「誠実であること」が原点 東京で唯一のタオル製造会社

雑誌Wedge 2022年9月号に掲載された拙稿です。Wedge ONLINEにも掲載されました。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/28921

 

 

 

 この猛烈な円安も前向きにとらえたい」と東京・青梅でタオルの製造販売を手がけるホットマンの坂本将之社長は語る。自社にとっても原料や薬剤価格の高騰につながっているが、価格で優位性を誇っていた輸入タオルの価格も上昇しており、品質重視で戦ってきた同社のタオルの価値がさらに高まるかもしれないというのだ。

強みは製造から販売まで一貫生産していること

 ホットマンはタオルの製造から小売りまでを一貫して行う。江戸時代から機織りをしていた家が、1868年(明治元年)に絹織物専業となり「田中織物工場」として創業した。戦後の1951年には「梅花紡織」として法人化し、綿の婦人服地などを製造していた。59年に規制が緩和されるとタオル織機を導入して、63年からタオル製造に乗り出した。

 もともと青梅は、「夜具地」と呼ばれる木綿布団側地の一大生産地で、全盛期には700軒もの織物工場があった。その後、高度経済成長期に夜具地が廃れると多くの工場がタオル製造に活路を見出す。70ほどの工場が並び、福岡、愛媛今治、大阪泉州、三重と共にタオルの五大産地と呼ばれるまでになった。

 しかし、その後、価格の安い輸入タオルに席巻されて国内の工場は廃業や海外移転が進む。今や東京のタオル製造は事実上ホットマン1社が残るだけになった。

 ホットマンの特徴はタオルを一貫生産していること。タオル製造には糸染めから洗い、乾燥、織布、製織、裁断、縫製などの工程があり、業界では分業制が当たり前だった。これを企画やデザインの段階から社内ですべて完結させることで、コスト競争力を増しているのだ。さらに全国各地に自社運営のショップを持ち、製品が顧客の手にわたるところまで一貫している。この製販一貫体制は日本のタオル業界で唯一ホットマンだけが持つ仕組みだ。コスト競争力だけでなく、顧客の声をいち早く企画や生産現場にフィードバックできる強みを持つ。

 清流が深い谷を刻む青梅の山間にあるホットマンの本社工場にはこれらの工程の工場が並ぶ。経糸を整える工程である「整経」の作業場からさまざまな織機を使った織布工場、ミシンでタオルの縁を縫う縫製工場、検品、出荷と1カ所でいくつもの工程を見ることができる。そのため、小学生や企業など多くの人が工場見学に訪れる。入り口には直営のショップもあり、贈答品選びなどにやってくる人も多い。

 すべての工程を社内で行い、外の会社に出さないことで、無駄なコストが省けるのは言うまでもない。かつては社内の部署同士で価格交渉をして部署ごとの採算を競っていた。それでも輸入品に価格ではかなわない。特に業務用のタオルは何匁いくらの「量り売り」的な商慣行があった。

実店舗を各地に持つ理由とは?

 「当社は良いものをしっかり作ってきちんとした対価をいただくという品質勝負を早い段階から貫いてきました」と坂本さん。しかし「良いタオル」と言っただけでは顧客にはなかなか伝わらない。それが実店舗を各地に持つことにこだわっている理由だ。

 「店舗はお客様とのコミュニケーションの場」(坂本さん)というわけだ。百貨店やファッションビルにショップを展開。いかに消費者に自社の商品を選んでもらうか、そのためには何が必要か。


 そのひとつが「1秒タオル」。タオルの重要な役割である素早く水を吸い取る機能にこだわった製品だ。一般的なタオルでは1㌢角のタオルを水に浮かべた時に60秒以内に沈み始めるのが基準だが、1秒タオルは1秒以内に沈み始める。それだけ吸水性が高いということになる。

 タオルでは肌触りを良くするために製造過程で「柔軟剤」を使うケースが多いが、そうすると吸水性が落ちるという因果関係がある。そのため、柔軟剤を使った後に吸水剤を加えるなどして吸水性を高めるが、ホットマンの1秒タオルは、柔軟剤も吸水剤も使わずに製造している。今やホットマンが製造するタオルの9割以上はこの1秒タオルの製法で作られている。

 最近は、アトピー性皮膚炎や化学物質に敏感な人に限らず、肌に優しいタオルへのニーズが高い。

 ホットマンでは、不純物を取り除くために洗いの工程に5時間をかけ、添加剤は使わない。綿本来のポテンシャルを引き出して肌にもやさしい独自製法を確立し、安全安心のためにひと手間もふた手間もかけるという姿勢を貫く。

 フェアトレードコットンを原料にする取り組みも進めている。近年、新疆ウイグル自治区のコットンがウイグル族への強制労働などによって生産されているという批判が吹き荒れ、アパレル業界の対応に消費者の関心が向いた。

 ホットマンはタオルを自社で一貫製造する仕組みを生かし、2014年から国内初となる日本製フェアトレードコットンタオルの製造・販売を行っている。

 機能や品質だけでなく、「ブランド」を磨くことにも力を注いできた。1972年に東京・六本木に路面店を出した頃は、若者ファッションの発信地「ROPPONGI」をブランド構築に生かしてきた。

 六本木のホットマンは2015年に閉店。今は、自然豊かな「青梅」で丁寧に生産し続けていることや、東京唯一のタオルメーカーであることをブランドバリューにしている。「純日本製タオルブランド」が新しい価値を生んでいる。

年齢、出自に関係なく適材を登用する

 150年を超えるホットマンの歴史は、数々の試練を乗り越えてきた歴史でもある。関東大震災第二次世界大戦、戦後の好況と不況、リーマンショック─。苦境を乗り越えて存続してきたもう一つの要因が、その経営スタイルにある。


タオルの端に、「ホットマン」のラベルと、「フェアトレード」のラベルを縫い付けている

 坂本さんは創業家の出身ではない。信州大学繊維学部で学んでいた時、繊維メーカーでモノ作りだけでなく、最終商品の販売までしている会社に就職したいと考えていたところ、研究室の教授にホットマンを紹介された。1999年、地縁のなかった青梅にやってきて入社した。

 織布工場や染色工場、仕入れなど製造畑で経験を積み、28歳で生産部門のトップになった。そして2015年、38歳の若さで7代目の新社長に抜擢された。

 創業家や大株主に関係のない新卒入社の社員が38歳で社長になるというのは世の中にそうあることではない。年齢や出自に関係なく適材をトップに据えるというカルチャーがホットマンには生きていた。社長、相談役を務めた創業家の3代目社長の信念で、4代目以降の社長はすべて社員から選んできた「歴史」もあった。

 そして今、コロナ禍を経て、原料価格の上昇とインフレというまったく異なった環境に直面しつつある。試練に直面する若き社長はどうそれを乗り越えるのか。

 「いい人からしかいいものは生まれません。とにかくお客様にも取引先にも従業員にも誠実であること。それがこの会社の原点です」。そう言って坂本さんは微笑んだ。