洋古書店の新しい価値を〝展示〟 4代目女性店主の企画力

雑誌Wedge 2021年12月号に掲載された拙稿です。Wedge Infinityにも掲載されました。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/26110

 

 「あの北沢書店がこんな商売を始めたと言って、SNSで心ない誹謗中傷にも遭いました」と話すのは東京・神保町の老舗洋古書店である「北沢書店」の4代目店主、北澤里佳さん。35歳。「KITAZAWA DISPLAY BOOKS」のブランド名で、インテリア・ディスプレイ向けの「洋書」販売を始めた。つまり、読むのが主目的ではなく、装飾品として飾るための洋書を揃えて売り始めたのだ。

 北沢書店の創業は1902年(明治35年)。里佳さんの曽祖父が古書の露天販売から身を起こして創業。祖父の代、終戦後に「洋書専門店」として成功、3代目の父に引き継ぐ頃に、今の店舗が入る自社ビルを完成させた。戦後の神保町は数多くの大学・専門学校が立地する学者や学生の街で、大学の研究者向けに学術書を海外から取り寄せる仕事などを担ってきた。一世代前の大学教授ならば、北沢書店の世話になった人は少なくないはずだ。

 だが、時代が変わり、オンラインストアなどが全盛になるにつれ、輸入に依存したビジネスモデルは行き詰まり、15年ほど前に新刊書事業を閉鎖。従業員も解雇せざるを得なくなった。それ以降、家族経営で洋古書の専門店として命脈を保ってきたが、図書館がデジタルデータを公開するようになって、洋古書を購入する研究者も少なくなり、いよいよ経営が苦しくなった。店を畳むかどうか、家族会議にもかかるようになって里佳さんは洋古書店を継ぐ決心をする。

 「子どもの頃から当たり前に存在した本がなくなると思うと、いても立ってもいられなくなりました」と振り返る。洋古書店を継ぐことなど考えていなかった里佳さんは、アパレルの世界から大転身して古書業界に飛び込んだ。

 古書が収められた本棚を前にして改めて気がついたのは、その美しさだった。古い欧米の書籍は装丁が素晴らしく、見ていても飽きない。実は、北沢書店の古書を買いに来る若い女性の中にも、装丁の美しさに惹かれてやってくる人がいることに気がついた。本の中身ではなく、装いの美しさにも魅力があることにハッとしたのだという。

 里佳さんは内装を手直しし、照明も変えることで、並んだ洋古書がより美しく見えるように工夫した。シックな装いに変わった店内は、まるでロンドンの学生街の書店にいるかのような佇まいになった。

 北沢書店の3本ある書棚通路の最も手前は、ディスプレイ用古書の専門コーナー。本の内容に関係なく、わかりやすいように990円と1760円、2530円の3段階の価格に設定した。本棚のちょっとしたスペースには、インテリア小物になる、古いカードや切手なども置き、販売している。古書だけではなく、お洒落な空間にふさわしいアンティークな商品を並べている。

 今では、そうしたディスプレイ用に洋書を売る商売も広がっているが、当初は抵抗も大きかった。内容に関係なく値段を付けるのは「古書店の恥だ」といった同業者からの声もあった。だが里佳さんは思った。

 「売れなければ、この素晴らしい洋書がどんどん処分されて消えていきます。1500年代刊行の古書なら500年生きていて、いろんな経緯があって今、この書棚に並んでいる。一冊一冊に物語があるんです。それを考えるだけでも楽しいし、これを燃やしてしまったら、内容はデジタルで残ったとしても、この本自体は永遠に失われてしまいます。ディスプレイ用であれ、誰かが大切に次の世代に繋いでいくことが重要だと感じたのです」

空間が利益を
生み出すようになる

 北沢ビルの2階にあるお洒落な「北沢書店」は、普通の書店に比べると照明もやや暗い。それだけムード満点なのだ。その書店の中を撮影会に有料開放するビジネスも始めた。まさに「空間を売る」商売だ。ふらっと訪れた客も5枚までなら写真撮影自由としたが、古書と人物を入れたショットを撮る場合には、有料という設定にした。アパレル・ブランドの広告撮影に使われるなど、空間が利益を生み出すように変わった。

 戦後に事業を発展させた祖父の口癖は「世界に目を向けなければダメだ」だった。それが戦後の日本では「洋書」だったわけだ。洋書を通じて世界の先端技術と学問を取り入れ、日本経済を復興させていった。もう一つが、「平和であること」。どんなに商売をやろうと思っても、平和でなければ何もできない。里佳さんは、その教えは形を変えても北沢書店のビジネスの根幹にあるべきだ、と信じている。

 インターネットが世界を覆い、情報の流通や書籍のあり方も大きく変わった。そんな中で、どんな商売ができるのか。神保町というと、格式が高いとか、渋い街だという印象が強い。インターネットを活用して、若い人たちにも知ってもらい、足を運んでもらう。フェイスブックやインスタグラム、ツイッターなどのSNSはフル活用し、多くのメディアにも取り上げられた。

 里佳さんは、古書店主ならではの「買い付け」の仕事に面白みを感じている。最近、里佳さんが手に入れたのは、19世紀の英国のデザイナーで詩人のウィリアム・モリスの『トロイ物語集成』。中世の手作業による書物に憧れたモリスがデザインしたトロイ体と呼ばれる活字体が使われている美しい本だ。ページ上部を切りながら読んでいく仕組みになっているが、そこにナイフが入っておらず、誰も読んでいない新品に近いものすごい美本だった。

 本の所有者が亡くなって、その書物を買い付けるケースも多いが、元々の所有者にとっては宝物でも、遺族にとっては不用品でしかない。その価値を見直して、次に欲しいと思う人に繋いでいく。まさに命を吹き込む作業なのだ。「神保町の古書店どうしはライバルではないのです。それぞれに専門分野がはっきりしていて、お互い協力し合う。横のつながりの深い結束力のある街です」と語る里佳さん。業界に新しい息吹を吹き込む新世代として、神保町の重鎮たちにもかわいがられる存在に育っている。