街に潤いを与える神戸「100BAN高砂ビル」の大変身

雑誌Wedge 2022年12月号に掲載された拙稿です。Wedge ONLINEにも掲載されました。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/28926

 

 

 今も異国情緒が漂う神戸。「旧居留地」と呼ばれるオフィス街の一角に「100BAN 高砂ビル」はある。このビルが建つ地番が「100番」だったことに由来する。築73年のレトロなムードが漂う頑丈な建物だ。

 昼休みになると、周囲の街路に並ぶキッチンカーで買い入れたお弁当を手にしたビジネスパーソンたちが、このビルに入ってゆく。2階にあるフリースペースでお弁当を食べるためだ。設置されている自動販売機で飲み物を1つ買えば、誰でも自由に使える。街のちょっとした憩いの場になっている。

「このビルが街に潤いを与える場になってほしいと思っています。神戸の人たちのおかげで今日までやってこられたので、ちょっとした恩返しです」

 このビルを所有する髙砂商行の李啓洋社長はそう語る。

台湾から神戸へ帽子製造を行う

 髙砂商行は李さんの叔父の李義招氏と父親の李献庚氏が1926年(大正15年)に台湾から神戸にやってきたことから始まる。当初は「髙砂製帽商行」の名称で、パナマ帽など帽子の貿易を手がけていた。

 当時の男性の正装として帽子は必需品だったため世界的に大流行していた。終戦後は神戸で製造する工場も持ち、輸出するだけでなく国内販売も行った。そんな当時の製帽機具が高砂ビルの一室に展示されている。

 帽子の製造販売で大成功を収めると、終戦後すぐの復興期に現在の高砂ビルを建設して、倉庫業に乗り出した。高砂ビルは頑丈な造りで窓も小さい。もともと倉庫として建てられたためだ。終戦後、貿易によって大量の物資が動いた時代、港に近い倉庫は必要不可欠だった。高砂ビルにも「トラックが頻繁に出入りし、荷物の積み降ろしで活気づいていた」と李さんは懐かしむ。

 だが時代は変わる。神戸の街の中心にオフィスが不足するようになると、周囲の様子はオフィスビルへと姿を変えていった。髙砂商行も西宮市の倉庫団地に倉庫を移転、高砂ビルでの倉庫業務を取りやめた。1972年(昭和47年)のことだ。

 ビルをどうするか。当時会長だった創業者の李義招氏が新たなアイデアを思いつく。天井の高さが3・5㍍から4㍍もあり、通常よりもかなり高い。その特徴を生かして今でいう「ロフト付き」の事務所として貸し出したのだ。

 これを機に髙砂商行は不動産賃貸業を開始する。以来、「高砂ビル」は賃貸オフィスとして長く利用されてきた。最近では、「旧居留地」がショッピングや観光のスポットへと変わってきており、テナントも事務所だけでなく、さまざまな「ショップ」へと変化している。部屋の扉をガラス張りにして内装もリフォームすることで現代風の雰囲気を出しているトレーニングジムまである。

 倉庫として重い荷物を保管するため、床は厚く、天井も高い。そんな特殊な造りが、実は、今の高砂ビルが「街の憩いの場」としての新しい役割を担うのに、役立っている。李さんの子息の祥太さんが勤めていた商社を辞め、将来、常務音楽ディレクターとして髙砂商行を継ぐことになるのを見越して、ビルの2階に「100BANホール」という音楽スタジオを作ったのだ。

 祥太さんが好きな音楽の勉強のために米国に留学していたことが高砂ビルの用途をガラリと変えることにつながった。厚みのある床や壁が音漏れを小さくするため、大きな音での演奏が可能なことが、音楽ホールやスタジオとしてぴったりだったのだ。

ライブを味わいながらのランチ

 100BANホールではジャズ演奏家などアーティストを招いたイベントも行われている。新型コロナウイルス感染症の蔓延が穏やかになった現在、イベントの開催も復活してきた。新進気鋭のアーティストにライブを開く場を提供することで、神戸の音楽文化を支えることにつながっている。

 お昼の時間帯を利用したチャリティーライブも継続的に実施している。アーティストを招いた50分ほどのミニライブで、100円の「盲導犬育成チャリティー募金」をすれば参加できる。しかもお弁当の持ち込みは自由で、ライブを味わいながらお昼を済ますことができる。

 100BANホールだけではない。今ではビルの24室が、大小さまざまな貸しスタジオに姿を変えた。楽器の練習や音楽教室、バレエやダンスの練習、そして発表会など、さまざまな使い方ができる部屋を用意した。グランドピアノが置かれている部屋、壁に鏡が張られた部屋、音楽サロンとして使える部屋などバリエーションは豊富だ。これだけの数の貸しスタジオを備えたビルは全国的にも珍しい。インターネットから予約もでき、市民のさまざまなイベントにも活用されるようになった。まさに「憩いの場」として地域のコアに育ってきている。

 築73年になるビルの「レトロ」さも売りになっている。1階のビルの入り口の横には「BAR Request」という店が入る。カウンターに座っても天井が高く、日本離れした雰囲気を持つバーだ。

 もともと山の手の繁華街にあった店で、李さんのお気に入りだったが、店舗の移転を求められていた。それをマスターの南谷洋志さんから聞いた李さんがビルの1階に誘致したのだ。長い間「旧居留地」はオフィス街で、夜になると人影はまばらだったが、最近では買い物客や観光客がそぞろ歩く街に変わってきた。

 バーが、街に人を引き寄せると、李さんは考えたのだ。そんな李さんの思いに応えて、南谷さんは「夕方早めに開店して深夜まで営業しています」と言う。

 時代を感じさせるビルの雰囲気は、映画やドラマの格好の撮影場所としても使われている。4階には、北野武監督・ビートたけし出演の映画『アウトレイジ』で撮影に使われた部屋が残る。ビートたけし扮する「大友組」組長の組事務所という設定だった。その撮影場所を再現、銃弾痕なども残っており、入場無料で公開している。

 神戸は幕末に横浜や長崎などと並んで港が外国に開かれたことから国際貿易都市として発展した。「居留地」はその繁栄を担ってきた場所である。大正、昭和と貿易立国「日本」の玄関口でもあった。

 多くの海運会社や貿易商社、銀行、ホテルなどの洋風建築が整然と建てられていった。太平洋戦争末期の神戸大空襲で灰燼に帰したが、戦後の高度経済成長期で復活。石造りの立派なビルが建てられた。今もその頃のビルがいくつも残る。

 この地域のビル所有企業などが集まった旧居留地連絡協議会という組織がある。旧居留地の景観を守るなど、街の価値を高めることを狙った親睦組織だ。李さんはその広報副委員長も務める。

 終戦後、「外国」になった台湾の出身である李さん一族が日本で事業を成功させる苦労は大きかったに違いない。だが、そんな李さんが「恩返し」と言うように神戸という街には多様なものを受け入れる包容力があるのだろう。それが神戸の魅力を醸し出している。