文化の拠点は自ら守る、映画ファンの心意気

雑誌Wedgeに連載中の『Value maker』10月号に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。

 

Wedge (ウェッジ) 2020年 10月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2020年 10月号 [雑誌]

 

 誰しも故郷の町を思い出す時、文化の匂いが香るお気に入りの場所が目に浮かぶのではないだろうか。学生時代に通ったクラシックのかかる喫茶店だったり、立ち読みに通う本屋だったり、展覧会が開かれる公民館が、青春時代の記憶として蘇るに違いない。それらが街そのものや人々の生活に、価値を付け加える。

 そうした場所が街から消えそうだと聞けば、真っ先に駆け付けたい衝動に駆られることだろう。
 岡山市の中心部、岡山城や県立図書館、美術館にもほど近い路面電車が走る県庁通り沿いに、市民に愛され続けてきた映画館がある。「シネマ・クレール丸の内」。1階と2階に2つのスクリーンを持ち、110席と60席の合わせて170席の小規模な映画館だ。いわゆる「ミニシアター」である。
 「学校帰りによく通った思い出の場所です」と、今は東京に住む岡山市出身の40歳の主婦は目を細める。上演スケジュールが書かれたチラシと腕時計を睨んで、気ぜわしく路面電車に乗った日々を懐かしむ。
 そんな多くの人たちに愛される街のミニシアターが、新型コロナウイルスの蔓延で経営難に直面したのだ。
 「どうでしょうか。来館者は一時は半分以下に減ったでしょうか」と 館長の浜田高夫さんは語る。
 東京や大阪で新型コロナが広がり、劇場やライブハウスでクラスターが発生したこともあり、全国の劇場や映画館は営業自粛を迫られた。「シネマ・クレール」も4月末からのゴールデン・ウィークの時期に休業を余儀なくされた。その後、新型コロナ対策を万全にして営業を再開したものの、なかなか客足は戻らない。「1994年にシネマ・クレールを創設して以来、様々な困難を乗り越えてきましたが、今回はまったく初めての厳しい状況です」と浜田さん。新型コロナが終息しなければ、早晩、経営が立ち行かなくなるところまで追い込まれた。
 
目標額は1000万円

 浜田さんは運営を維持するためにクラウドファンディングで資金を集めることを考え、岡山NPOセンター代表理事の石原達也さんに相談した。すぐさま石原さんは有志を募って「シネマ・クレール応援団」を立ち上げた。5月のことだ。
 ネット上に掲げられた「趣旨文」にはこうあった。
 「公園も、音楽ホールも、美術館も、僕らが生きていくのに欠かせない。そして、ミニシアターも」
 どうにかして「シネマ・クレール」を守ろうという訴えに共感の輪が広がった。多くの市民から「みんなのシネマ・クレールの思い出」というメッセージを集め、ホームページに次々と掲載していった。
 「実家から歩いて行ける、私にとって身近な映画館です」(神戸市・33歳)
 「人生で出会った夢のともしびのような映画館です。 大好きです。ここしかない。特別」(岡山市46歳)
 そんな、多くの声が集まった。
 さらに、映画監督の行定勲さんや、俳優の前野朋哉さん、脚本家の荒井晴彦さんら著名人からも多くのメッセージが寄せられた。100人を超える老若男女が「応援団」になった。
 クラウド・ファンディングは6月5日から始めた。「ミニシアターを街に残そう!〜シネマ・クレール存続プロジェクト」と題し、目標額を1000万円に設定した。地元のテレビ局や新聞もこの動きを取り上げてくれた。
 募集開始から驚くべきスピードで目標額をクリアした。最終的に1133万円を集めて7月20日に終了した。支援者は何と1087人に及んだ。いかに多くの市民が「シネマ・クレール」という場を残したいと思ったか、が明らかになった。
 浜田さんは、会社員時代から自主上映会を開くなど映画好きだった。それが高じて94年に今とは別の場所に「シネマ・クレール」を建てた。ミニシアター全盛の頃だ。01年には現在地に「新館」を建て、来年で20年になる。世の中がシネマ・コンプレックス(シネコン)ばやりになる中を生き残ってきた。
 
映画を観る作法

 「シネマ・クレール」には何か特色があるのか。浜田さんが上演する映画に何か特別な選定理由はあるのだろうか。
 「できるだけ、観終わった後に心に残る映画を上映したいと思いますし、皆様のご要望にも応えたいと思っています。映画は娯楽映画だけではなく様々な映画があるので、たくさん観てもらいたいんです」
 1日だいたい6本の映画を上映する。19年の上映本数は213本に及んだ。「何事でも沢山のものに触れることで目が肥えていくものですが、映画も同じです」と浜田さんは言う。
 おそらく、シネマ・クレールに残って欲しいと思う多くの人たちは、ここで自分なりに大きな刺激を受ける映画に出会ったのだろう。だから、それぞれの人にとって、特別な映画館になっているのではないか。
 特段、肩肘を張って映画館を運営しているわけではないと言う浜田さんが、絶対に譲らないルールがひとつだけある。シネコンでは当たり前に許されている客席での飲食を禁止しているのだ。
 「映画は集中して見るべきものです。どうしても映像で表現できないことを言葉で補うのが映画だと私は思っています」
 映像で食事時のシーンがあるとする。食卓の上に置かれた料理が映るだけで、食事をしている人の社会的な地位を表現できる。「そういうところまで気を配りながら観ていくと映画はますます面白くなります」と浜田さんはいう。そんな浜田さんの映画に対する思い入れが、シネコン全盛の中でも「シネマ・クレール」が支持を集め、存続してきた理由かもしれない。
 
文化としての映画

 最近はネット配信サービスで、映画をパソコンやテレビ画面で見る人が増えた。これもミニシアターにとっては脅威ではないのかと聞くと、浜田さんは意に介さない。
 「映画は非日常的な空間で見るから楽しいのです。どんなに絵画を忠実に再現した美術本が出ても、本物を観に美術館に行きます。映画も同じです」
 クラウド・ファンディングで1000万円が集まったからといって、それで経営が安泰というわけではない。新型コロナが終息して、普通に映画館を訪れる日常が戻らなければ、再び危機に直面する。フランスでは映画を文化として捉え、教育の対象として扱われている。
 日本ではまだまだ文化としては捉えられず、娯楽としてしか位置付けられない。だから、街に映画館を残すために行政が助成するという発想にもならない。
 欧州のちょっとした街にいけば、オペラハウスがあり、コンサートホールがあり、美術館がある。もちろん映画館もある。そうした生活に彩りを与える文化の場には多くの助成金や寄付金が拠出されている。
 「シネマ・クレール」を巡る今回の取り組みは、文化の拠点は自分たちの手で守る、というカルチャーが日本にも芽生えるひとつのきっかけになるかもしれない。