「岸田語」が国民の理解と噛み合わないワケ~霞ヶ関語の繰り返しでは 救済新法作りへ本当に「方針を一転」か

現代ビジネスに11月13日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.media/articles/-/102154

「決断しない」印象

「何もしない」「徹底的に無策」「検討ばかり」と批判される岸田文雄首相。確かに、「慎重の上にも慎重に」「あらゆる選択肢を排除せず検討」といった言い回しを多く用い、決断しない首相という印象を強く国民に与えている。

首相ご本人は国会で検討ばかりだと指摘されると「絶えず決断してきた」と語気を強めるなど、批判に反論している。首相からすれば慎重に検討した上で、様々な手を打っていると言いたいのだろうが、どうも国民に伝わっていない。この空疎な行き違いはなぜ生じるのだろうか。

どうも岸田首相が使う「岸田語」と普段、私たちが使う「日本語」が違うのではないか。岸田首相は霞が関や永田町で使われる言葉で話しているため、普通の日本語を使う社会の人々と認識の齟齬が生まれているのではないかと思ってしまう。

岸田首相は11月8日に、旧統一教会の問題を巡って、被害者を救済する新しい法律を作ることに前向きな発言をした。「政府として、今国会を視野に出来る限り早く提出すべく最大限の努力を行う」と首相官邸入り口で記者団に語ったのだ。

翌9日付けの朝日新聞朝刊ではこれを1面トップで取り上げ、「首相表明 支持率低迷 方針一転」と見出しを掲げた。それまで救済新法には後ろ向きとみられていたのが、方針を一転した。その背景には止まらない岸田内閣の支持率低下がある、というわけだ。

岸田首相の発言やこの記事を読んで、多くの国民は被害者救済の法律が「今国会でできる」と思うに違いない。だが、霞が関での言葉の使い方、いわば「霞が関の修辞学」に通じた官僚らからは、違った反応が返ってくる。

官僚の逃げ口上を封じるのが役目のはず

『官僚のレトリック』という著書もある元経済産業省官僚の原英史氏は語る。

「私は『岸田語』は分かりませんが、霞が関用語で言えば、『最大限の努力』というのは、『できません』と言っているのに等しいと思います。『努力をする』としか言っていないわけですから」

霞が関の官僚が作る文章は一言一句に深い意味がある。年に1回政府の基本姿勢としてまとめられる「経済財政運営と改革の基本方針」いわゆる「骨太の方針」などでも最後の最後まで言い回しの調整がされる。例えば、「正常化する」と書くのと「正常化を目指す」「正常化に向けて努力する」と書くのでは雲泥の差となる。

前者は実行することを明示しているが、後の2つは実現を約束したものではない。霞が関の官僚からすれば、実現を約束してできなければ責任問題になりかねないから、曖昧な表現に留めるわけだ。

期日についても極力明言は避けようとする。いついつまでにと明記すれば、それまでに実現しなければやはり責任問題になる。「次期国会をメドに」とすれば、あくまでメドなので、次の次の国会に先送りされても言い訳は立つ。

そうした官僚の「逃げ口上」を封じるのが本来の政治家の仕事である。首相の発言は重く、官僚にとっては絶対命令である。「総理指示」や「閣議決定」に従わないということは官僚の世界ではあり得ない。だからこそ、首相が具体的に方向性を示して、逃げ道を封じることが重要なのだ。

姿勢だけ、巧妙な責任回避

ところが、岸田首相が操る「岸田語」はどうも、官僚たちが使う「霞が関語」の派生であるように映る。官僚が書いた原稿をそのまま読んでいるのかもしれない。そんな見方で、救済新法発言をもう一度みてみよう。

まずは、「政府として、今国会を視野に出来る限り早く提出すべく最大限の努力を行う」という発言の前段部分である「今国会を視野に」という言葉だ。「今国会を視野」というのは、「今国会に」と明示するのとははるかにかけ離れていて、「今国会をメドに」あるいは「今国会を目標に」という表現よりもさらに弱い。視野に入れているだけで、今国会に提出するとは言っていない、というのが霞が関流の解釈になる。

さらに、「出来る限り早く提出すべく」という言い回しにも含みがある。あくまで努力するのは法案の「提出」であって「成立」ではない。実際、記者団から「今国会で成立させるのか」という質問に対して、「今申し上げた通り」と前置きしえ、同じフレーズを繰り返したが、「提出」の部分を強く発言していたように聞こえた。つまり、「提出」に努力はするが、「成立」させるかどうかは国会の判断だということだろう。

実際は、国会で多数を握る自民党の総裁として「成立させる」「成立に全力を傾ける」と言った言い方もできるわけだが、それを巧妙に避けているわけだ。

本気度は伝わってこない

結局、政策に通じた霞が関や永田町の住人からすれば、旧統一協会を巡る国民からの批判が収まらない中で、何とか火消しをするために、やりますという「姿勢」だけを見せ、実際に法律が成立するかどうかはまったく分からないというのがミエミエな状況なのだ。

岸田首相はおそらく、できるかどうか分からないものを、やりますと大風呂敷を広げるのではなく、現状を実直に、正確に表現していると思っているに違いない。そして岸田首相としては「最大限の努力」を官僚たちに指示している、と。

ところが、国民からすれば法律ができなければ、「何もやっていない」のと同じことなので、結局、岸田首相は口だけだった、ということになってしまう。

これが「岸田語」を操る岸田首相と国民の間の齟齬を生み、支持率低下に結びついているのだろう。

もちろん、背景には、首相生命をかけて、何を実現しようとしているのか、という本気度が国民に伝わってこないことがある。