匿名でなければホンネは聞けないのか?

2月28日、船橋洋一さんがコーディネートした「福島第一原発独立事故調査委員会民間事故調)」の報告書がまとまり、記者会見が行われました。政府の事故調査委員会では行っていなかった菅直人前首相へのヒヤリングなどで、おぼろげながらも当時の人模様が見えてきています。驚きなのは政府の事故調が菅氏へのヒヤリングを行っていなかった事実や、民間事故調のヒヤリングに東電が応じなかったこと。あれだけの事故が起きていながら、政府も東電も真実を究明しようという姿勢が希薄なのではないでしょうか。強い調査権限を持った国会の事故調が残っていますので、これに期待するほかないでしょう。いずれにせよ、その時、誰が何を言い、どう決断し、行動したのかをきちんと記録として残し、歴史の検証の素材とすることです。立ちはだかるのは官僚機構の秘密主義。2月8日付でそんな視点で書いた新聞コラムを以下に再掲します。

産経新聞社「フジサンケイビジネスアイ」2月8日付1面コラム
オリジナル→http://www.sankeibiz.jp/macro/news/120208/mca1202080502001-n1.htm


「非公開、匿名でなければホンネの話が聞けない」。政府の会議や審議会などの公開をめぐって、昔から霞が関の官僚が繰り返してきた理屈である。実名で公開するとなると、発言者が萎縮して、自由闊達(かったつ)な議論ができない、とも言われてきた。

 そんな「匿名主義」が、今回の問題の根っこがあるのは明らかだ。東日本大震災直後に設置された原子力災害対策本部など重要な会議の議事録が作られていなかった問題である。

 政府は防戦一方。あたかも震災直後の混乱で議事録まで気が回らなかったといいたげだ。が、「うっかりミス」ではないだろう。

 権力に携わる者は、その意思決定過程に歴史の検証を受ける責務を負う。今すぐ公開するかどうかは別として、歴史家がきちんと検証できる史料として議事録、会議録を残すのは歴史的な義務だ。法律違反かどうかという次元の問題ではない。

 民主党政権になって、似たようなことがあちこちで起きている。政府が設置した原発事故調査・検証委員会は、昨年末に中間報告をまとめるまでに126人の関係者にのべ300時間のヒアリングをした。

 ところが、ヒアリングは非公開が前提でしかも匿名。責任追及が目的ではないからという理由だ。こんなところにも霞が関流「匿名主義」が侵食している。

 「匿名の方が真実」というのは本当だろうか。匿名だからうそを言ってもバレないと考え、むしろ真実がゆがめられるのではないか。災害対応に関与した民主党議員のひとりがいう。

 「当時官邸周辺にいて、自分に都合のいいことだけを公言している人物がいる。自身の発言が真実と違っていても検証されることはないと高をくくっているのだろう」

 霞が関が匿名主義にこだわるのは、もちろん自由闊達な議論を求めてきたからではない。役所の審議会の多くは大臣の諮問機関という位置づけだが、実態は役人の隠れみの。役所自体が進めたい政策をお手盛り審議会で決める。会議を公開すれば当然、シナリオを描いている官僚の馬脚があらわになる。薬害エイズ事件では、役所が下した政策の是非が断罪される事態にまで発展。官僚はますます表に出なくなった。

 ようやく議事録の公表や会議の公開が行われるようになったのは自民党政権末期。「官邸主導」が強調されるようになったのと、インターネットの普及が大きい。ところが政権交代でこの流れは止まった。

 政権交代以降、政務三役会議など、政治家が物事を決める場面が増えた。そうした会議の議事録はほとんど公開されず、意思決定過程は不透明になった。確かに為政者にとって匿名は楽だろう。政策決定にからんで政治家個人が批判にさらされにくくなる。だがそれでは、歴史の検証に耐えることは難しい。(ジャーナリスト 磯山友幸