故郷の空き家を活用、総社アートハウスの挑戦

ウェッジインフィニティに2月21日にアップされた原稿です。→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/8917

Wedge (ウェッジ) 2017年 2月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2017年 2月号 [雑誌]

 ふるさとに親が残したわが家をどうしたものか。空き家になって久しいが、家族の思い出が刻まれた家だけに取り壊すのも惜しい─。故郷を離れて都会に住む、そんな思いを抱えている人は少なくないだろう。平成25年の調査時点で全国の空き家は820万戸。総住宅数は6063万戸なので、何と13.5%に達する。少子化の影響もあって、誰も住まなくなった壊すに壊せない古い民家が、全国にはたくさんあるのだ。

 今は神奈川県伊勢原市に住む池上(いけのうえ)眞平さんもそんなひとり。岡山県総社市に大正時代に曾祖父が移築した家がある。20年近く前に祖母が亡くなって空き家になっていた。池上さんも生まれたのはこの家だが、父親の転勤などで京都で育ち、自身の就職後は関東に住んだ。一時は身障者グループのNPOに貸したこともあったが、その後は荒れるに任せた状態になっていた。

 池上家は旧総社町の初代町長も務めた家で、土塀に囲まれたその邸宅は巨石を配した庭に面した書院や居間を持つ伝統的な日本建築。家の裏には土蔵や茶室もあった。「壊すことも考えたのですが、相談したら解体費用だけで1000万円近くかかると言われ考え込みました」と池上さん。

 そんなとき、ひとつの出会いがあった。建築家で美術作家でもある松本剛太郎さんを紹介されたのだ。

 松本さんは2006年に建築士事務所を閉じた後、岡山県東部・和気町の古民家を自力で改修、アトリエにして絵画や彫刻に取り組んでいた。池上邸を見た松本さんは、大改装して、人が集まるアートハウスにしたらどうかという話を持ちかけたのだ。14年のことだ。松本さんの右腕で、シルクスクリーンによる版画などを含む現代芸術家の伊永(これなが)和弘さんも協力することになった。


左から松本剛太郎さん、池上眞平さん、伊永和弘さん


 松本さんが全面的に工事を請け負う代わりに、その後の賃貸料はなし。工事にかかる材料費の一部を池上さんが負担することで折り合った。「壊す費用よりも少なくて済んだ」と池上さん。契約期間は少なくとも10年間。とりあえず修復して終わり、というのではなく、長期にわたってアートハウスとして使い続ける「コミットメント」を結んだのだ。

 「松本さんや伊永さんは、芸術作品というのは触媒で、もっと大事なのは、それを見に来た人同士のコミュニケーションだと言う。人が集まる場を作りたいという彼らと、いわばケミストリーが合ったんです」

 そう池上さんは振り返る。


総社アートハウスとして再生した池上邸


カウンターバーが必要なワケ
 15年に着手した大改装は16年夏には何とか形になった。

 「床の間の明りとりの木の彫刻など、非常に丁寧な仕事がしてあります。これを壊してしまうのはもったいない、と見た瞬間に思いました」と松本さん。階段も付け替え、壁も抜いて部屋を広くする一方、耐震強化にも気を配った。茶室は残念ながら朽ちていたので壊し、土蔵も傾きを補強した。

 「庭を掘ったら立派な池の跡と、滝の石組みが出てきました」と目を輝かせる松本さん。誰に頼むことなく、自分ひとりの力で作業を続ける。とりあえず展覧会ができる場所を確保しただけで、全体が完成するのはまだまだ先だ。

 入り口を入った正面、土間だった場所には床が張られ、長い木製のカウンターがしつらえられた。家の改修の企画を受け持つ伊永さんはこう語る。

 「作家そのものを知る画廊です。居心地が良くなければ人は集まりません。だから、まずはバーカウンターが必要だったんです」

 池上邸を使って個展を開く作家と、それを見に来た美術愛好家が、バーカウンターで酒を飲むという趣向である。


土間を改装したバーカウンター


総社市のひとつの文化拠点になりますよ」と伊永さんは笑う。

 実は伊永さん。岡山県主催の「まちアート・マネジメント講座」の企画を受け持つなど、役所や芸術家などに広い人脈を持つ。その人脈がフルに機能している。

 16年11月11日から23日まで、池上邸あらため「総社アートハウス」で初めての芸術展を開いたのだ。


 「鐵(てつ)と榎忠(えのきちゅう)展」─―。「鉄の廃材を使った芸術で知られる榎忠さんの作品を、邸内に陳列したのである。榎さんと松本さんは若い頃からの友人。伊永さんも長年の知り合いだった。この展覧会、総社市のチラシなどで宣伝しただけだったが、期間中350人以上の人が作品を見に訪れた。

 実は、「鉄」をテーマに選んだのは、作家の榎さんを知っていたから、という話だけではない。

 「この総社は鉄の文化の発祥の地でもあるのです」と伊永さん。総社市のある吉備地方は、古代から「たたら」が行われ、鉄の文化を持ち込んだ鬼・温羅(うら)の末裔である鍛冶師や鋳物師が暮らす鉄の町だったとされる。私たちが良く知る「桃太郎の鬼退治」の鬼は、実はたたら製鉄を行う人々だったのではないか、というのだ。そんな総社と縁の深い「鉄」を、総社アートハウスの口開けの展覧会のモチーフにしたのだ。

 この展覧会を含め、その前後にワークショップなどを開催。「鬼・鐵・忠〜鉄をテーマに古代から現代を視るプロジェクト」と名付けたアートイベントに創り上げた。

 その一環として10月には、6世紀の「たたら」製鉄を忠実に再現する試みが総社市内の公園で行われた。たたらの再現を指導した林正実さんは、そんな鋳物師の末裔で、金融機関を定年退職した後、本格的なたたら文化の復興を目指している。その傍ら、総社で16年にわたって「鬼ノ城(きのじょう)塾」という私塾を開いている。全国から芸術に携わる人たちを招いた講演会を主宰しているのだが、そうした芸術家の人脈が総社の「アート拠点」の重要な武器になっている。


「たたら」製鉄ワークショップで作られた鉄



 「このまま朽ち果ててしまうのは忍びないと思っていたので、本当に良かった」と池上さんは微笑む。総社市に住む池上の本家筋の親戚、池上陽子さんも、「品格のある当家の雰囲気を損なうことなく、蘇らせていただいた」と喜ぶ。「人々が集い賑わって地域の活性化につながれば」という。

 何世代にもわたって家族が住み、たくさんの笑い声が溢れていた家が再び、美しい芸術作品に飾られ、多くの人たちに幸せを感じさせる場所に生まれ変わる。

 今後このアートハウスがどんな展開を遂げていくのか。総社市の「アート」の拠点として、芸術家が集う場所になり、地域の活性化にひと役買うことになるのか。注目したい。

筆者と話の花を咲かせる皆さん



総社市
人口約6.8万人。
古墳時代吉備国」の中心地として栄え、多数の古墳が残っている。
飛鳥・奈良時代には備中の国府が置かれ、国分寺が配置された。