あずさと新日本に「結果責任」問え

オリンパスの巨額損失隠し事件で、東京地検特捜部が菊川剛元社長ら7人を逮捕しました。今回の事件では、雑誌FACTAの追及を受けた会社側が過去の損失隠しを認め、第三者委員会でどんどん「真実」が明らかになっていくという珍しい展開になりました。今回の逮捕劇も会社が損失を認めてから3カ月もたっています。すでに東証も「上場維持」という一応の結論を出しています。これまでの流れではオリンパス問題は菊川元社長ら幹部の個人的犯罪ということになっていますが、強制捜査で新事実が明らかになるのでしょうか。その他の取締役や監査法人などの責任はどうなるのでしょう。
少し古くなりましたが、FACTA1月号の記事を編集部のご厚意で再掲します。
オリジナル→
 http://facta.co.jp/article/201201030.html


 12月6日、オリンパスの第三者委員会が調査報告書をまとめた。巨額の損失隠しにかかわった経営陣を厳しい言葉で批判。加えて社外取締役監査役監査法人などのチェック能力にも疑問符を投げかけた。これを受けて、証券取引等監視委員会東京地検特捜部などの捜査も動きだし、原因究明と責任追及が本格化することになる。

会計のプロとして決算書をチェックしてきた監査法人はいま、戦々恐々としている。米エンロン不正経理事件では世界の大手会計事務所の一つだったアーサー・アンダーセンが2002年に解散。日本でもカネボウ粉飾決算事件などによる信用低下で四大監査法人の一つだった中央青山監査法人が07年に解散に追い込まれている。“監査の失敗”で世間の信頼を失えば、いくら大手といえども監査法人として命脈が尽きることをこの10年間で、監査法人の経営者は嫌というほど思い知らされてきたのだ。それだけにショックは大きい。

「海外のファンドに損失を隠していても、金融機関の確認書など書類上の形が整っていたら、会社の経理担当者が嘘をついている限り、会計士がそれを見抜くのは不可能だ」

あずさ監査法人で監査に携わった経験を持つ元幹部は言う。あずさは前身の朝日監査法人時代から09年3月期までオリンパスの監査を担当。決算処理に「問題なし」という意味の「適正意見」を出し続けてきた。もちろん年間数億円という報酬を得て、多くの専門会計士が監査に当たってのことである。

他の多くの会計士も、海外に隠れている損失を会計士が見つけ出すのは不可能だと口をそろえる。確かに資金の動きがなく塩漬けになった「飛ばし」の残骸を見つけるのは不可能かもしれない。だが、決算書の数字が大きく動く取引があった場合には、十分に気がつく可能性があったのではないか。

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あずさが監査していた間には、損失を海外に「飛ばす」資金取引や、大型のM&A(企業の合併・買収)でその損失を穴埋めする操作が行われている。それでも問題を見抜けなかったとすると、考えられるのは二つ。会計士が会社とグルになっていたか、あるいは会計士の能力がよほど低かったか、である。

さすがに会社と共犯関係にあったとするのは酷だろう。オリンパスの監査担当には、あずさ監査法人を代表する会計士が歴代名前を連ねてきた。宇野晧三氏はあずさの経営トップにまで登り詰めた人物だし、小宮山賢氏は会計基準の国際交渉などで日本を代表する立場を長年務めてきた。佐々誠一氏もあずさ全体の監査の「質」に目を光らせる役割を担っていた人物だ。会社と共犯関係になれば、監査法人の存続が危うくなりかねないことを熟知していた人物たちだ。

監査法人を監督する立場にある金融庁の聞き取りに、あずさ監査法人側は「(00年3月期に特定金外信託の解約などで計上した特別損失170億円以外の飛ばしは)会社側に騙されてまったく気がつかなかった」という主張をしている模様だ。能力が低かったと自ら卑下することで、責任を何とか回避しようという苦肉の策だろう。だが、監査法人を代表する面々の能力がそうそう低かったとは思えない。

おそらく、あずさ監査法人はどこかのタイミングで問題に気がついていたはずだ。会計士業界では不祥事が相次いだ1990年代後半から、担当会計士の交代(ローテーション)制度を導入した。監査法人と企業の癒着を防ぐのが目的だ。この制度に従って、あずさも担当会計士が何度か交代している。その効果か、交代の過程で気がついたと考えるのが自然だろう。

だが、それをおおっぴらに公表すれば、会社は上場廃止となり、監査法人も過去に見逃していた責任を問われることになる。見つけた会計士は情状酌量としても、見逃してきた先輩会計士は下手をすれば刑事責任まで問われかねない。

粉飾決算の場合、単年度の会計処理が問題になるケースは稀だ。長期の積み重ねで抜き差しならなくなるところまで問題が大きくなることが多い。その段階で監査法人が問題を指摘すれば、監査法人自身の過去も問われてしまう結果になるのだ。

それを避けるために、監査法人ではしばしば「消極的対応」が取られてきた。監査法人が会社に厳しい決算処理を迫ることで、会社側から監査契約の解除を言い出させるのだ。自らが傷つかないための便法である。10年3月期から新日本監査法人に変わった背景には、似たような事情があったに違いない。

これまで大手監査法人から契約を切られた会社は、監査を引き受ける大手などいないのが普通だった。個人事務所のような小規模監査法人が引き受け、いずれ破綻していくという例が過去にいくつも存在する。

今回はあずさが契約を解除された後を、大手の新日本監査法人が入札で引き受けた。新日本は水面下で大半の責任はあずさにあると主張して回っているが、「腐ったリンゴ」であることに気がつかずに飛びついたとなると、監査法人としての資質自体に大きな疑問符が付く。

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今回の事件はオリンパス1社の特殊なケースではなく、日本企業の企業統治(コーポレート・ガバナンス)のあり方が根本から問い直されている。民主党からは、そもそも企業から報酬をもらっている監査法人がその企業をチェックすること自体がおかしい、という声もある。もっと政府機関が関与して、監査法人を選んだり、監査内容をチェックすべきだという意見だ。不祥事が起きるたびに日本で浮上する「監査公営化論」である。

監査はもともと、企業が上場して投資家から資金調達するにあたり、自らの決算書の正しさを証明する手段だ。ゆえに企業がそのコストを負担するのは当然なこと、というのが資本主義社会の常識になり、今や世界の隅々にまで広がっている。企業のチェック役として株主や投資家の信頼を得ている監査法人が責任逃れに終始すれば、日本の会計監査の仕組み自体が大きく揺らぎかねない。監査法人に目を光らせる役割は、自主規制団体としての日本公認会計士協会も担っている。オリンパス問題では会計士協会も調査に乗り出してはいるが、「検察などと違って反面調査権がないので」といういつもながらの言い訳が聞こえてくるばかりだ。

資本主義の仕組みは、結果責任を引き受けるラストリゾートの存在によって成り立っている部分がある。決算書の信頼性は担当した会計士の無限連帯責任で担保される仕組みだ。資本市場のルールを踏みにじった以上、企業の上場廃止は当然だし、監査法人や会計士が責任を負うのは自明の理だ。その当然のルールをさらに踏みにじれば、日本から資本市場は消えてなくなることになる。