売り手と造り手の二人三脚 日本酒で秋田ファンを増やす

ウェッジ12月号(11月20日発売)の連載記事です。日本酒好きにはつとに有名な秋田の酒屋さんと酒蔵を訪ねてきました。オリジナルページ→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4547

Wedge (ウェッジ) 2014年 12月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2014年 12月号 [雑誌]

 秋田県能代市に1軒の酒販売店がある。「天洋酒店」。かつての街道筋に面しているとはいえ、繁華街から離れ、駅からも歩けば10分はかかる。それにもかかわらず、全国から日本酒好きがわざわざ訪ねてやって来る。知る人ぞ知る店なのだ。

 能代大火の後に建てられたという昭和レトロな店の中は、世の酒屋とはまったく趣きが違っている。何せ酒屋に必須のビールやウイスキーといった定番商品が一切置かれていないのだ。あるのは日本酒だけ。それも秋田の地酒。しかも、店主の浅野貞博さんが惚れ込んだ蔵元の酒だけしか並べない。どんなに人気がある売れ筋商品だろうが、一切置かない。

 浅野さんは、客がやってくると、おもむろに冷蔵ケースから酒瓶を取り出し、試飲を勧める。4号瓶や1升瓶がずらりと並んだ大型の冷蔵ケースの前の土間に、小さなテーブルを出し、丸椅子に客を座らせて、それぞれの酒の特長や、醸造の仕方、原料などの説明をする。

 話は蔵元の人柄や酒造りに対する意気込みにまで及ぶ。そんな熱のこもった浅野さんの語り口に、客はいつの間にか引き込まれていく。店を出る頃にはすっかり、秋田の酒のファンになっている。

資本力がないならどう売るか

 「蔵を見に行きませんか」。浅野さんは時間があれば、客を蔵見学に誘ってきた。最近では希望者が増え、予約を受けて蔵見学ツアーも組む。レンタカー代など実費はもらうが、基本は無料サービスだ。目先の商売ではない。秋田の酒のファンが増えれば、いずれ自らの商売にもプラスになる。そう信じてやってきた。

 最近では見学を許す蔵元も増えているが、観光客がいきなり訪ねるのは難しい。浅野さんと一緒なら、時には蔵元の社長や杜氏と直接話をできることもある。長年の蔵元と酒屋の信頼関係があればこそ、蔵への出入りを許されているのである。秋田の蔵元の中には直接小売りをしていないところも少なくない。そうなると、蔵元から客を紹介されることもある。作り手と売り手の二人三脚が出来上がっている。

 浅野さんが秋田の地酒に絞り込んだ商売を始めたのは1997年のこと。酒を扱うコンビニが増え、大型の酒ディスカウントショップが秋田にも進出してきた。能代にそうした動きが広がるのは時間の問題だ、そう感じた浅野さんは考えた。

 「資本力がないならどうやって売るか。お客さんに面白がってもらえば良いのではないか」

 地酒一本に絞ることを決めた浅野さんは、蔵案内などファンを増やし、B5版のダイレクトメールを定期的に送り始めた。

 「100人にまで増やすのは大変だった」と浅野さん。実際、ビールなどの取り扱いを止めて売り上げは半分以下になった。地道に一歩一歩積み上げていくことで、手紙の送り先は400人にまで拡大。通信販売による注文も大きく増えた。

 秋田の酒の人気が全国的に高まっていく中で、なかなか手に入らない秋田の地酒が天洋酒店なら手に入る。東京の居酒屋などが開く秋田の酒の会などにも積極的に顔を出した。フェイスブックなどのSNSも活用、今ではメールマガジンの送り先は600人に達している。全国に着々と秋田の酒のファンが増え、浅野さんのファンも増えていった。

秋田地酒をけん引する

 そんなファンのひとりが東京で議員秘書として働く川崎晶子さん。秘書仲間の間で日本酒党として有名な川崎さんは、「天洋酒店の浅野さんの存在なしに今の秋田の酒ブームはここまで全国に広がらなかった」と見る。昔から秋田では良い酒が造られてきたが、良い酒があることと、それが全国的に認知され、売れることは別だというわけだ。

 浅野さんが惚れきっている若手の蔵元たちがいる。「NEXT FIVE(ネクスト・ファイブ)」というグループを立ち上げた5つの蔵元である。今では秋田地酒ブームのけん引役としてメディアで大モテの存在だ。

 「白瀑(しらたき)」6代目の山本友文さん、「新政」8代目の佐藤祐輔さん、「ゆきの美人」3代目の小林忠彦さん、「春霞」7代目の栗林直章さん、「一白水成」16代目の渡邉康衛さんら、若手の後継者たちが集まり、今までにない新しい日本酒造りを行ってきた。

 2010年にスタート、定例の利き酒会や消費者イベント、共同醸造などのプロジェクトに一緒に取り組んできた。

 ライバルの蔵元を自分の蔵に入れることなど考えられない業界の常識を破り、共同醸造などに踏み切ったことで、「何より皆の品質レベルが上がった」と白瀑の山本さんは言う。それぞれの蔵を使って共同醸造する取り組みは5年たって一巡したが、2014年秋からは二循目が始まった。

 ネクスト・ファイブのそれぞれのメンバーもユニークな酒づくりにまい進している。

 白瀑の山本さんは東京のプロダクションに勤めていた経歴の持ち主で、新政の佐藤さんも東京大学卒業後、ライターなどを経験して家業に戻った。まったく違った業界での経験が伝統を重んじる酒造りの現場に新しい風を吹き込んだのだ。

地元産の素材にこだわる

 例えば、新政の佐藤さんが生んだ、ワインのようなボトルにシンプルなグリーンのラべルを巻いた「ヴィリジアンラベル」という酒は、コメから水、麹にいたるまで地元産にこだわっている日本酒だが、一般の酒がアルコール度17〜18なのに対して、15度以下にした。

 浅野さん流の解説によれば、「酒が弱い新政の祐輔君が、夕食時にワインなら大丈夫なのに、日本酒では酔っぱらってしまう。何とかならないかと思って開発した酒」ということらしい。お洒落なデザインも相まって若い女性に大人気を博している。

 ヒット商品は作り手の思いだけでは生まれない。新政の佐藤さんも「先輩たちが限定流通の仕組みを作り、きちんと管理してくれる店にしか卸さない仕組みが出来上がっている。浅野さんのようにお客さんときちんとつながった酒店が増えてくれることが重要だ」と言う。

 浅野さんは秋田の地酒ブームを地元能代の町おこしにつなげたいと考えている。地元の居酒屋や民宿で実際に地酒を飲んでもらい、翌日、天洋酒店で買い物をしてもらう。逆に蔵元ツアーの人たちには民宿を紹介し、能代で1泊を勧めるのだ。日本酒ブームの一翼を担った浅野さんは今、秋田や能代など地域そのもののファン作りに力を入れている。