雑誌Wedge 2021年7月号に掲載された拙稿です。Wedge Infinityにも掲載されました。ぜひご一読ください。オリジナルページ→
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/24131
発売10年ではロングセラーとは呼ばないですね。お客様に長く愛用して頂ける商品を作り続けてきたのが私たちの会社の価値だと思います」
画材・文具メーカー「マルマン」(東京都中野区)の井口泰寛社長はほほえむ。何せ、看板商品ともいえる「図案スケッチブック」の発売は1958年。60年以上にわたって顧客に支持され続けているのだ。黄色と深緑の大ぶりなチェック柄を表紙に持つ「図案スケッチブック」を使った記憶のある人も少なくないに違いない。「発売10年以上の商品が全体の6~7割を占めると思います」と語る。
最近のヒット商品は、と聞いて挙がったのが「ルーズリーフミニ」。発売は2012年だから、マルマンの商品群の中では「新商品」の部類だ。人気のキャラクターを表紙に使ったり、中身は同じでも表紙のデザインを目新しく変えることが多い文房具業界にあって、マルマンの路線は対照的なのである。
品質には手抜きをしない
国内製造にこだわる
だが、ロングセラーの商品は作ろうと思って作れるものではない。顧客が飽きずに買い続け、支持され続けて初めてロングセラーになっていく。なぜ、マルマンの商品の多くがロングセラーに育ってきたのか。
「価値を認めて頂いて買って頂くという基本に忠実な会社なのです」と井口さん。「モノづくりは何といっても品質なので、品質については絶対に手抜きをしない。真面目にしっかり作る。これをずっと続けてきています」
多くのメーカーが海外に生産拠点を移す中で、マルマンは国内製造にこだわってきた。コストが安い中国での製造も検討したことがあるが、品質を維持できないと断念した。製品の品質を守るには、日本人の繊細さが何より必要だと感じたという。輸入して扱う高級画材を除いて、マルマンの商品のほとんどが国内製造の自社製品だ。
当然、品質勝負で、価格競争には参入しない。マルマンの商品の価格はやや高めだが、気にいると使い続けるユーザーが少なくない。筆者も独立して10年以上、同じ種類のB5判ノートを取材メモ用に使い続けているが、改めてそれが「セプトクルール」というマルマンの商品であることに気づいた。
「ペンで何かを描く場合に、書きやすいというと、ペンを褒める人が多いのですが、実は紙の質で書き心地はまったく違います」。マルマンが使う紙は、製紙会社の協力を得て作った自社専用のもの。紙の品質にも徹底的にこだわっているのだ。もっとも同じ作り方を続けていれば品質が保たれ、顧客の支持が続くというものでもない。製紙会社の技術進歩で紙自体の製造方法が変わることもある。時代に合わせて品質を微妙に「進化」させることはあっても、劇的に変えることはしない。
品質と共にマルマンが大事に守り続けてきたもうひとつの点は「消費者・ユーザーのことをきちんと考えることだ」と井口さんは言う。事業ではありがちなことだが、製造や流通の都合が優先してしまいかねない。いわゆる「供給者の論理」にハマってしまうのだ。「一番大事なのは商品を使って頂く方々。代々、会社としては、そこに価値があるのだという考え方を持ち続けている」という。カスタマー・ファーストと口では言う企業は多いが、それを実践するのは並大抵ではない。
実は、顧客の声から新商品も生まれてきた。前出の「ルーズリーフミニ」だ。通常のルーズリーフを切って使っているという声が消費者から寄せられ、作ったところ大ヒット。専用のバインダーなど商品群も広がった。
創業の時からスケッチブックを作ってきた。初代は東京・神田の本屋さんの丁稚奉公からスタートしたというが、当時、紙は高級品で、スケッチブックは欧州からの高級輸入品だけだった。子どもが夢を描ける手軽に買える国産のスケッチブックを作りたい。そう考えてマルマンを創業したのだという。スケッチブックを通して、子どもたちの創造性やクリエイティビティを引き出せると信じたわけだ。
大ロングセラー商品の「図案スケッチブック」が生まれたのは2代目の時。ドイツまで出かけて金属リングで綴じる「製本機」を買い付け、量産体制を敷いた。ちなみにこの時購入した製本機は今でも工場で現役として活躍している。「図案スケッチブック」の表紙の黄色と深緑のデザインは発売以来変わっていないが、もとは学生デザイナーの売り込みだったという。当時のスケッチブックやノートの表紙は無地が主流で、デザインを施すという発想自体が斬新だった。
社長就任後
「ミッション」を再定義
井口さんは社長就任に際して、マルマンの「ミッション」を再定義した。改めて原点を見つめ直そうと考えたのだ。「クリエイティブ・サポート・カンパニー」。まさに創業以来受け継いでいる精神だ。
もっとも、事業を取り巻く環境は必ずしも追い風とは言えない。少子化で子どもの数自体が大きく減っていて、市場が拡大していく環境ではない。「ペーパーレス」化という世の流れもある。だが一方で、ものごとを考えたり、何かを創ろうとしたりする場合に、頭の中を整理するのに「紙」はまだまだ活躍する余地がある。まさに、クリエイティブ(創造)をサポートする道具として使い続けられるというわけだ。
海外市場の拡大も狙う。品質の高いメイド・イン・ジャパンの文房具へのニーズは確実に高まっている。輸出はまだ全体の売上高の1割程度だが、拡大の余地は大きい。
実は新型コロナウイルスの蔓延で、画材・文房具の世界にも異変が起きている。テレワークなどが広がって「巣籠もり」が増えたためか、自宅で絵を描くことがちょっとしたブームになっているというのだ。そうした生活スタイルの変化が、人々と「図案スケッチブック」などとの新たな出会いを生み、製品の命が伸びていく。60年売れ続けているのも、着実に新しいファンが生まれているからなのだ。