岸田首相お得意の「骨抜き」と「先送り」で終わった「骨太の方針」の労働市場改革 これで構造的賃上げは実現するのか?

現代ビジネスに6月16日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.media/articles/-/111798

いったいどこが「待ったなし」

果たしてこれで「構造的な賃上げ」が実現できるのだろうか。

今年の骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針)の柱は「労働市場改革」だったはずだが、結局出来上がった「骨太」からは改革に向けた強い言葉が抜け落ち、「骨抜き」になった。日本でも消費者物価が上昇する中で、賃金が上昇しなければ庶民は塗炭の苦しみ味わうことになるだけに、労働市場改革は「待った無し」のはずだが、結局、岸田文雄内閣お得意の「先送り」になった。

「『リ・スキリングによる能力向上支援』、『個々の企業の実態に応じた職務給の導入』、『成長分野への労働移動の円滑化』という『三位一体の労働市場改革』を行い、客観性、透明性、公平性が確保される雇用システムへの転換を図ることにより、構造的に賃金が上昇する仕組みを作っていく」

骨太の方針2023」に書かれた労働市場改革の表現は抽象的だ。働く人たちをリスキリングによって能力を高め、より高い給与を得られる職種への労働移動を促進する。日本型の「メンバーシップ型」の雇用慣行を変え、若くても仕事の成果に応じて高い給料が払われる「ジョブ型」雇用にしていくことで、日本全体の給与水準を引き上げていく。これが岸田首相の言う「構造的な賃上げ」だったはずだ。

骨太でも一見、同じことを言っているように見えるのだが、言葉ひとつ一つがマイルドになり、余計な修飾語が付いて抽象的になった。つまり、具体的に何を「改革」するのかが見えなくなった。

「日本型職務給の確立」の転々

もともと労働市場改革を「新しい資本主義」の柱として打ち出したのは2022年6月。岸田首相の肝煎で立ち上げた新しい資本主義実現会議がまとめた「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」が「成長分野への円滑な労働移動を進め」るとしたことだった。

それを受ける形で、岸田首相は2023年1月の施政方針演説で、「リスキリングによる能力向上支援、日本型の職務給の確立、成長分野への円滑な労働移動を進めるという三位一体の労働市場改革を、働く人の立場に立って、加速します」と述べていた。

その「三位一体の労働市場改革」と言う言葉自体は変わっておらず、1つ目の「リスキリングによる能力向上支援」も変わっていない。ところが、施政方針演説で言っていた「日本型職務給の確立」は「個々の企業の実態に応じた職務給の導入」に変わり、「円滑な労働移動を進める」は「成長分野への労働移動の円滑化」に変わっている。

岸田首相は「日本型職務給の確立」について、「従来の年功賃金から、職務に応じてスキルが適正に評価され、賃上げに反映される日本型の職務給へ移行することは、企業の成長のためにも急務です」と施政方針で説明していた。つまり、メンバーシップ型による年功賃金を「ジョブ型」に変えることが急務だとしていたのだ。それを実現するために「本年6月までに」、つまり骨太の方針までに、「日本企業に合った職務給の導入方法を類型化し、モデルをお示しします」としていた。

ところが、今回出ていた骨太では次のように大きく後退したうえで、次のような表現に変わった。

「職務給(ジョブ型人事)の日本企業の人材確保の上での目的、人材の配置・育成・評価方法、リ・スキリングの方法、賃金制度、労働条件変更と現行法制・判例との関係などについて事例を整理し、個々の企業が制度の導入を行うために参考となるよう、中小・小規模企業の導入事例も含めて、年内に事例集を取りまとめる」

つまり、年内に先送りしたうえで、しかも「事例集」にトーンダウンさせたのだ。いくら政府が事例集をまとめても、制度を変える法改正には直結しない。まさに骨抜きなのだ。

一見、小さな事に見えるが、職務給を「ジョブ型雇用」ではなく「ジョブ型人事」としているのも「霞が関の修辞学」で言えば大きな違いがある。当初、岸田首相が力説していたようにジョブ型に雇用制度を変えるのではなく、あくまで個別の企業の「実態」に応じて「職務給を導入」するという人事制度の問題になったと読めるのだ。

労働移動に抵抗する日本の雇用文化

日本の伝統的な大企業では、いまだに終身雇用を前提とした年功賃金がベースで、職務給は部分的に導入されているケースが圧倒的だ。外資系企業のように始めからポストと給与が連動している「ジョブ型」をとっている企業は少ない。

仮に本格的にジョブ型を導入しようとすれば、若年層の給与は上がるが、年功序列で評価してきたベテラン社員の給与を下げなければならない。日本企業で人事制度を運用しているのはこうした中堅管理職だから、ジョブ型に変えるとなると、彼ら自身の給与を自ら引き下げる体系づくりをしなければならなくなる。基本的に大企業の人事部はジョブ型雇用に一気に変える事に否定的だ。審議会や自民党ヒアリングなどでも結局、ジョブ型雇用への否定的な声が優勢だったのだろう。

また、労働移動を本気で促進するとなると、経営側から見れば、貢献度の低い社員をどうやって解雇していくかが最大の問題になる。「解雇ルールの明確化」は安倍晋三内閣時代からの10年以上にわたる懸案だが、これを言い出せば、「解雇規制の緩和だ」とする労働組合の反対だけでなく、世間を敵に回す事になりかねない。

労働移動を「進める」と書くと、どういう場合に解雇されるのか、その補償はどうするのかといった解雇ルールの明確化に触れざるを得なくなる。だから「円滑化」という、当たり障りのない言葉だけになったのだろう。今回の骨太には「解雇規制」や「解雇ルール」と言った言葉は一切出てこない。

結局、リ・スキリングのための能力向上支援策として助成金を出す事や、自己都合退職の場合でも会社都合の時と同じ退職金が支給されるようにするなど、誰にも痛みを伴わない話しか書かれていない。退職金にしても、勤続年数が長ければ退職金の税率が優遇される現行税制について見直すという話が報じられると、反対する声の方が多かった。そんな、誰にも痛みのない改革で、給与が構造的に増えていくのか。

岸田首相は今年の賃上げが大幅だったと胸を張るが、足下でも物価上昇が続いており、それを差し引いた「実質賃金」はマイナスが続いている。日銀の言うように物価の上昇率が鈍化することを祈っているのか。骨太の方針からは、何としても構造的な賃金上昇を巻き起こす改革を進めるという気概はまったく感じられない。