特定秘密保護法の対象は現段階で40万件と霞が関 いったいどこまでが「秘密」なのか

政府として秘密を守ることは重要なことだと思いますが、一方で、その秘密がいずれ国民の前に公開されることが前提だと思います。今審議されている「特定秘密保護法案」は法案を読んでみると、曖昧な点が多過ぎると感じます。現代ビジネスにアップされた原稿です。→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37449


霞が関の中堅幹部と話していたら、最近、省内での情報管理が一段と厳しくなったとボヤいていた。直接担当ではなくても、自分の分野に関連性のある外交案件などは山ほどある。これまでは同期入省の同僚に電話して情報収集するのが常だったが、最近は「その話は」と口ごもられることが増えたという。

安倍内閣が公務員の秘密漏洩の罰則強化を盛り込んだ「特定秘密保護法案」を国会に提出したことと無関係ではないだろう、とこの幹部は話す。穿った見方をすれば、このタイミングで情報漏えいの「事件」が発覚すれば、法案成立の後押しになる。
 そんな人身御供が自分の配下から出てはたまらないと事務次官や局長が「護身」に回っている可能性もある、というのだ。

曖昧な「特定秘密」の定義

 この法案の問題点は多くの識者に指摘されているが、最も危険なのは「特定秘密」の定義が曖昧なことだ。
 法律案では、「防衛」「外交」「外国の利益を図る目的で行われる安全脅威活動の防止」「テロ活動防止」を対象として掲げ、「漏えいが我が国の安全保障に著しく支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要な未公開の情報」を「特定秘密」として行政機関の長が指定することになっている。

 だが、「安全保障に著しく支障を与えるおそれ」というのはどういう状況なのか、どこまでが著しくないのか、など明確な線引きが法律では明らかでない。行政機関の長、つまり大臣が指定したものが自動的にすべて「特定秘密」となってしまう可能性が懸念されているのだ。

 実際、何でも「マル秘」扱いにしようとするのは霞が関の性癖といえる。

 官僚にとって、情報を独占することは規制権限を手にすることと同義だからだ。霞が関の裁量でどんどん「特定秘密」の範囲が拡大し歯止めがきかなくなる懸念はぬぐえない。

 これは官僚・政治家とマスコミ・民間人の間での情報のやり取りだけに留まらない。冒頭の中堅幹部が感じ始めているように、霞が関内での情報交換が齟齬をきたすことになりかねないのだ。秘密の範囲が広ければ広いほど、「漏洩」に該当するリスクが高まるわけで、「危ないから何も話さない」というメンタリティに官僚を変えてしまうことは容易に想像が付く。

李下に冠を正さずと言えば聞こえがよいが

 1990年代の後半に過剰接待で大蔵省(現財務省)が強く非難を受けた後、官僚の多くが民間人との会食自体を拒む時期が続いた。李下に冠を正さずと言えば聞こえがよいが、リスクを避けたのである。
 その結果、民間の考え方や希望を度外視した政策が増えたと言われた。特定秘密の範囲が広ければ広いほど、似たようなメンタリティに官僚を追い込むのは間違いない。

 そんな危惧はどうやら正しかったということが、法案の審議の過程で明らかになりつつある。

「特定秘密、まず40万件」---。
 11月上旬、大手メディアはそろって、政府が特定秘密保護法案が成立したあと、まず40万件の情報を特定秘密に指定する方針だと報じた。2007年に政府が作った秘密基準である「特別管理秘密」をそのまま「特定秘密」に横滑りさせる、というのである。

共同通信とのインタビューで担当の礒崎陽輔首相補佐官が「特別管理秘密」の件数をあげながら、当初指定の「特定秘密」を約40万件と示唆、これを各メディアが報じたという。

「特別管理秘密」の件数については、日本共産党赤嶺政賢衆院議員の質問趣意書に政府が今年3月12日に回答したものがベースになっており、その数、16府省庁で計41万2931件にのぼるとしている。

「特定」とは読んで字の如く「特に定める」もの。それが40万件にも及ぶと聞いて、多くの国民は首をかしげるのではないか。
 当事者である大臣や幹部公務員ですら、どこまでか秘密なのか、どこからは話せるのか、全容を理解することなどできないのではないか。

赤旗」の報道によると、特別管理秘密の内訳は内閣官房31万8886件、防衛省が4万1527件、外務省が1万8504件などであるという。外務省は「外交機密文書」など、防衛省は「防衛秘密」などとして管理しているという。

何が秘密か、いつまで秘密かは一切わからない

 別の報道によると、内閣官房の特別管理秘密の中心は、暗号や情報収集衛星などの情報が中心だとされているが、それが中心である保証はないし、検証もできない。外務省については内容は一切非公表とされている。

 つまり、現状の「特別管理秘密」ですら、何が秘密にされているのか、その情報は将来、公開される可能性があるのか無いのかも、分からないのだ。それが、横滑りして「特定秘密」になるというわけだ。

特定秘密保護法案では、「指定の際には有効期間(上限5年、更新は可能)を定める。ただし、有効期間満了前でも指定要件を欠いた時は速やかに解除する」とある。

 だが、現状の特別管理秘密の扱いをみていると、何が秘密に指定されているか一切分からないうえ、その秘密の指定期間も大臣などの判断で永遠に更新されることが可能になる。秘密が永遠に秘密のまま闇に葬られる可能性もあるわけだ。

 これは「国民の知る権利の侵害」などというレベルの話ではないだろう。民主主義国家とは何か、政府と国民との関係はどうあるべきか、という国家存立の根本にかかわる問題だ。

日本国憲法の前文には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」とうたわれている。現実に存在する自衛隊が明記されていない現行憲法を改正すべきだという意見の持ち主でも、この国政と国民の関係を示した全文を全否定する人は少ないのではないか。
 つまり、政府は国民に対して説明責任を負っていると考えていいだろう。

 安全保障や外交上、国家として秘密を守ることが重要であることは間違いない。
 だが、その一方で、国民に対する説明責任を保つこともさらに重要なことだろう。秘密を守る一方で、情報公開のルールをより一層整備することが必要ではないか。

公開のルールを定めることは民主主義国家として当然

安倍内閣はこの国会で、国家安全保障会議(日本版NSC)を創設する法案も提出している。

 当初、この会議の議事録を作成しないと菅義偉官房長官は述べたが、野党などから強い批判を浴びた。結局、「国の安全保障を損ねない形でしっかりと検討していきたい」と議事録作成などを念頭に議論の公開方法を検討する意向を示した。

 議論の内容をすぐに公開することが国益を損なうことは十分に考えられる。しかし、10年後、あるいは50年後といった時間を経てでも、きちんと公開するルールを明確にしておくのは、民主主義国家として当然のことだろう。