どこが新しいのか全く分からない岸田首相の言う「新しい資本主義」 ただ「嫌だ、嫌だ」と言っているだけ

現代ビジネスに12月10日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/90232

いまひとつ見えない

岸田文雄首相は12月6日の臨時国会冒頭、所信表明演説を行った。菅義偉前首相に比べ言語は明瞭で、キャッチフレーズも数多いが、なぜか、その中身が国民の心に刺さって来ない。巧言令色と言うべきか、言葉は巧みなのだが、具体的に何をやろうとしているのか、それでキャッチフレーズ通りの成果が上がるのか、いまひとつ見えない。首相自身の「信念」が乏しいのではないかと疑ってしまう。

そのキャッチフレーズの最たるものが「新しい資本主義」だろう。新型コロナ対策を強調するのは当然として、そのコロナが去った後、どんな日本を目指すのかという流れの中で、「新型コロナによる危機を乗り越えた先に私が目指すのは、『新しい資本主義』の実現です」と大見得を切った。

では、いったい新しい資本主義とは何なのか。

「人類が生み出した資本主義は、効率性や、起業家精神、活力を生み、長きにわたり、世界経済の繁栄をもたらしてきました。しかし、1980年代以降、世界の主流となった、市場や競争に任せれば、全てがうまくいく、という新自由主義的な考えは、世界経済の成長の原動力となった反面、多くの弊害も生みました」

総裁選以来、「新自由主義的政策は取らない」と繰り返し述べてきた岸田首相は、よほど新自由主義が嫌いとみえる。

「市場に依存し過ぎたことで、格差や貧困が拡大し、また、自然に負荷をかけ過ぎたことで、気候変動問題が深刻化しました。これ以上問題を放置することはできない」

批判の矛先は日本?

確かに、英国のサッチャー首相や米国のレーガン大統領が始めた市場原理を尊重する政策は「新自由主義」と言われ、停滞していた両国の経済を大きく復活させた一方で、格差拡大や環境問題などを引き起こしたのは事実だろう。そんな英国や米国で「新たな資本主義モデル」を模索する声が出るのはある意味当然と言える。岸田首相が「新自由主義」を採った英国や米国を批判するのなら分かる。

ところが、批判の矛先は日本自身だ。だが、本当に、日本が進めてきた小泉純一郎政権以降の政策はアベノミックスも含めて「新自由主義」で、その弊害が生まれるほどに推し進めてきたのか? だとしたら、なぜ、日本は米国や英国のように大きく経済成長せず、給与も増えず、企業も金融機関も世界競争に勝てずにジリ貧になっているのか。

そもそも、日本が現在抱える問題は、新自由主義的政策をとった結果だ、という前提自体が間違っているのではないか。

1990年代以降、中国もロシアも社会主義的政策を捨て、グローバル化の中で経済成長を目指してきた中で、日本だけがその流れに乗り遅れたのではないか。既得権を持つ伝統的な産業や企業を守ることを優先し、少子高齢化で将来無理が来ることが分かっていながら、社会主義的な政策を取り続けた。いわゆる「ショーワ」な日本と決別できなかった30年が今の問題を引き起こしているのではないか。

しかも、ここへきて「新自由主義的な政策は取らない」と言い、構造改革規制緩和を封印することで、どんな「新しい」経済を作ろうというのか。「我が国としても、成長も、分配も実現する『新しい資本主義』を具体化します」というが、アベノミクスでもなかなか成果が上がらなかった成長を実現するのは容易なことではない。

まともな資本主義すら忌避している

「日本ならできる、いや、日本だからできる」。どこからそんな強い自信が生まれてくるのか。では、具体的に何が日本ならできる「新しい資本主義」なのか。

岸田首相は続ける。「我々には、協働・絆を重んじる伝統や文化、三方良しの精神などを、古来より育んできた歴史があります。だからこそ、人がしっかりと評価され、報われる、人に温かい資本主義を作れるのです」。

もちろん、自分だけ良ければいいというのではなく、社会全体に貢献する、弱者を助けていくというのは日本人の美徳である。だがそれは、皆が切磋琢磨した上で、成功する者が生まれ、その成功者が弱者を助けてきたというのが日本の歴史だろう。皆が我慢して等しく貧乏になればそれでいい、という話ではない。三方良しとは皆が豊かになることを言っているのであって、競争して成長していくことが前提だ。決して三方一両損ではない。

これまでも構造改革を否定する識者は「日本型経営」や「日本型のシステム」の良さを主張してきた。株式持ち合いが日本経済の根幹だとか、ワンマン社長を許容する日本型のコーポレート・ガバナンスも良い点が多いなどと言ってきたのは、ひとえに「グローバル化」で世界が改革を進めることに反対していたに過ぎない。つまり、「日本型経営」というものを突き詰めた上で、磨きをかけてきたわけではないのだ。

「三方良し」にしても、日本経済の仕組みにどう落とし込んでいくのかという正面からの議論はほとんど行われて来なかった。ただ、欧米型のガバナンスは嫌だ、競争が激しくなる新規参入を認める規制緩和は嫌だ、と言ってきただけだ。

「皆さん。明治維新、戦後高度成長、日本は幾多の奇跡を実現してきました」と岸田首相は力を込めた。だが、明治期の企業家も、戦後の企業家も、世界との競争に勝ち、豊かさを実現してきた。まともな資本主義すら忌避して、「新しい資本主義」など生み出せるはずもない。

まずしっかり「稼げ」よ

具体策として打ち出した、成長戦略も新味があるものはほとんどない。イノベーションアベノミクスの時代から言い続けてきた。デジタル化も国に言われるまでもなく民間はどんどん進めている。

そもそも「10兆円の大学ファンド」は、岸田首相が嫌いな「市場」の力を借りて運用益を上げ、それを原資に研究費を助成しようというものだ。これは新自由主義的な仕組みではないのだろうか。

デジタル田園都市国家構想にしても、これまでの地域創生とどこが違うのか。もちろん、政策を進める役人の顔ぶれは変わらないので、看板だけ変えて同じことをやるほかないのだろう。

安政策を続けた結果、国際的な購買力が低下し、どんどん貧しくなっていく日本。これをどう立て直していくのか。「新しい」などと言わず、もっとしっかり「資本主義」をやって、まずは稼ぐこと。その上で、分配や、弱者救済のセーフティーネット整備に力を入れるべきだろう。

 

「ふるさと納税で稼いでもらっちゃ困る」地方自治体の自立を妨げる"霞が関の罪深さ"  交付金依存症をあえて放置している

プレジデントオンラインに12月1日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/52403

ふるさと納税で稼いでも「焼け石に水

ふるさと納税」の季節がやってきた。お気に入りの自治体に「寄付」することで、自分が本来払う地方税から控除される仕組みで、ほとんど負担なしに「寄付」ができ、そのお礼に地域の特産品などの「返礼品」が手に入るため、人気を博している。年間の所得に応じて控除上限が決まるので、年末に向けて手続きをする人が急増する。年々寄付総額は伸び、自治体側も工夫次第で「収入」が増えるため、魅力ある返礼品を用意するなど、ふるさと納税獲得競争に力を注いでいる。

何せ、人口減少が深刻化し、地方税収が増える見込みが立たない中で、「ふるさと納税」が唯一といって良い「増収策」になっているのだ。住民の高齢化で社会保障費が増え続ける中で、道路や公共施設などインフラの老朽化が進んでも修繕する財源すらなかなか確保できない自治体が増えつつある。残念ながら、ふるさと納税が増えているとは言っても、その収入増では「焼け石に水」。国から配られる「地方交付税交付金」への依存度はますます高まり、自治体からは「自立する」意欲がどんどん失われている。このままでは多くの自治体が、座して死を待つ運命なのだ。

ふるさと納税制度の「生みの親」菅前首相が官邸を去った

だが、国は抜本的な自立策を立てないまま、ふるさと納税の拡大にも背を向ける。ふるさと納税制度の「生みの親」だった菅義偉前首相が官邸を去ったことで、制度そのものの先行きも危ぶまれる。いったい、自治体はどうなっていくのか。

ふるさと納税」は第一次安倍晋三内閣だった2007年に、菅総務相が創設を表明した。働いて稼げるようになってから、自分が生まれ育った故郷に税金を納める仕組みが作れないか、というアイデアは多くの自治体首長などから出されていた。集団就職で上京した菅氏はその思いに共鳴したのだろう。以来、官房長官、首相としてふるさと納税制度を擁護し続けた。

2008年に始まった制度によって、寄付額は年々拡大。2020年度に自治体が受け入れた「ふるさと納税(寄付)」の受入総額は6724億円となった。2019年度は制度変更の影響で18年度を下回ったが、20年度は1.4倍に拡大、過去最高額を記録した。

人気の理由は何と言っても自治体が競って提供する「返礼品」の魅力だが、そうした「返礼品目当て」の寄付を総務省は批判的に見てきた。識者の中にも、「寄付なのに返礼品を出すのはおかしい」「ほとんど負担せずに返礼品をもらう仕組みは問題」という声があった。一方で、自治体からは「地元の特産品をアピールする一方で歳入も増え一石二鳥」「ふるさと納税を増やそうと創意工夫するカルチャーが役所の中に生まれた」と言った肯定的な声もあった。

“成果”を上げた自治体を目の敵にした総務省

もともとこの制度に乗り気でなかった総務省は、2018年に過度な返礼品競争はけしからんとして、制度の見直しを実施。返礼品を地元産品に限定し、寄付額に対する返礼品の金額に30%という制限を設けた。その上で指導に従わなかった大阪府泉佐野市など4自治体を新制度から除外する強硬措置に出た。泉佐野市はアマゾンギフト券などを返礼品に人気を集め、497億円もの寄付を集めていた。除外措置が不当だとして泉佐野市は訴訟を起こし、最高裁で勝訴。新制度に復帰するというすったもんだを演じた。

総務省が「ふるさと納税」で“成果”を上げた自治体を目の敵にしたのは、地方交付税交付金制度に風穴を開けかねないと感じたからだ。地方交付税交付金は、国が地方自治体の財政力に応じて分配支給するもので、その分配権限は総務省が握っている。自治体の生殺与奪の権限を総務省が握っていると言っても過言ではない。言うことを聞かない泉佐野市の交付税を大幅に減額したのが端的な例だ。

「返礼品のない寄付」をする人が増えている

せっかく平等に税金を配ろうとしているのに、ふるさと納税で大きな収入を稼ぐところが出てきては制度の根幹に関わる、というのが総務省の正直なところだ。実際、地域の住民税収よりふるさと納税の収入の方が多い自治体がいくつも誕生している。

だが、制度の見直しでふるさと納税人気が鎮静化すると見た総務省の思惑は外れる。2020年度に再び「ふるさと納税額」が大きく増えたからだ。「返礼品競争ばかりが強調されますが、災害復旧などで、返礼品のない純粋な寄付も増えています」とNPOの責任者は語る。本当の意味で地域を応援しようという人たちが増えてきたというのだ。また、地域の魅力をアピールする自治体の努力も実ってきている。寄付した金額の使い途を指定できる自治体も大きく増えている。

大きく増えてきた「ふるさと納税」だが、残念ながら自治体が「自立」の道を探るほどの収入源にはまだまだなっていない。相変わらず国から配られる地方交付税交付金自治体の大きな収入になっている。「国頼み」から脱却できる状況ではないのだ。

財政的に自立できる自治体が大きく減っている

2021年度の地方交付税交付金の総額は16兆3921億円。それに比べれば、ふるさと納税の6724億円は微々たる金額だ。しかも、2018年には15兆円あまりにまで減少していた地方交付税交付金は3年連続で増額となり、2021年度は新型コロナ対策の名目で5%以上増えた。自治体財政の国依存はむしろ急速に高まっているのである。

ちなみに、地方交付税交付金をもらっていないのは47都道府県では東京都のみ。1718ある市町村のうちもらっていない「不交付団体」は53しかない。2007年には142あったから、数で見ても財政的に自立できている自治体は大きく減っている。

ふるさと納税制度の導入を決めた第一次安倍内閣では「三位一体の改革」が方針として掲げられ、国庫補助負担金改革、税源移譲、地方交付税の見直しを一体的に行うとされた。だが、最近はすっかり死語になり、地方への権限移譲、税源移譲はまったく議論に上らなくなった。「地方にできることは地方に」という掛け声もまったく聞かれない。むしろ国におんぶにだっこの自治体が増えつつある。

「地方を抱え込む余裕」は国にはない

総務省など霞が関の役人からすれば、権限を地方に移せば、自分たちの仕事が減り、権限を失うことになる。だから、地方分権には取り組まず、自治体を自立できないようにする方向へと進んでいく。

だが、国の財政が隆々としているならともかく、国自身も財政難に喘いでいるのが実態だ。いわゆる「国の借金(国債、借入金、政府保証債務の合計)」は1200兆円を突破している。つまり地方を抱え込む余裕は国にはないはずなのだ。

地方交付税交付金制度は、財政状態が悪くなれば、国が手当てをしてくれるわけで、財政を立て直すインセンティブが働かない。つまり、多くの自治体が国に頼ることばかりを考え、自立しようとは思わないのだ。

「いやいや財政的に自立なんて到底無理です」と真顔で答える首長は少なくない。国の公共事業を頼りに、国会議員に陳情する仕組みは今も変わっていない。

ふるさと納税が、自治体の「自立心」を高めた効果はあるだろう。だが、地方交付税交付金の巨大さに効果を削がれていると言っても過言ではない。地方を再編して一定規模にまとめる「道州制」の議論もいつの間にか雲散霧消した。このままでは、人口減少で税収が減る自治体が続出し、国が支えられなければバタバタと破綻していくところが増えていくことになりかねない。自治体の財政が詰まれば、住民生活を根底から揺さぶることになる。

日本大学「田中理事長逮捕」、大学のガバナンス欠如は文科省の責任だ 理事長になればやりたい放題を放置

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https://gendai.ismedia.jp/articles/-/89825

やっと田中理事長に辿り着いた

日本大学の田中英寿理事長が逮捕された。直接の逮捕容疑は日大関係業者からのリベートなどを申告せず2018年と2020年の所得税あわせて約5300万円を脱税した疑いだが、日大では7月に現職理事が背任容疑で逮捕、起訴されており、その資金が理事長に還流していたのではないかとみられていた。

背任事件では田中容疑者の自宅や理事長室が家宅捜索され、その過程で自宅から2億円余りの現金が見つかったという。背任容疑で逮捕された医療法人の前理事長は田中容疑者に資金提供したことを認めているが、田中容疑者は金銭の授受を一貫して否定してきたとされる。

これまでも田中理事長を巡る疑惑が繰り返しメディアで報じられてきた。田中理事長の権力は絶対で業者の間では「田中帝国」と呼ばれたが、これまで司直の手は入らなかった。

かつて、月刊誌「ファクタ」が連載で疑惑を追及したが、日大側がファクタ出版名誉毀損で訴え、ファクタ側が敗訴したことで、メディアの多くも腰が引けていた。今回の背任事件でも、政官界に幅広い人脈を持つ田中理事長までたどり着けないという見方があったが、東京地検特捜部は立件の難しい背任ではなく脱税容疑で逮捕、突破口を開いた。

田中容疑者は1969年日大卒業後、日大の職員となり、相撲部コーチや監督を歴任。1999年には理事に就任した。2008年に理事長に就任して以来、13年にわたって理事長を務めている。この間、暴力団関係者とのつながりが疑われたり、工事発注業者からの金銭授受疑惑が報じられたが、理事長の座を追われることはなく、「帝国」を築いてきた。

アメリカンフットボール部の危険タックル問題では世間の強い批判を浴びたが、当時、常務理事だった監督とコーチが理事を辞任したものの、田中理事長は記者会見にすら現れなかった。その際、理事を辞任した田中理事長の側近だった井ノ口忠男氏はその後理事に復帰していたが、今回の背任事件で7月逮捕されている。

学校法人が「帝国」になる仕組み

繰り返し疑惑が浮上していながら、田中容疑者は「帝国」を維持できたのか。そこには大学特有の甘いガバナンス体制の問題がある。大学などの学校法人は理事長に権限が集中し、強大な権限を一手に握れる体制になっている。

日本大学の場合、常務理事は理事長が事実上指名できる仕組みになっており、この常務理事が通常の業務を執行する権限を握っていた。また、理事長以外の理事は法人を代表する権限を持たないため、すべて理事長に決裁権限が集中していた。

一方、通常の財団法人や社会福祉法人では理事を選解任する権限を「評議員会」が持っているが、大学の評議員会は理事会の諮問機関に過ぎず、理事会は意見を聞けばそれで済む法規制になっている。また、評議員には現職の職員や理事もなれる制度になっており、実質的に理事長には逆らえない仕組みが出来上がっている。

つまり、学校法人の仕組み自体が、田中容疑者のような理事長を生む危険性を内包しているのだ。

2021年8月には明浄学園の理事長だった大橋美枝子被告が大阪高裁で懲役5年6カ月の実刑判決を受けたが、大橋氏は多額の寄付をきっかけに理事に就任、その後、理事長を譲り受けたことで実権を握り、付属高校の校地を売却、その資金の行方が分からなくなったほか、投資で損失を出すなどし、明浄学園は経営破綻に追い込まれた。

学校法人は一等地に校地を持つところが多く、理事長ポストを簒奪して、キャンパスを移転させ、跡地を不動産会社に売却する例などが目立っている。ガバナンスの不備をついて魑魅魍魎が蠢いているのだ。コーポレートガバナンスが整備される以前、代表取締役のポストを簒奪して手形を乱発する事件が相次いだバブル期の上場企業を彷彿とさせる。

政府改革を潰そうとする理事長たち

そんなガバナンス不備をただそうとする動きが今、佳境を迎えている。文科省に設置された学校法人ガバナンス改革会議が、12月中に学校法人の制度見直しを求める報告書をまとめる。評議員会に理事の選解任権を与える「他の公益法人並み」のガバナンス体制への移行が柱だ。

世の中からみれば、至極当たり前、まだまだ甘いように見える改革だが、一部の学校法人理事長らが強硬に反発しているという。理事長がやりたい放題の独裁体制を突き崩されることに抵抗しているのだろう。政治力を誇示する一部の理事長に文科省も腰が引けており、報告書が出ても法改正にまで進めるかどうか不透明だという。

ガバナンス問題の専門家で構成されるガバナンス改革会議のメンバーのひとりはこう語る。

「独立性の高い評議員が理事を選び、理事長が互選されることで、理事会の正当性が高まり、むしろ経営改革がやりやすくなる。ガバナンス改革は理事会の暴走を防ぐブレーキを整備することになるが、思い切りアクセルを踏むにはブレーキが必要だ」

反対する理事長らの間からは「そんな力を持つ評議員のなり手がいない」という声も上がる。かつて上場企業に社外取締役の導入が議論された折、「人材がいない」という反対論が噴出したが、実際に制度が始まると9割以上の会社が社外取締役を導入した。

「ガバナンスを強化しても不祥事はなくならない」という主張もあるが、まずは世の中が当たり前だと思うガバナンス体制を導入した上で、それでも不祥事が続くようなら、さらに厳しい規制を考えるというのが順序だろう。

田中容疑者は逮捕前、「俺を逮捕したらカネを配った先をすべて暴露する」と凄んだという話が伝わる。一部の理事長の中には政治力を盾に、ガバナンス改革の法案を潰すと公言している人もいるようだ。果たして岸田文雄内閣は大学のガバナンス改革に向けた法改正にどんな姿勢で臨むのか。目が離せない。

東芝3分割に海外投資家が反対意見、臨時株主総会で挫折の瀬戸際 迷走の陰に原子力政策と国の無責任

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https://gendai.ismedia.jp/articles/-/89683

批判されそうな3分割案

東芝の綱川智社長が11月12日に発表した東芝を3つの会社に分割する再編案について、海外投資家から反対する声が上がり始めた。

東芝株の7%程度を保有するシンガポールの資産運用会社「3Dインベストメント・パートナーズ」が11月24日に、3分割計画に反対を表明する書簡を公開。会社が提案する3分割案では「本質的な課題を解決しない」と批判している。今後、他の大株主が3分割案に対してどんな姿勢を見せるのか。状況は再び混沌としてきた。

東芝の発表では、本体からインフラ事業とデバイス事業の2つを分離分割し、それぞれは2023年度の下期に上場させる。残る「東芝本体」は東芝テックなどの株式保有や、「東芝」ブランドの管理などを行う一方、グループが抱える負債は引き受ける。保有するキオクシアホールディングスの株式は早期に売却して、その利益を東芝の株主に還元するとしている。

具体的な分割手法などについての詳細は不明で、分離する2社の株主構成がどうなるかも分からない。だが、分社することによる利益は海外投資家など既存株主に還元する一方で、上場させることによって新たな出資者が増え、現状の株主の支配権は薄れる可能性が高いとみられる。

大株主として存在感を強めている海外ファンドなど「モノ言う株主」がこの提案に対してどんな対応をするのかが注目されるが、3Dインベストメントの反対表明で、海外株主が一気に反対に流れる可能性もある。既存の株主の利益にならないという見方が強まれば、臨時株主総会で3分割案が否決され、会社側提案が空振りに終わる可能性も出てきた。

「モノ言う株主」に返り討ち

東芝は、粉飾決算原子力事業の損失処理などで、2017年3月期に債務超過に転落。存続が危ぶまれたが、2017年末に7000億円近い巨額増資を行なって、とりあえず危機を脱した。この増資を引き受けたのが、海外ファンドを中心とする「モノ言う株主」で、その後、東芝の経営陣への参加などを巡り、会社側と対立していた。

2020年の株主総会では、当時社長だった車谷暢昭氏が、こうした「モノ言う株主」の影響力を排除しようと株主総会運営を恣意的に行ったとして、株主から調査要求が臨時株主総会で可決。会社側と経産省が「連携」して海外株主の投票行動に影響を与えようとしていたとの疑惑が浮上した。

一方、車谷氏がMBOによって「モノ言う株主」の排除を狙ったことも表面化。批判を浴びた車谷氏は4月に辞任に追い込まれた。さらに取締役会議長だった永山治・中外製薬元社長も6月総会で再任案が否決され、現在、議長は綱川社長が兼務する「空席」状態になっている。

当初、会社側は、2021年末までに臨時株主総会を開いて、取締役会議長など追加の取締役を選任し、新体制を発足させる意向を示していた。ところが、新体制を決める前に3分割案を発表した。綱川社長は、株主の利益を強調しているものの、「なぜ3分割が、株主利益につながるのか、その説明が不十分」(証券アナリスト)という声も出ている。

「経済安全保障」がらみ

臨時株主総会を開いて追加の取締役を選んだ新体制が発足すれば、海外投資家の発言力が強まるのは必至。そのため、新体制発足前に現綱川体制で3分割を決めてしまいたいとの意向が明らかに働いている。どうやら、インフラ事業とデバイス事業への海外投資家の影響力を低下させることを狙っているのではないか、と見られている。

原子力を含むインフラ事業は、政府が強化している「経済安全保障」にモロに関わるとして、分離独立させる案が政府内でもくすぶってきた。経産省は表向き、今回の3分割案には関与していない姿勢を示しているが、原子力事業の行方は政府として最大の関心事だ。原子力事業が投資ファンドなど海外投資家の支配下に入ることは認められないとする意見も永田町には根強い。

今後、海外株主は続々と3分割案に賛否の姿勢を示すとみられるが、株主総会で3分割案を通すには、海外株主の多くに賛成に回ってもらう必要がある。原子力を手放すことで、既存株主にどれだけ利益を還元するかなど、具体的な利益分配策を明らかにしないと、反対に回る株主が増える可能性がある。

政府は、今後の原子力政策について明確な姿勢を示さずにおり、原子力発電所の新設・更新(リプレイス)についても方針を明らかにしていない。そんな中で、東芝が抱える原子力事業や、東京電力など電力会社が持つ原発を今後どう管理していくのかも不透明なままだ。

東芝は長年にわたり、国や経産省の方針を肩代わりする格好で原子力事業に邁進してきた。米原子力のウェスティングハウスを買収させたのも、リーマンショック東日本大震災後の危機を救ったのも経産省主導だった。

現在のボロボロになった東芝の現状の責任の一端は経産省にある。まずは、今後の原子力政策をどうするのかを明確に示し、民間が持つ原子力関連事業を今後どう再編するのかを明確に示す責任が、政府・経産省にはあるだろう。

〝製造〟に回帰して「三方良し」を実現した「眼鏡ノ奥山」

雑誌Wedge 6月号に掲載された拙稿です。Wedge Infinityにも掲載されました。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/24125

 

 

「なぜメガネはサイズが分かれていないのだろうか」──。家業の眼鏡店を継ぐことになった奥山留偉さんが、真っ先に感じた疑問だった。店に来るお客さんの中にも、自分に合うサイズのメガネがなかなか見つからずに困っている人が少なからずいた。「それならば洋服のように寸法を測ってオーダーメイドで作ればいいのではないか」。

「眼鏡ノ奥山」は留偉さんで4代目。3代目の父・繁さんが1979年に現在の東京・江戸川区北葛西に店舗を開き、メガネの小売りに専念してきた。ところが、1990年代後半から、低価格をウリにするメガネチェーンが店を増やし始め、町の個人営業の眼鏡店はどんどん姿を消していった。価格競争をしていてはいずれ商売が立ち行かなくなる。そこで、留偉さんは「原点に戻る」ことを決意した。

「眼鏡ノ奥山」の「原点」とは自分たちでメガネフレームを製造することだった。実は初代である曽祖父は、戦前に秋田から上京して、当時はやりの新素材だったセルロイドを使ったメガネフレームの工場を東京・小松川で始めたと聞いて育った。留偉さんは、当時まだ存命だった祖父や、父の繁さんにセルロイドフレームの製造方法やメガネの調整方法の教えを乞うた。

流行が変われば処分する
大量生産の弊害

「大量に製造して売れ残ったら廃棄するのが当たり前というビジネスのやり方にも何か違うと感じていたんです」と留偉さん。メガネフレームの製造原価は安いため、フレームメーカーも大量に製造し、流行が変わって売れ残れば大量に処分する。小売店もとにかく大量に仕入れて店頭に並べ、売れなければ大量に処分していた。

「まるでバクチのような商売になっていたんです」と当時を振り返る。そこで、発想を変えて、愛着をもって毎日使ってもらえるような、本当に良いものをお客さんに合わせてオーダーメイドで製作すれば、在庫を無駄に廃棄することもなくなる。そう留偉さんは考えたのだ。

 実は、留偉さんは、美術工芸が専門の高校に通い、彫金や鍛金を学んだ経験を持っていた。モノを作る腕は持っていたのだ。もっとも、「原点に戻る」と言っても、戦前にやっていたのと同じ作り方をするわけではない。パソコンで図面を描き、仕入れたセルロイドの板からコンピュータ制御の切削機械で自動で切り出す。そこから後は、手作業で何度も繰り返し磨くことで、形を整えていくのだ。

 大手のメーカーの場合、型を作って同じものを打ち出すなど、大量に作るが、「眼鏡ノ奥山」のセルロイドフレームは1本1本削り出すので、無駄が出ない。ただし手間がかかる。高校時代の友人で鍛金作家でもある木村太郎さんと共に作業しても、月に50~60本しか作れない。新年度を迎える2~3月など時期にもよるが、注文して完成するまで3カ月待ちは当たり前だ。

当初は作ったメガネを知り合いにかけてもらうところから始め、徐々に口コミで広がっていった。ラグビー選手や相撲取りなど、大きな体格の人たちが真っ先に飛びついた。有名選手で「眼鏡ノ奥山」の常連さんは何人もいる。自分の顔の大きさに合ったメガネを長年求めていたが、簡単には見つからず、既製品を妥協して使っている人たちが予想以上に多いことが分かったのだ。

 おしゃれに気を遣う人たちも、自分だけのメガネを作ってくれる「眼鏡ノ奥山」のオーダーメイドフレームは徐々に知られる存在になっていった。

サイズを整えば
かけ心地は明らかに変わる

 人間の顔は左右対照のように見えてかなり違う。店頭での採寸では、まず顔の幅を測って、メガネの大きさを決める。標準品は134㍉~142㍉の間がほとんどだが、160㍉幅の人も少なくない。さらに左右の耳の高さも大きく違う。メガネのツルの長さも自ずから変わってくる。さらに鼻あてのサイズを採寸し、眼球の位置を合わせる。「きちんとサイズを整えれば、かけ心地は明らかに違います」と今も店頭で採寸作業を行う繁さんは言う。

 

 お客の好みに応じて最初から図面を起こすこともできるが、いくつものパターンの形を作りサンプルのフレームを店頭にも並べている。そうしたサンプルから形を選び、測った寸法でメガネの横幅やレンズの大きさ、ツルの長さを微調整する、いわば「セミオーダー」の仕組みも導入している。

 セルロイドの面白いところは同じ模様の板材を使うにしても、切り出す場所でメガネのフレームに入る模様が微妙に変わること。まったく同じものは2つとできないのである。

 セミオーダーは、図面を一から起こさない分、価格も抑えることができる。セミオーダー商品のフレームは2万7000円と、フルオーダーの4万4000円に比べて手頃な価格だ。セミオーダーならばレンズを入れても5万円以下で作れる。

 お客の8割方は、セミオーダーを選んでいるという。フルオーダーにこだわるお客の中には、右と左のレンズの形を変えたり、昔の思い出のメガネを復刻したりといった人もいるという。

 お店は決して便利とは言えない場所にあるのだが、なぜそんなにたくさんのお客がやって来られるのか。実は、インターネットを使った通信販売も行っている。これは留偉さんが店を継いだ時からの販売戦略だった。大学を卒業後、2つの会社で8年間営業を経験した留偉さんは、当初からインターネットやSNSソーシャル・ネットワーク・サービス)を活用した商売の可能性を感じていた。今では販売本数の4割くらいが通販だという。正面を向いた写真や簡単な寸法を測って送ってもらうことで、通販でもセミオーダーのメガネを作ることができる。

 また、全国20店近い眼鏡店と契約して、お店でサイズを測り、形や素材の色を選んで注文書を送ってもらう仕組みも導入している。宣伝もインターネットを駆使したPRに特化している。

「1本作ると必ずといっていいほどリピーターになっていただけます」と留偉さんは語る。固定客が増え、経営も小売り専業時代から比べると大きく改善したという。「眼鏡ノ奥山」の基本戦略は「お客の満足度を高めることに力を入れ、安売り競争に巻き込まれるような商売はしないこと」だという。お客も満足し、店の利益も確保でき、処分品を出さずに社会への負荷も小さくできる。まさに「三方良し」のビジネスモデルということだろう。

岸田政権の筋違い…ガソリンに補助金出すなら、揮発油税を下げよ 新しい資本主義は、ばらまき、官僚主導

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https://gendai.ismedia.jp/articles/-/89506

大盤振る舞いの効果に疑問

政府が11月19日にまとめた経済対策に、高騰するガソリン価格に対応した補助金の導入を盛り込んだ。原油価格の上昇や円安によってガソリンの小売価格が上昇しているのを抑えるのが狙いで、ガソリンを給油所に販売する「石油元売り会社」に補助金を出す。

ガソリンの平均価格が1リットルあたり170円を超えた場合に1リットル5円を上限に補助金を出す。年末年始までに開始し、2022年3月まで続けるという。

岸田文雄内閣は選挙公約だったとして大規模な経済対策を実施。総額55兆円あまりの財政出動は過去最大規模だ。まさに大盤振る舞いの補正予算とあって、各省庁が「経済対策」の名目で様々な予算を盛り込んだ。

ガソリン補助金経済産業省のアイデアで生まれた。「時限的・緊急避難的な激変緩和措置」だと萩生田光一経産相は言うが、さっそくその政策効果に疑問の声が噴出している。

日本経済新聞は対策が決まる前日の朝刊で「ガソリン補助金 効果・公平さ疑問」「市場機能ゆがめる恐れ」と紙幅を割いて伝えた上、翌日の社説でも「ガソリン高対策の補助金は問題が多い」と畳みかけた。

実際、実効性が上がるかどうかは疑問だ。元売りに補助金を出したからといって、それが小売価格の引き下げにつながるかどうかは分からない。補助金のすべてが末端価格の引き下げに寄与せず、流通途中の事業者の懐に吸収される可能性も十分にある。また、補助金が出るのだからと言って企業努力をせずに安易に小売価格の引き上げが行われてしまう逆効果も考えられる。

かといって、適正に価格引き下げが行われるよう厳格に運用しようとすれば、経産省が価格統制しているのと同じことになり、役所の権限を強化することになる。もちろん、それを経産省が期待していることも十分に考えられる。業界に「恩を売る」一方で、規制権限が強化できれば、定年後の官僚の天下り先が確保できる。規制改革や公務員制度改革が求められる前のかつて見た光景へと舞い戻っていくことになりかねない。

「時限的」と言っているが、役所が始めた政策が当初予定どおりに収束することはまれで、経済状況が悪いと言ってはズルズルと継続するのはいつもの姿だ。

市場機能を歪めることの弊害

そもそも、「ガソリン高対策」は誰を救うために行うのか。経産省は自分の役所に出入りする「元売り」など業者しか見ていないのだろう。本来は、ガソリンが高騰することで事業に支障が出る他の業種や、生活が苦しくなる個人を救うことが狙いなはずだ。

「市場機能」が働けば、価格が上昇すれば「省エネ」などでガソリン需要が減り、価格を引き下げる方向に動く。販売量を減らしたくない元売りや給油所は価格上昇を何とか小幅に抑えようと経営努力をする。 

ところが、日経新聞も懸念するように「市場機能」がゆがんでしまえばこうした調整機能が働かなくなる。経産省が業者に口出しするとすれば「便乗値上げ」「カルテル」などに厳しい目を向けるのが本来で、補助金で業者を助けるようなことをやるべきではない。

もちろん、ガソリン価格の高騰で苦しむ生活者を放置しておいて良いという事ではない。政府が本気で消費者の負担を減らしたいと思うのなら、揮発油税を「時限的」に引き下げればいい。そうすれば、ガソリンを使う人たちは等しく恩恵を被ることになるはずだ。少なくとも業者によって損得が別れることはないだろう。

何せ、揮発油税は1リットルあたり48円60銭もかかっている。そもそも本則の税率は24円30銭なのだが、「当分の間」ということで暫定税率が引き上げられてい。2008年から12年以上も「暫定」税率は続いている。これを本則に戻すだけでも24円の値下げになるだろう。経産省補助金5円どころの効果ではない。

しかも、揮発油税目的税で道路財源として使われている。この税収を減らせば自動的に道路財源が減ることになり、「財源」は確保される。経産省補助金は新たな財源から出すので、結局は「借金」になる。

官僚主導に戻るのか

いやいや、道路財源は国土交通省の管轄なので経産省は口を出せません、と言うに違いない。この縦割りを打破するのが政治の役割ではないか。

岸田首相は「新しい資本主義」の掛け声の下、様々な会議体を立ち上げている。新しい資本主義の中味はほとんど分かっていないし、岸田首相の口からも具体的な姿は語られない。

だが、今回の経済対策を見ていても、何しろ「ばらまく」ことが「新しい資本主義」の一翼であることが見えてきた。その大方針にのっとって各省庁もせっせと補助金を創設し、自分の権益を広げることに躍起になり始めている。

世界でも「大きな政府」を模索する動きは強まっている。だが、その際には消費者や国民個人を直接的にサポートする制度の導入などが中心だ。

日本で「大きな政府」と言うと、霞が関の官僚が大きな権限を持ち、行政指導で業者をコントロールする「大きな官僚機構」に舞い戻ろうとする動きが強まる。新しい資本主義はまさしく官僚主導の昔の姿に戻った国家主導型経済を期待している人たちが多いのではないか。

「護送船団」に舞い戻った日本が、世界と伍して戦っていけるのか。国民の生活をより豊かにしていけるのか、大いに疑問である。

「マイナポイント配布は経済対策にならない」それでも政府が"バラマキ"を続ける本当の理由 「Go To」の方がまだマシだった…

プレジデントオンラインに11月17日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/51954

「経済対策」は支出以上の効果を生む必要がある

「新型コロナ対策」「経済対策」と言えば、どんな大盤振る舞いも許されると、政治家も官僚も思っているのだろうか。政府が11月19日にまとめる「経済対策」は、財政支出ベースで40兆円超になる見通しだと報じられている。新型コロナ前の年間の予算、一般会計予算が100兆円強だったので、追加の対策で使う金額としては、まさに大盤振る舞いだ。衆議院総選挙の際に与党が声高に叫んできた「手厚い給付」などを実行すれば、国民は皆喜ぶと思っているのだろう。だが、その大盤振る舞いのツケは、いずれ国民に回ってくる。

「経済対策」というのは言うまでもなく、政府が支出したものが、それ以上の経済的な効果を生むものを言う。つまり、政府が財政支出する以上、その経済的効果が明らかに期待できるものだけを本来、「経済対策」と言う。さらに「乗数効果」といって、政府が使うカネはいわば種銭で、これが刺激を与えて数倍も国民の懐を潤わせることが本来の経済対策には期待されている。所得が減った分を補填するだけでは厳密に言えば経済対策ではなく、福祉政策だろう。

「新型コロナ対策」も新型コロナ感染症の拡大防止や、それに伴う医療崩壊の阻止などに直結する政策を言う。かつて東日本大震災からの「復興予算」が、関係のない沖縄県道路建設などに使われていたことが発覚、大きな問題になったが、新型コロナ対策という以上、新型コロナの封じ込めなどに役立つ政策でなければならない。

マイナポイントが「新型コロナ対策」になるはずがない

今回の「経済対策」の中で、またしても噴飯物の政策が紛れ込んでいる。マイナンバーカードを取得した人に現金同様に使えるポイント「マイナポイント」を配るというものだ。新聞などによると「新型コロナウイルス感染拡大に対応するための経済対策」の一環というのだが、マイナポイントを配ることが「新型コロナ対策」になるはずもないし、経済対策としてもどれだけ乗数効果があるか不明だ。

当初、公明党からは、カード保有者に一律3万円分を支給するよう求める声が出ていたが、最終的には最大で2万円分の支給になるという。総額2兆円の事業である。

カード取得者に恩典を与えるのは、「カードの普及促進」が政策目的であって、経済対策は後付けの理屈だろう。新たにカードを取得した人に5000円分、カードを健康保険証として使うための手続きをした人に7500円分、預貯金口座とのひも付けをした人に7500円分をそれぞれ支給するという話になっている。

利便性を感じられないから、普及しないのも当然

マイナンバーを普及させたいという政府の意図は分かる。だが間違ってはいけないのは、マイナンバー自体はすでに全国民に発行され、番号は割り振られている。番号自体は普及しているのだ。ところがマイナンバーカードが政府の思惑どおりに普及しない。これまでもマイナポイントの付与などカネをばらまいてきた結果、普及率は上昇しているとはいえ、総務省の集計によると2021年11月1日現在のマイナンバーカードの普及率は全人口の39.1%にすぎない。

カードが普及しないのは当然だ。マイナンバーカードを持っていることによる利便性を感じない人が多いからだ。コンビニで住民票が取れますと言われても、住民票が必要になること自体、年に数回あるかないかだ。ようやく、健康保険証としても使えることになったが、健康保険証すべてがマイナンバーカードに置き換わるわけではなく、どちらも使えるから、わざわざ不便なマイナンバーカードを持ち歩くのは煩わしい。運転免許証としても使えるという話もあるが、まだ先の話だし、従来の免許証が無くなるのかどうかも分からない。

そもそも、マイナンバーを他人に知られてはいけない、という話から始まったため、マイナンバーカードを持ち歩くことにも多くの人はリスクを感じている。家の金庫にしまっているという高齢者もいる。米国の社会保障番号や北欧の個人認証番号などは、多くの人が暗記していて、聞かれればその場で答えている。マイナンバーが使えない仕組みになっているのは、最初の設計から間違っているのだ。

政府の説明は「便利です」ばかり

まして、物理的なカードである必要が本当にあるのか、はまともに議論されていない。民間のポイントカードは今やカード型ではなく、スマホの中にアプリとして入れるものが主流になりつつある。財布の中にカードがいっぱいで、新しいカードはいらない、という消費者が増えていることも背景にある。

民間のクレジットカード会社が、新たにカードを作った場合、5000円分のポイントを付与する、というのはよくあるサービスだ。5000円のインセンティブを与えても、その分、いずれ利用してもらう中から回収できるからだ。では、マイナンバーカードの普及に2万円を払って、政府はどうやって回収しようとしているのか。

皆さんの所得が完全把握できますので、捕捉率が上がり税収が増えるんです。そう説明してくれれば理解できる。ところが、政府の説明は「便利です」と言うばかりで、まともに本当の狙いを明かさない。もし「カードを普及させる」ということだけが、政策目的になっているのなら、官僚が自分たちの失敗を認めたくないために、「経済対策」に名を借りてカード普及を進めようとしているということなのではないか。

「Go To」のほうが経済対策としては効果があった

ポイントを配ることで消費を喚起するというのも無理な話だ。経済対策は前述の通り乗数効果が生まれなければ意味がない。2万円分のポイントを配って、2万円しか使われなかったら、乗数効果は1倍である。ポイントを配るためには当然、さまざまな手数料や官僚の人件費などのコストがかかっているわけで、財政の実質負担から見れば、乗数効果は1倍を下回ることになる。

バラマキだと批判を浴びたGo To トラベルキャンペーンの方が、実際に2万円の助成で4万円以上のところに宿泊するわけだから、個人の懐から2万円以上が支出されていた。助成率の大きさや金持ちばかりが得をしたという批判は別として、経済対策としてはそれなりに効果がある政策だったと言える。それに比べるとマイナポイントはまさにバラマキそのものと言えるだろう。

18歳以下の子供に対する給付金も「目的」が不明

他にも政策目的が曖昧な「経済対策」が目白押しだ。例えば18歳以下の子供に対する給付金。全員一律に配るのは不公平だとして上限960万円の年収制限を設けたが、またしても世帯主ひとりの年収なのか世帯年収なのかで不公平論が燃え盛っている。ひとり親で年収が980万円の家の子供は支給されないが、両親がそれぞれ950万円もらっている世帯は合算で超えていても支給されるではないか、というのである。また収入がなくても資産がある人は山ほどいる、という話になっている。

この給付の目的は何なのか。新型コロナで打撃を受けた人の救済なのか、経済対策なのか。はたまた少子化対策なのか。少子化対策で子供を増やしたいというのであれば、年収制限など付ける必要はなくすべての子供に一律に配るべきだろう。一方、弱者救済というのなら、世帯年収や資産状況を調べないと不公平になる。

昨今の「対策」は政策目的が不明確で、何でもばらまけば良い、カネを配れば経済対策になる、と思われているフシがある。いわゆる「国の借金」は1200兆円を突破し、GDPの2年分以上になった。そんなことはお構いなしに、何しろどんどん支出を膨らませるのが政治の役割だと言わんばかりに予算支出を続けている。政府が使うカネは本当に効率的なのか、政策目的の達成のために必須なのか、それを厳しく検証していくのが政治家の本来の仕事だろう。