論したとされるが、会議でたたき台を出した尾身氏は「小林先生にも了解頂いている」と突然発言。「そんな進め方になるとはまったく知らなかった」という小林氏は顔を真っ赤にしていたという。厚労省など事務方のペースに完全にはまったというわけだ。

役所が役所であることを優先

なぜ、厚労省は「数値目標」に反対なのか。安倍首相は4月から国会答弁で「1日2万件の検査体制」を敷くと明言、実際に厚労省にもそう支持していた。

ところが実際にはまったく現場が動かず、検査件数は低迷した。役所としては責任を問われかねない数値を明言することは何としても避けたいという思いがあるという。

また、20万件という数値を明確にすれば、保健所を通じた現状の検査体制を、広く民間に開放せざるを得なくなる。これに抵抗しているという見方もある。

いずれにせよ、厚労省が長年築いてきた仕事のやり方やそれに伴う人事利権などが、国民の安心よりも優先されていることだけは間違いなさそうだ。