革新を続け、ニッチで生きる、糊の「ヤマト」の事業精神

雑誌Wedge 2023年2月号に掲載された拙稿です。Wedge ONLINEにも掲載されました。ぜひご一読くださいオリジナルページ→

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/29223

 

 「ヤマト糊」と聞いて、チューブに入った糊を押し出して指に取り、紙を貼り付ける工作に使った子どもの頃を思い出す人も多いだろう。今も幼稚園の工作の時間の必須アイテムとして使われ続けている。1899年(明治32年)に創業した糊の老舗「ヤマト」のロングセラー商品だ。

 あるいは、円錐形のプラスチックボトルに入った液状のり「アラビックヤマト」も、定番の事務用品として会社の机には必ず備えられていた光景が目に浮かぶに違いない。知らない人がほとんどいない商品と言っても過言ではない。身近にある商品だけにほとんどの人が、その存在をあまり意識しない。まるで空気のような存在だから、廃れることもなく売れ続けているのだろう。

 だが、ただただ同じものを一途に売り続けてきたから、老舗として120年にわたって存続してきたのか、というとそうではない。

「ヤマトの120余年に及ぶ歴史は、『接着の持つ限りない可能性を、創造的な商品に変えて世に送り出す』という挑戦の連続でした」と同社のホームページにもある。

 もともと創業時には、日本で初めて「保存の効く糊」を瓶容器に詰めて売り出した。薪炭商を営んでいた創業者が炭の小分け販売の袋貼りに使う糊がすぐに腐ってしまうことに困り、工夫を重ねた結果だった。それ以前は、米を煮たり、ご飯を潰すなど自分で「糊」を作るのが普通だった。保存が効かないので身近に置いておくことができなかったわけだ。ヤマトの糊はスタートから「画期的」な商品だったのだ。

 ヤマト糊では、瓶からプラスチックという新しい「素材」や、チューブなど、新しい「形」の商品を生み出してきた。さらに、用途に合わせた糊の開発で商品ラインアップを広げてきた。

 円錐形のアラビックヤマトも、大きさや形状は多岐にわたる。首の部分が曲がったものや、反対側に細いノズルを付けて「太・細両用」の塗り分けができるようにしたものもある。さらには口紅型のスティック糊も定番商品に育った。

 一般に商品は新しい形に変わると古いものが廃れていく「進化」を遂げる。ところが、でんぷんが原材料のヤマト糊の場合は、今も変わらずラインアップに乗り続けている。タピオカのでんぷんを使った自然素材の糊は安全性が高いため、幼稚園児などにも最適だからだ。

「接着」という発想から、ビニールテープや両面テープはもちろん、粘着性のテープ型の付箋も定番商品になった。それぞれの商品群も糊と同様、お客のニーズや便利さ、好みのデザインに合わせたラインアップが広がっている。

激変する文具用品のあり方

 ところがこの10年あまり、文具事務用品のあり方が急激に変わっている。「オフィスに集まって仕事をする形から、一人ひとりがパーソナルに働く形に変わってきた」と4代目社長の長谷川豊さんはいう。糊やテープ、付箋をオフィスでまとめ買いして大量に使う時代は終わり、よりパーソナルな需要へと変わってきたというのだ。それを決定づけたのが新型コロナウイルスの蔓延による、リモートワークの広がりだった。オフィスには来ない代わりに自宅で仕事をする。そうなると作業に必要な糊などの事務用品もより小型になり、個人の志向に応える必要が出てくる。

 新型コロナでオフィス需要は打撃を受けたが、逆に「巣ごもり効果」で家庭内の手工芸などのニーズが高まり、ホビー需要は大きく伸びた。ヤマトではホビー・クラフト用品も展開しており、貼ってはがせるシールになる絵の具や、なめらかに描ける水性クレヨンなども売れている。

 一方で、アウトドア・ブームが起きるなど、人々の志向も変わった。『OUTDOOR TAPE(アウトドアテープ)』もそんな流れを意識した商品だ。出先でガムテープを使うことが多いにもかかわらず、巻き芯がかさ張り携帯しにくい点に着目、平べったくしておしゃれなビニールケースに入れ、コンパクトに持ち運びやすくした。また、テープは手で切れ、油性ペンやボールペンでも字が書ける。色も8種類のバリエーションを揃えている。

 そんな「利便性」や「おしゃれさ」を加えることで、「資材」として価格勝負で売られていた商品を、パーソナルユースのこだわりの商品に変えた。それで単価を高めに設定でき、収益性は大きく高まる。今後もより高付加価値の商品開発が課題だ。また、従来の文具・事務用品店ルートだけでなく、新たな流通の開拓や、個人向けにオンラインショップなどへも広げている。

代々受け継がれる「一代一起業」

 ヤマトには代々、「一代一起業」的な発想が根付いているという。豊さんの父(現会長)で3代目の澄雄社長時代は、自動車を塗装する際のマスキングテープなど工業用を新たな柱にたて、自動車メーカーの海外進出に伴って、米国ミシガン州に工場を建設した。文具では、液状のりの工場もタイに建設した。

 跡を継ぐことになる豊さんは、大学を卒業後、米国に留学したが、そのまま30代をニューヨークで過ごした。米国の金融機関ブラウン・ブラザース・ハリマン・アンド・カンパニーに就職、日本の金融機関を担当するマネージャーに就いた。帰国してヤマトの社長に就いたのが2000年。以来、グローバル化を推し進める一方で、ホビー・クラフト用品など新分野の開拓に力を入れてきた。

 豊社長は「革新を続けながら、ニッチで生きていく」と語る。「そろばんが実社会から消えて久しいですが、そろばん塾はいまだに数多く存在し、『そろばん』は売れ続けています。また、『墨汁』も存続しています」という。ニッチにはニッチなりの生き方がある、というわけだ。もちろん、世の中のニーズやスタイルの変化に合わせて、商品の「形」やラインアップを見直していくことが重要なのは言うまでもない。

 社長就任から20余年。経営者として成熟期に入ってきた豊社長はどんな「革新」を思い描いているのか。ヤマトの挑戦はまだまだ続きそうだ。