農業特区・養父市に新会社が続々、市民の意識も変化 担い手の多様化と儲かる農業に挑む

安倍内閣が改革の突破口と位置づける国家戦略特区。中でも取り組みが進んでいるといわれる兵庫県養父市のレポートが、日経BPのウェブメディアに掲載されました。→http://www.nikkeibp.co.jp/atcl/tk/15/434167/090800006/?P=1

 養父市が国家戦略特区に指定されたのは2014年5月。「中山間農業改革特区」という位置付けである。中でも注目されたのが、地域の農業委員会が握っていた農地の売買・貸借の許可事務を市長に移したこと。そして、農作業従事者を役員に1人以上置けば農業生産法人を設立できるようにしたことだ。全国が注目する農業改革の形が少しずつ見えてきた。

 「養父市はようちち市へ、」――。朝日新聞の8月11日付け朝刊に、そう大書きした全面広告が載った。「へぇ?」と思った読者は左下に小さな字で続きの文句を見つけることになる。大書き文字の最後が「、」になっているのがミソで、「生まれ変わりません。」と続いているのだ。さらに小さな文字で、「“読めないまち”養父市は、もっと、何をはじめるか読めないまちへ。」と書かれている。

 そもそも「養父」を何と読むのか分からない人にはちんぷんかんぷんの広告である。紙面に何と読むか答えは書かれていない。右下に「国家戦略特区指定 養父」と朱書きされているが、そこにもフリ仮名はない。

 国家戦略特区に指定されて、養父(やぶ)という市の名前を読める人は確かに以前よりは増えた。それでも、いまだに正確に市名を読んでもらえないことも多く、ずっともどかしい思いを重ねている。

 そんなもどかしさを逆手に取ったのである。全面広告に合わせて「読み間違えコンテスト」をツイッター上で実施。「あなたならなんて読む?」という問いかけに、ネットユーザーから珍読奇読が寄せられている。「育ての父市」「やっとお父さんって呼んでくれたんだね市」「よめない市」といった具合だ。

 コンテストは8月11日から10月11日までで、寄せられた読み方の中から、A賞「おいしい但馬牛(2キログラム)」を8人に、B賞「おいしい空気(ボトル入り)」を2人にプレゼントするという遊び心いっぱいの趣向である。当選者数も8人と2人で「やぶ」を掛けている。

 自ら「何をやるか読めない」と言うだけあって、養父市は新しいことに挑戦してきた。安倍晋三内閣が規制改革の突破口として位置付ける「国家戦略特区」にまっ先に手を挙げたのも、半ば当然の流れだった。広瀬市長は、養父市前身の八鹿(ようか)町職員のころからの根っからの改革派。養父市内には株式会社立の通信制高校や、廃校の校舎を使った醸造工場や植物工場、どぶろく特区など、改革の足跡がいたるところにある。PFIの手法を活用した道の駅や温泉施設もある。さしずめ規制改革の実験場なのである。

農地流動化で多様な担い手を増やす

 養父市が国家戦略特区に指定されたのは2014年5月。東京圏、関西圏、新潟市、福岡市、沖縄県と並んで指定された。養父市は「中山間農業改革特区」という位置付けである。

 安倍首相は就任以来、アベノミクスの第3の矢である「民間投資を喚起する成長戦略」の“1丁目1番地”は規制改革だと言い続けてきた。そのうえで、「農業」「医療「雇用」を岩盤規制と名指ししている。安倍内閣は、養父市に農業改革の突破口になることを期待したのだ。

 規制改革の初期メニューは5つ。農地流動化に向けた(1)農業委員会と市の事務分担の見直し、6次産業化の推進に向けた(2)「農業生産法人の要件緩和」と(3)「農家レストランの農用地区域内設置容認」、農業を産業化するための(4)「農業への信用保証制度の適用」、地域活性化に向けた(5)「古民家の宿泊事業の特例」である。

 中でも注目されたのが、地域の農業委員会が握っていた農地の売買・貸借の許可事務を、市長に移す点。特区推進派の間では、農地流動化の切り札になるという期待が高いものの、農地保護を掲げるJAなどが強く反対してきた。「農業の多様な担い手を増やすための第一歩」と位置づけた広瀬市長の根気強い説得に農業委員会も折れ、権限移譲が行われた。

 広瀬市長が言う多様な担い手には、企業も含まれる。農業生産法人の要件緩和はそうした企業を農業に招き入れるうえで不可欠の特例だ。農業生産法人を設立するには、役員の過半数が、生産や販売・加工といった農業の常時従事者であることが必要で、さらにその過半数が農作業に従事することが求められてきた。それを特区ででは、農作業に従事する役員を1人以上としたのだ。これによって、販売や加工に携わる人たちが関与しやすくなったのである。

耕作放棄地の再生、養蜂など5事業者が参入

 特区内で具体的に事業を行う事業者の設立も進んだ。株式会社アグリイノベーターズ(資本金500万円)は、役員6人のうち農作業従事者は2人だが、特区の要件緩和によって設立が認められた。耕作放棄地の再生や、ブルーベリーの六次産業化、栽培したコメや野菜をレストランで提供することなどを目指す。

 やはり農業生産法人の要件緩和で1人の農作業従事者だけで設立した「株式会社マイハニー」(資本金100万円)は、「自産自消」型の小規模農園を提案するマイファーム(京都府)の西辻一真社長が代表取締役に就任。耕作放棄地でれんげやからし菜を栽培して養蜂業を始めた。ハチミツの加工・販売のほか、ハチミツを中心としたカフェの営業をにらむ。もちろん、特区内の農家レストランの特例を活用する。

 同様に耕作放棄地の活用を考えて設立されたのが「株式会社やぶの花」(資本金100万円)。姫路生花卸売市場(兵庫県姫路市)が特区を活用し、生花生産に乗り出す。小菊やリンドウなどを栽培し、将来は花のまちとして観光地化することを目指す。

 大企業がからんだ農業産業化の取り組みも始まった。農業生産法人の特例を使って設立した「やぶファーム株式会社」(資本金400万円)には、地元農家や、養父市が100%出資する地域おこし会社「やぶパートナーズ」(社長、三野昌二副市長)に加えて、オリックスとJAたじまが参画した。オリックス養父市内で廃校を活用した植物工場でレタスなどを栽培しているが、今回はピーマンや玉ねぎ、にんにくなどの路地栽培に乗り出した。将来は地元特産の大豆や山椒を栽培し、加工・販売につなげる。地元運輸会社の経営者も参加。生産、販売、物流を一体化することで採算点を目指している。

 古民家を使った旅館業法の特例も活用する。兵庫県篠山市の一般社団法人ノオトが、養父市大屋町大杉地区に残る木造三階建ての養蚕住宅を活用、特区の特例を使って玄関帳場(フロント)を設置せずに宿泊施設として営業する。養蚕が栄えていた頃に蚕を飼えるように三階建てにした立派な木造建築物で、兵庫県の景観形成重要建造物にも指定されている。

 ノオトが改修している養蚕住宅には、地域の食材などを使うレストランも設置する。大杉地区では既に、養蚕住宅を改装した美術ギャラリーや、集会所などが作られている。空き家の養蚕住宅を宿泊施設やレストランに改装することで、集落全体の活性化や地域の農業振興につなげたい考えだ。

ちょっとした新会社設立ブームが到来

 養父市は、6次産業化に取り組む事業者向けに融資制度「養父市アグリ特区保証融資」を設けた。特区内で認められた農業保証制度を活用したもので、これまで信用保証協会の信用保証を付けることができなかった農業分野の資金について、兵庫県信用保証協会による信用保証の対象になった。これも特区に認定されたから可能になったもので、6次産業をバネにした農業の産業化に結びつくと期待されている。

 特区指定を受けたメリットも現実に出始めている。農業生産法人の設立要件緩和によって、養父市外の事業者が養父市農業生産法人を設立するケースが出た。人口約2万5000人、中山間地の養父市にとっては、ちょっとした新会社の設立ブームともいえる現象が起きたのである。当然、会社が生まれれば、雇用も増える。特区保証融資を受けた企業2社が事業を拡大、この2社で12人の雇用を生んだ。

 地元の名産品を使った加工食品なども次々に生まれている。養父市は朝倉山椒の産地だが、これまでの加工品と言えば、佃煮と相場が決まっていたが新しい商品の開発も進み始めた。地元のイタリアン・レストランのシェフらが協力し、ジェノベーゼタプナードなどのソース瓶詰などを発売。ちょっとしたヒット商品になっている。

 耕作放棄地の活用や、農業の6次産業化農家レストランといった特区での取り組みは、まだ緒に就いたばかり。本当に養父の農業が再生できるかどうかは現段階では分からない。だが、「市民の意識が変わったのは大きい」と三野昌二副市長は言う。三野氏はリゾート事業やレストランなどの経験が豊富な民間出身者で、広瀬市長が副市長に抜擢した人物。山間地で決して開放的とは言えない地域に新風を吹き込む役回りを果たしてきた。「初めはよそ者ということで相手にしてもらえなかったが、最近はこんな商品はどうだ、といった話を持ち込んでくれるようになった」と三野氏。儲かる農業が実現できそうとなれば、市全体が活気づいてくる。

 2014年度に、養父市を訪れた視察団は合計51件、約530人にのぼったという。新聞やテレビなどで「国家戦略特区・養父市」の改革が頻繁に取り上げられた効果だ。

 特区制度は、指定地域が追加で広がっていくのと同時に、規制緩和項目も追加されていくのが特徴だ。新たに法律で追加された規制緩和項目については、既に指定済みの特区も活用することが可能だ。特区担当相と首長、事業者からなる区域会議で議論し、区域計画に盛り込まれれば、規制の特例が認められるのだ。

 今年6月に閣議決定された成長戦略「日本再興戦略 改訂2015」には、ICT(情報通信技術)を使った遠隔地での服薬指導など遠隔医療の規制緩和が盛り込まれた。養父市では中山間地の患者の通院負担を軽減させるために、遠隔医療の活用や、ドローンを使った医薬品の販売など新たな事業の拡大も検討し始めた。特区を活用した取り組みは今後もどんどん増えてゆきそうなのだ。

 確かに何を始めるか「読めないまち」である。だが、養父市が今後も挑戦し続けていくことが「読める」事だけは、どうやらは間違いなさそうだ。