ウェッジインフィニティに12月3日にアップされた原稿です。→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9255
- 作者: Wedge編集部
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「何のためにそうしたいのか、きちんと伝えていれば、応援団や共感者が自然に集まって来ます。同じ価値観を持った人たちですね」─。
尾畑留美子さん。学校蔵として使う西三川小学校の教室で。
新潟県佐渡に一風変わった〝コミュニティ〟が生まれつつある。仕掛け人は尾畑留美子さん。「真野鶴」という酒を造る尾畑酒造の五代目だ。最近、地域おこしの取り組みとして、あちらこちらのメディアに引っ張りだこである。
注目されているのは「学校蔵プロジェクト」。2010年に廃校になった「日本一夕日がきれいな」西三川小学校の木造校舎を改造し、仕込み蔵を作った。震災の影響もあって、実際に酒造りを始めたのは14年から。5月から8月の夏場に酒を造る。酒造りの本場は秋から春にかけての冬場だが、その期間は佐渡市真野新町にある本社の仕込みがフル回転のため、今は夏場だけ使っている。
廃校を利用した酒蔵は全国にも珍しく、西三川の学校蔵ではそこを「場作り」の拠点にした。
佐渡のファン作り
14年からさっそく「学校蔵の特別授業」と銘打った交流事業を始めた。日本総合研究所主席研究員の藻谷浩介さんを招き、「佐渡から考える島国ニッポンの未来」をテーマにワークショップを始めたのだ。15年には講師に玄田有史・東京大学社会科学研究所教授が加わり、16年にはさらに出口治明ライフネット生命保険会長も講師となった。
佐渡島:面積約860平方㌔の日本海最大の島。トキの繁殖でも知られる。人口は昭和40年代に10万人を割り、現在約5万7000人。
授業には尾畑さんの母校でもある佐渡高校の学生や地域の住民のほか、島外からも学者やメディア関係者など約100人が集まった。もちろん小学校の教室がそのまま使われる。
「学校はいろいろな人が集まってこそ学校ですから」と尾畑さん。多様な立場の人が同じ生徒という立場で議論する。尾畑さんが長年培った人脈の広さがモノを言った。
実は尾畑さん、高校を出ると東京の大学に進み、映画配給の日本ヘラルド映画(当時)に入って、宣伝プロデュースを担当していた。1995年に4代目の父の跡を継ぐことを決めて佐渡に戻るが、その際に結婚して共に帰ることになった相手は角川書店の「Tokyo Walker」の編集者だった。
ちなみに、その夫の平島健さんは現在社長、留美子さんは専務である。
特別授業を行う教室(上:撮影・生津勝隆)、学校蔵での特別授業の様子(下:撮影・伊藤善行さん)
学校蔵での仕込み自体も「場作り」の舞台だ。酒造りを学びたい人を生徒として受け入れ、1週間通って酒造りを学んでもらう。
長期滞在を通して「お酒のファン作りと共に、佐渡のファン作りもできます」と尾畑さん。企業とコラボレーションしての「オーダーメイド」の酒造りも進む。酒の仕込みを通して新たな人や企業との出逢いも生まれる仕組みになっている。
本年度はタンク4本を仕込んだが、10年以内に、これを年間40本体制にしたいと尾畑さんは言う。
仮に1チーム3人として40本だと120人。それが佐渡の島内に7泊するので、佐渡のファンが確実に増える。7泊という長期滞在になれば、島内の様々な地域を訪れるわけで、観光にも経済にもプラスになる。そんなきっかけになる「場」を作ろうとしているのだ。
環境の島
もう一つ大きな狙いにしているのが「環境」。佐渡は、日本においていったんは絶滅したトキを復活させるために、農薬をなるべく使わない農法を広げるなど、「環境の島」を目指している。学校蔵では、「オール佐渡産」を掲げ、酒米は佐渡産の越淡麗を100%使用、もちろん水も佐渡の水を使っている。
また、製造にかかる電力を佐渡産の自然エネルギーで賄うことを狙っており、学校のプール跡に太陽光パネルを設置、発電を始めた。運動場跡地にも増設中で、将来はすべて再生可能エネルギーで酒造りする計画だ。
「もうターゲティングは止めました」と尾畑さんは言う。狙うべき顧客の属性を決めて商品開発や宣伝広告するマーケティングの一般的な手法で、規模拡大を狙うのならば必ず採用するといわれるものだ。そうではなく、自分たちが作りたいものを作りたい方法で作るというのである。
ものづくりを通じて交流する芝浦工業大学の学生達が作った机と椅子と行灯(上、下)
尾畑酒蔵のモットーは「四宝和醸」。四つの宝とは酒造りに不可欠な「米」「水」「人」の3つに、「佐渡」を加えた4つ。
その和をもって醸すという意味だ。佐渡ならではの原材料を使い、佐渡の良さを知ってもらえば、ふるさとの活性化につながっていく。「酒造りは地域創り」というわけだ。
尾畑さんは、国際化の波によって、日本らしさの追求が進むことで、農業が振興され、それが地域の活力につながっていくという循環を考えている。というのも、酒蔵に戻っていつか取り組みたいと思っていたのが、海外市場の開拓だったからだ。
03年から直接取引に乗り出し、07年には英国ロンドンで開かれた「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」の日本酒部門で金賞に選ばれた。その時、「日本酒には個性となる物語が欠けている」と感じたという。ワインなら畑やブドウ、樽にいたるまでストーリーがある。もっと日本酒に個性があってもいい、と考えたのだという。
スペイン・バスクからの視察団
それが学校蔵での、徹底して「佐渡産」にこだわる酒造りにつながっているのだろう。国際化で日本の良いものに磨きがかかれば、農業も地域も活性化する。父の代から続く観光客向けの酒蔵見学には外国人の姿がぐんと増えた。取材当日もスペイン・バスク地方からの視察団が学校蔵や本社を訪れていた。
物語の共感者を増やす
そんな尾畑さんが取り組む「物語」への共感者は間違いなく増えている。SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)でのつながりも広がっている。学校蔵を訪れた人たちは間違いなく皆、佐渡のファンになり、尾畑さんの応援団になっていく。繰り返し訪れて、佐渡の各地を訪ね、食材を楽しむようになれば、いずれは佐渡全体にその効果が広がっていくというわけだ。
「世代をつなぐ酒造りがしたい」と尾畑さんは言う。おじいちゃんと女子大生が酒瓶をはさんで向かい合うような交流。そんな人と人の「和」を醸すことで、地域が元気になっていくことを尾畑さんは考えているのだろう。それこそ本来の酒の役割だったのかもしれない。
酒蔵から上がる米を炊く蒸気
(写真・生津勝隆 Masataka Namazu)