すし職人の年収は300万円から8000万円に…日本を飛び出すプロフェッショナルが爆増する当然の理由 もはや日本で働き続ける理由はない

プレジデントオンラインに11月18日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/63632

なぜ出稼ぎ日本人が注目されているのか

「海外に行ったら同じ仕事で年収が数倍になった」。そんなサクセス・ストーリーがテレビの情報番組などでしきりに流れるようになった。

世界各地でニーズの高い寿司職人や和食の料理人だけでなく、美容師や看護師など国内では年収がせいぜい500万円程度の職種でも、米国やオーストラリアなどで働けば、1000万円を大きく超す年収を手にできるというのだ。先日はテレビ朝日のワイドショーが「日本で年収300万円だった寿司職人が、アメリカで年収8000万円を稼ぐようになった」といった驚きの事例を報じて、話題を集めていた。

もともと欧米の賃金水準は日本に比べて高いうえ、過熱する景気による人手不足で現場に近い職種の賃金が大幅に上昇している。それに加えて為替の円安が、円建てで見た給与の増大に拍車をかけているわけだ。

これもワイドショーの格好のネタになっているが、日本で1000円の大戸屋のしまほっけの炭火焼き定食が、米国では31ドル。チップまで入れると5000円を超えるというのが話題沸騰だ。物価に着目して為替水準を見る「ビッグマック指数」ならぬ「大戸屋指数」とでも言おうか。この物価ならば給与が数倍になっても不思議ではない。

投資家の“巻き戻し”でいったん円高に転じたが…

これまでも日本と欧米の給与格差は存在してきた。

日本で働くにしても外資系企業の給与は国内企業よりはるかに高い。だが、そうした話は、一部のトップエリートの話で、庶民には関係ないと思われてきた。日本のプロ野球選手が米国のメジャーリーグのチームに移籍したとたん、数倍ではきかない報酬を手にするのを見ても、別世界の話だと思ってきた。

それが、寿司職人や美容師など身近にいる職業人も海外に行けば高額報酬を手にできると聞いて、がぜん、人々のマインドセットが変わりつつある。

為替が一時1ドル=150円を付けたことで、政府・日銀が本腰を入れてドル売り円買い介入を行っている。何とか円安を止めようと必死になっているわけだ。「円安はプラスだ」と言い続けてきた黒田東彦日銀総裁もさすがに急激な円安はマイナスだと言い始め、為替介入に踏み切った。介入をきっかけに、ドルを買っていた投資家がいったん利益を確定する「巻き戻し」が起きたこともあり、1ドル=138円台まで円高方向に動くと、黒田総裁も「大変結構なこと」だと留飲を下げていた。

だが、残念ながら、日本円が今後、長期にわたって強い通貨になっていくと考える人は少ない。人口が減り、経済力が落ちていく中で、中長期的な円安傾向は変わらないと見る向きが多いのだ。

物価は上昇しているのに収入は増えそうにない

今後、円安傾向が定着すると考えれば、円ではなくドルなどの「外貨」で稼ぐというのは至極当然の考えだ。座して貧しくなっていくのを待つくらいなら、出稼ぎに行く方がいいと考える人が増えるのも当然だろう。それを伝えるテレビ番組は、そうした人々を増やしていく役割を担いつつある。

それほど、「日本人の貧しさ」を感じる人たちが増えている。円安で輸入物価はどんどん上昇し、遂に消費者物価指数も前年比の上昇率が3%に乗せた。黒田総裁はそれを「一時的」だとして来年の物価上昇率は鈍化して落ち着くとの見方を示しているが、多くの人たちは今の物価上昇はそう簡単には止まらないと感じている。

企業間のモノの売買価格である「企業物価」の指数を見れば、すでに10%近い上昇になっている。それが本格的に最終価格に転嫁されるようになれば、消費者物価はさらに上昇していくだろうと見ているのだ。

物価上昇の一方で、収入は増えそうにない。岸田文雄首相は、経済の好循環で「賃上げを実現する」と声高に語っているものの、このところの物価上昇に給与の伸びが追い付いていない。物価を勘案した「実質賃金」は2022年4月以降、6カ月連続でマイナスとなっている。名目賃金はわずかながらも上昇しているが、物価上昇に打ち消されているのだ。庶民感覚としては生活が日に日に苦しくなっていっているわけだ。

「7割の企業が増益」給与を支払う側は好調だが…

なぜ、給与が増えないのだろうか。

給与を支払う企業の業績は好調だ。前年度(2022年3月期)の上場企業の決算では、全体の70%の会社が増益となり、3分の1の会社が最高益を更新した。最終利益の合計は約36兆円と、前の期に比べて83.9%も増えた。円安によって輸出企業の業績が好転したことが要因で4年ぶりの増益だった。

今年度は世界的なインフレに加え、日本経済も物価上昇圧力で先行きに暗雲が漂っている。それでも、9月中間決算は過去最高の利益水準を維持しそうで、今年度通期でも過去最高を更新するのが確実な情勢になっている。もちろん、新型コロナウイルスの蔓延による自粛などで経済活動が停滞していた昨年に比べて、売り上げが大きく回復してきたことも原動力になっている。

ところが、企業は従業員の給与を大きく増やす行動には出ていない。

日本経済は四半世紀にわたってデフレが続いており、ほとんどの経営者がインフレを知らない世代に代わっている。デフレの中で、いかに人件費を抑えるかに注力し、そうした合理化努力が認められて出世した今の経営者には、「インフレに対応して賃上げする」という観念がまったくない。3%の賃上げは十分過ぎる賃金引き上げだと感じてしまうのだ。

従業員よりも取引先重視のカルチャーがある

企業に賃上げの体力がないわけではない。新型コロナ禍でも内部留保(利益剰余金)は増え続け、2021年度に、金融・保健を除く全産業ベースで、初めて500兆円を突破。516兆4750億円に達した。10年連続で過去最高である。

企業経営者の多くは、内部留保は大きな経営危機が訪れた場合への備えだ、と主張してきた。ところがこの数字は、新型コロナで大打撃を受けても、それを放出して従業員の給与に回すという行動に出なかったことを物語っている。雇用を維持したのも、雇用調整助成金など政府頼みだった。

こうした日本企業の構造的な賃金引き下げ傾向は、そう簡単には収まりそうにない。海外のインフレや円安による輸入物価の上昇で、多くの企業はコストアップに直面している。大手メーカーの下請けならコストの上昇分を吸収することを優先し、従業員の給与引き上げどころの話ではない、ということになる。最終商品への価格転嫁をなるべく避けようという行動も、賃上げを後回しにしている。従業員よりも取引先を優先するカルチャーが根付いているのだ。

首相は「最低賃金を3%引き上げた」と胸を張るが…

もっとも、企業は大幅な賃上げをせざるを得なくなる可能性が出てきた。人手不足が深刻化しているのだ。出生数の大幅な減少で、新卒の若手社員の採用は年々厳しくなっている。特にサービス業や製造業の「現場」での人手不足は深刻だ。

そこに円安が追い討ちをかけている。2022年10月からの最低賃金を3%引き上げたと岸田首相は胸を張る。前述のように消費者物価が3%上がれば、実質的な賃上げ率は0%になってしまうのだが、それ以上に、外国人労働者に動揺を与えている。昨年10月時点に比べて大幅な円安になったことで、最低賃金をドル建て換算すると20%も下落していることになるのだ。

円安が定着してしまえば、最低賃金で働く多くの外国人は日本で働くことを諦めて帰国するなり、より賃金の高い国に転出していくことになる。

さらに、冒頭のように、日本人まで出稼ぎに行くとなると、まさに現場は深刻な人手不足に陥っていくことになる。

日本で人材を集めることができなくなる

米国でもレストランや工場など現場で働く人が不足しており、急激な賃金上昇を生んでいる。今後、日本も現場に近いところから賃金を引き上げざるを得なくなっていくだろう。外国人労働者に日本に来てもらうためには、ドルなど外貨建てで見た賃金水準がプラスに転じる必要がある。最低賃金など安い労働力で働いてくれてきた外国人が今後、確保できなくなってしまう危機的な状況だ。

労働人口の減少にもかかわらず、日本が賃金を引き上げずにやってこられたのは、外国人や日本人の高齢者、女性などを新たな労働力の供給源にしてきたからだ。経済がグローバル化する中で、労働市場だけ日本固有の仕組みで回ってきたと言える。ところが、急激に進んだ円安によって、その矛盾が一気に表面化した。

今後、賃金水準やその前提になる労働制度などが海外と同列にならなければ、日本は人材を集めることができなくなっていくだろう。

 

飲食店の客数大幅増加! しかし、経営はむしろ厳しくなる 外食産業を襲う新たな3つの問題点

現代ビジネスに11月20日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.media/articles/-/102408

絶好調、客足戻る

新型コロナウイルスの第8波が懸念されるものの、今のところ政府は、厳しい行動規制は行わず、結果的に経済活動の再開を優先させる姿勢を取っている。むしろ全国旅行支援などを実施することで、新型コロナの拡大を招いたとしても人流拡大を積極的に後押ししているとすら言える。

国民の多くも2年以上にわたる巣篭もりに辟易としていたから、かつてほど重症化せず死亡率も低くなった新型コロナを恐れるよりも、行動を再開する衝動にかられている。第8波はその結果とも言える。

都内の飲食店には一気に客が戻ってきた。お酒が入ったビジネスマンがマスクなしで大きな声で会話する光景も見られるようになった。すっかり定着したアクリル板の仕切りを取り外すように求めるグループも増えている。我慢が限界だったその反動と言った感じだ。

さすがに会社の飲み会や二次会などはまだまだ自粛だが、深夜まで店を開くバーなどにも客足が戻っている。

外食産業の動向を調査している日本フードサービス協会の調査でも客足の戻りは鮮明だ。

ファーストフードやファミリーレストラン、居酒屋、レストラン、喫茶など全体の2022年9月の客数は前年同月比109.9%。売上高も119.7%と大幅に増えた。1年前の9月は感染拡大の影響で営業自粛などが求められていた。

特に居酒屋・パブなどは店を閉じていたところも多い。居酒屋・パブの9月の客数は前年同月比378.3%という「異常値」になっているのはこのためだ。客が使う金額も大きく増えており客単価は1.5倍。売上高も568.8%つまり5.7倍にまで拡大している。

これらの数字は全国旅行支援などが本格化する前の段階なので、10月はさらに絶好調な数字になるだろう。

原価上昇に人手不足

ところがである。居酒屋など外食産業の経営者は予想外に浮かない顔をしているのだ。というのも外食産業を新たな3つの問題が襲っているからだ、という。

1つ目は仕入れ価格の大幅な上昇。消費者物価指数の上昇率が前年比3%を超えたと話題になっているが、主として報道される物価統計では生鮮食料品は価格変動が大きいとして除外されている。それでも10月は3.6%の上昇に達したが、生鮮食料品だけを取り出してみると、1年前に比べて9.6%も上昇している。

だからと言ってコスト上昇分を一気に価格に転嫁できるわけではない。使う材料を変えたり、量を減らすなど、いわゆる「ステルス値上げ」に踏み切るところも多いが、10%近い原価上昇には追いつかない。言うまでもなく原材料費は外食産業にとって人件費と並ぶ2大コスト。円安の定着で輸入食材の上昇はさらに大きくなっており、飲食店の経営を圧迫している。

2つ目は深刻な人手不足だ。新型コロナ蔓延で店舗の休業を余儀なくされていた時にはアルバイトやパートなどを減らして耐え忍んできた。ところが、ここへきて客が急増したことで、調理場もホール係も圧倒的に人が足らなくなっている。席には着けたものの、ホール係がなかなか注文を取りに来ないといった経験をしている人も多いに違いない。

人手不足に拍車をかけているのが外国人労働者の減少である。国が新型コロナ対策で外国人の入国を厳しく制限していたこともあり、日本語学校への留学生などが大幅に減少した。もちろん留学生というのは隠れ蓑で、実際上は「出稼ぎ」目的の外国人が少なくない。技能実習生なども同様で、日本側も「安い労働力」として重宝してきた。彼らの多くは日本の最低賃金水準で働いているケースが多い。

円安が外国人労働者を遠ざける

そうした外国人が水際規制で入って来られなくなっていたため、現場の人手不足に拍車をかけている。コロナ前は居酒屋やコンビニエンスストアで中国人やベトナム人などを多く目にしたが、今はほとんど姿を消している。10月から外国人の入国制限が一気に緩和されたものの、留学生や技能実習生が一気に増えてくる状況ではないという。そこには深刻なもう1つ理由がある、という。

円安である。出稼ぎに来る外国人は自国への仕送りするためにやってくる。自国の年収の何倍も短期間で稼げる日本の高い賃金に憧れてやってきていたわけだ。ところが、ここへきて急速に進む円安によって、日本の賃金の魅力が大きく削がれているのだという。

毎年改定される最低賃金は2022年10月から全国平均で3%引き上げられたが、これは円建て給与の話。この1年で急速に円安が進んだため、ドル換算すると20%以上も下落したことになる。しかも世界の物価は上昇しているから、日本円建ての給与がかつてほど輝きを持っていないのである。

本国の給与水準が大きく上がっている中国人は、もはや日本の「3K職場」では働かない。居酒屋でアルバイトする中国人留学生は激減している。その穴をベトナム人などが埋めていたが、円安で手取りの給与が減るようだと、景気の良いアジア各国で働いた方が収入が多いということになりかねない。

つまり、なかなか上がっていかない日本の給与と円安がダブルパンチになっていて、日本の「現場」で働く外国人がコロナ前の水準まで一気に回復するとは考えられていないのだ。この外国人労働者不足が飲食業界に大きな打撃を与えている。

パート・アルバイト時給、大幅上昇

3つ目は人件費の増加である。深刻な人手不足の結果、パートやアルバイトの時給は急速に上昇している。都内のファーストフード店では高校生を対象にしたアルバイトの時給が「1100円以上」が当たり前になってきた。深夜になればさらに上がる。

当然、飲食店で働くパートやアルバイトの時給も大きく引き上げなければ職場には戻って来ない。外国人も、円安になってもその分給与を引き上げれば戻ってきてくれる可能性は高まる。つまり、現場に近いところから、給与が急速に上昇しているのだ。

ここへきて飲食店の倒産や閉店が増加傾向にある。もともと企業倒産は景気下落期よりも底を打って回復する過程で増加する傾向がある。というのも景気が悪化している最中は「仕入れ」を大幅に減らしたり、「従業員」を減らすことで、コストを下げられる。

特に今回のコロナの場合は、政府や自治体の要請で店舗を閉めたため、様々な補償金も入ってきた。その補償がなくなったうえに、原材料費の高騰と人件費の上昇が襲いかかってきた。

「もはや経営を成り立たせるのは至難の技だ」と居酒屋を廃業した経営者は語る。ポストコロナで人々の行動パターンも大きく変わり、会社帰りに居酒屋で一杯といった風習が今後、本格的に復活してくるのかも分からない。

客が戻ってきて大忙しの飲食店かと思いきや、実は前途多難というのが現況のようだ。

「岸田語」が国民の理解と噛み合わないワケ~霞ヶ関語の繰り返しでは 救済新法作りへ本当に「方針を一転」か

現代ビジネスに11月13日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

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「決断しない」印象

「何もしない」「徹底的に無策」「検討ばかり」と批判される岸田文雄首相。確かに、「慎重の上にも慎重に」「あらゆる選択肢を排除せず検討」といった言い回しを多く用い、決断しない首相という印象を強く国民に与えている。

首相ご本人は国会で検討ばかりだと指摘されると「絶えず決断してきた」と語気を強めるなど、批判に反論している。首相からすれば慎重に検討した上で、様々な手を打っていると言いたいのだろうが、どうも国民に伝わっていない。この空疎な行き違いはなぜ生じるのだろうか。

どうも岸田首相が使う「岸田語」と普段、私たちが使う「日本語」が違うのではないか。岸田首相は霞が関や永田町で使われる言葉で話しているため、普通の日本語を使う社会の人々と認識の齟齬が生まれているのではないかと思ってしまう。

岸田首相は11月8日に、旧統一教会の問題を巡って、被害者を救済する新しい法律を作ることに前向きな発言をした。「政府として、今国会を視野に出来る限り早く提出すべく最大限の努力を行う」と首相官邸入り口で記者団に語ったのだ。

翌9日付けの朝日新聞朝刊ではこれを1面トップで取り上げ、「首相表明 支持率低迷 方針一転」と見出しを掲げた。それまで救済新法には後ろ向きとみられていたのが、方針を一転した。その背景には止まらない岸田内閣の支持率低下がある、というわけだ。

岸田首相の発言やこの記事を読んで、多くの国民は被害者救済の法律が「今国会でできる」と思うに違いない。だが、霞が関での言葉の使い方、いわば「霞が関の修辞学」に通じた官僚らからは、違った反応が返ってくる。

官僚の逃げ口上を封じるのが役目のはず

『官僚のレトリック』という著書もある元経済産業省官僚の原英史氏は語る。

「私は『岸田語』は分かりませんが、霞が関用語で言えば、『最大限の努力』というのは、『できません』と言っているのに等しいと思います。『努力をする』としか言っていないわけですから」

霞が関の官僚が作る文章は一言一句に深い意味がある。年に1回政府の基本姿勢としてまとめられる「経済財政運営と改革の基本方針」いわゆる「骨太の方針」などでも最後の最後まで言い回しの調整がされる。例えば、「正常化する」と書くのと「正常化を目指す」「正常化に向けて努力する」と書くのでは雲泥の差となる。

前者は実行することを明示しているが、後の2つは実現を約束したものではない。霞が関の官僚からすれば、実現を約束してできなければ責任問題になりかねないから、曖昧な表現に留めるわけだ。

期日についても極力明言は避けようとする。いついつまでにと明記すれば、それまでに実現しなければやはり責任問題になる。「次期国会をメドに」とすれば、あくまでメドなので、次の次の国会に先送りされても言い訳は立つ。

そうした官僚の「逃げ口上」を封じるのが本来の政治家の仕事である。首相の発言は重く、官僚にとっては絶対命令である。「総理指示」や「閣議決定」に従わないということは官僚の世界ではあり得ない。だからこそ、首相が具体的に方向性を示して、逃げ道を封じることが重要なのだ。

姿勢だけ、巧妙な責任回避

ところが、岸田首相が操る「岸田語」はどうも、官僚たちが使う「霞が関語」の派生であるように映る。官僚が書いた原稿をそのまま読んでいるのかもしれない。そんな見方で、救済新法発言をもう一度みてみよう。

まずは、「政府として、今国会を視野に出来る限り早く提出すべく最大限の努力を行う」という発言の前段部分である「今国会を視野に」という言葉だ。「今国会を視野」というのは、「今国会に」と明示するのとははるかにかけ離れていて、「今国会をメドに」あるいは「今国会を目標に」という表現よりもさらに弱い。視野に入れているだけで、今国会に提出するとは言っていない、というのが霞が関流の解釈になる。

さらに、「出来る限り早く提出すべく」という言い回しにも含みがある。あくまで努力するのは法案の「提出」であって「成立」ではない。実際、記者団から「今国会で成立させるのか」という質問に対して、「今申し上げた通り」と前置きしえ、同じフレーズを繰り返したが、「提出」の部分を強く発言していたように聞こえた。つまり、「提出」に努力はするが、「成立」させるかどうかは国会の判断だということだろう。

実際は、国会で多数を握る自民党の総裁として「成立させる」「成立に全力を傾ける」と言った言い方もできるわけだが、それを巧妙に避けているわけだ。

本気度は伝わってこない

結局、政策に通じた霞が関や永田町の住人からすれば、旧統一協会を巡る国民からの批判が収まらない中で、何とか火消しをするために、やりますという「姿勢」だけを見せ、実際に法律が成立するかどうかはまったく分からないというのがミエミエな状況なのだ。

岸田首相はおそらく、できるかどうか分からないものを、やりますと大風呂敷を広げるのではなく、現状を実直に、正確に表現していると思っているに違いない。そして岸田首相としては「最大限の努力」を官僚たちに指示している、と。

ところが、国民からすれば法律ができなければ、「何もやっていない」のと同じことなので、結局、岸田首相は口だけだった、ということになってしまう。

これが「岸田語」を操る岸田首相と国民の間の齟齬を生み、支持率低下に結びついているのだろう。

もちろん、背景には、首相生命をかけて、何を実現しようとしているのか、という本気度が国民に伝わってこないことがある。

円安進行で深刻な人手不足がやってくる

定期的に連載している『COMPASS』に11月15日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://forum.cfo.jp/cfoforum/?p=24457/

 円安が止まらない。10月下旬には、32年ぶりに1ドル=150円台に乗せた。政府・日本銀行は繰り返し為替介入を行い、円を買い支えている。だが、一方で金融緩和も継続するという姿勢を崩しておらず、日米金利差拡大から円安基調に歯止めがかからない。

 32年ぶりの1ドル=150円台と言っても、32年前と1ドルの価値はまったく違う。デフレが続いた日本の円の国内での購買価値はさほど変わっていないが、経済成長とインフレが続いてきたドルの購買力は下がっている。100ドルで泊まれた一流ホテルは500ドルになっている。


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防衛費いくら増額しても吹き飛ばされる「円安爆弾」の破壊力 経済成長がなければ防衛力増強もなし

現代ビジネスに11月6日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.media/articles/-/101894

6兆円突破は確実

来年度予算での防衛費はいったいいくらになるのか。

岸田文雄首相がバイデン大統領との日米首脳会談で「防衛費の相当な増額を確保する決意」を伝えた5月から半年近くが経とうとしているが、具体的な金額は国民に示されていない。岸田首相は「数字ありきではない」として明言を避け続けてきたが、その間にも自民党や政府関係者から数字が流れ、地ならしが進む。

新聞などメディアは「国民的議論が求められる」と書くが、財源をどうするかを含めて、国会でのまともな議論がないまま、年末の予算案の政府原案まで突き進みそうな気配だ。

NATO諸国の国防予算の対GDP比目標(2%以上)も念頭に、真に必要な防衛関係費を積み上げ、来年度から5年以内に、防衛力の抜本的強化に必要な予算水準の達成を目指します」

7月の参議院選挙に向けた自民党の「公約」にはこう書かれていた。これまで対GDP国内総生産)比1%以下が、戦後日本の「国是」とも言える水準だったものを、いきなり倍増して2%にするのが国際的な「常識」だとしたのだ。

これを元に、2023年度から5年間で総額43兆円から45兆円にすることを政府が検討しているとさんざん報じられている。23年度については「6兆円台半ば」とする声が多く、24年度以降毎年1兆円を積み増していくということらしい。

来年度の6兆円台半ばという数字もあくまで「当初予算」の話だ。防衛省は8月末の概算要求で過去最大の5兆5947億円を計上したが、さらに金額を示さない「事項要求」を100項目規模で盛り込んでおり、これらの中から実際に予算に加えれば6兆円突破は確実だ。

当然出てくる財源問題

もっとも「当初予算」は当てにならない。2021年度は当初予算では5兆3422億円だったが、補正予算で7738億円が増額され6兆円を突破している。2022年度の当初予算も5兆4005億円と、21年度の当初予算どうしを比べれば微増だが、すでに2次補正予算で4500億円近くを増額する予定で、さらに3次補正が組まれれば積み増される可能性がある。つまり、国民の目につかないところで、数字を上乗せするのが常態化しているのだ。

当初予算に組み込むと、国会審議で「財源問題」が槍玉にあがる。11月4日の記者会見で鈴木俊一財務相は「歳出歳入の両面から検討を進めて、必要な安定財源を確保していくことが重要だ」と語った。財政規律を何とか保ちたい財務省としては当然だが、安定財源というのは「新たな負担」を意味する。

岸田首相は2021年9月の自民党総裁選の候補者討論会で、消費税について「10年程度は上げることを考えていない」としており、ロシアのウクライナ侵攻で情勢が変わったとはいえ、いきなり「消費増税」は打ち出せない。自民党税調の議論では「法人税」に引き上げをという声も出たが、早速経済団体は反対の声を上げた。数兆円単位で「新しい財源」を捻り出すのは至難の技だ。

そうなると、結局は赤字国債の発行で賄い、日本銀行国債を買わせるということになりかねない。そうでなくても為替の円安が続いている中で、財政赤字の拡大は、さらに円安に拍車をかけることになりかねない。

「為替爆弾」の破壊力

その円安が防衛力強化に影を落としている。各国の軍事費を国際比較する際には主として米ドル建ての金額が使われる。世界銀行のデータ(2020年)によると、世界トップの米国は7782億ドル、2位の中国が2523億ドル、3位のインドが728億ドルといった具合だ。日本は491億ドルで9位だ。2021年度の補正後の6兆1160億円を年度末の為替レート1ドル=122円で計算すると500億ドルである。

ところが、今年度当初予算の5兆4005億円を現在の1ドル=147円で計算すると367億ドル。今後補正を組んで6兆円まで増やしたとしても408億ドルに過ぎない。円安で日本のドル建て防衛費は壊滅的に小さくなる。他国の為替も対ドルで弱くなっているので単純に比較できないが、2020年で10位の韓国は457億ドルだったので、これを下回ってしまう可能性が出てくる。「為替爆弾」の破壊力は甚大だ。

これは数字のマジックで、実態は表していない、という声もあろう。日本の防衛装備品の多くは米国などから輸入している。当然、円安になれば、購入費用は増える。しかも、米国など海外先進国は猛烈な物価上昇(インフレ)の最中だ。製品価格自体がうなぎ登りになっている。国内メーカーが製造するにしても、輸入鋼材などの原材料費は大幅に上昇しており、防衛装備に十分な予算が確保できるか心許ない。

これまで通り、ドルベースで500億ドルの防衛予算を確保しようと思えば、今の為替だと7兆3500億円を計上して横ばいである。つまり、政府が「相当な増額」と覚悟を決めて予算を増やしても、ドル建てでの「見た目」は横ばいがせいぜいなのだ。大幅に日本円建ての数字を増やしても、諸外国への抑止力は働かないということだろう。さらに円安が進めば、さらに防衛費のドル建ての「見た目」は小さくなる。

成長に背を向け続けたツケ

だからGDP対比で見るべきなのだ、という意見もあるだろう。確かにそうだ。だが、GDP比は言うまでもなく、分母のGDPが増えない中で、分子だけを増やせば一気にパーセンテージは上がる。まして、GDPが減っていけば、防衛費を増やさなくてもGDP比は上昇してしまう。

そう、つまり、日本の防衛力が安全保障関係者から「不十分だ」と指摘されるのは、日本のGDPが増えてこなかったことに最大の問題がある。ドイツの名目GDPは1990年の1兆3174億ユーロから2021年には3兆6017億ユーロへと2.7倍になった。これに対して日本は1990年の462兆円から2021年は541億円と1.17倍だ。仮にドイツ並みに2.7倍に成長していれば名目GDPは1247兆円。防衛費が1%だとしても12兆円に増えていた計算になる。

かつての民主党政権時代、当時の若手幹部が「もう成長なんて必要ないんじゃないですか。これだけ豊かになったのだから、分かち合って分配すれば幸せになる」と言っていた。成長戦略がないと批判されて大慌てで作るなど成長に背を向けた政権だった。

岸田首相も就任当初は「新自由主義的政策は取らない」と言い「分配」を掲げていた。日本の貧弱な安全保障体制は成長を度外視してきたツケとも言える。経済的な国力の低下を食い止めることが、最も重要な安全保障政策である。

保険証と一本化すればマイナカードも普及するはず…そんな政府の思惑が大ハズレした根本原因 本当の問題は「便利になるかどうか」ではない

プレジデントオンラインに11月4日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/63265

 

マイナカード普及の「切り札」になるはずだった

現行の健康保険証を2024年秋をメドに廃止し、マイナンバーカード(個人番号カード、マイナカード)と一体にした「マイナ保険証」に切り替えるとした政府の方針が早くもぐらついている。

10月13日の記者会見で方針を打ち出した河野太郎デジタル相は、なかなか進まないマイナンバーカード普及の「切り札」になると自らの手柄を確信していた様子だった。ところが、その後、任意だったはずのカード保有が「実質義務化」されることになるのではとの批判が噴出。デジタル庁にも数千件にのぼる不安の声が寄せられたといい、火消しに追われている。

河野大臣自身、10月20日参議院予算委員会で質問されると、「これは今まで通り申請に応じて交付するものだ」と短かく答えるにとどまった。雄弁な河野氏が一気にトーンダウンしているのだ。

政府がマイナンバーカードの普及に躍起になる一方で、普及率は思ったように伸びていない。カードを取得した人に買い物などに使える「マイナポイント」を付与する制度まで導入。「第一弾」として2500億円を使ったが、2021年5月1日に30%だった普及率が年末に41%になるにとどまった。

これでもかと2022年から「第2弾」を開始、ポイント付与を最大2万円に引き上げた上で、7500万人分に相当する1兆4000億円の予算を組んだ。ところが、予算を残すありさまで、2022年9月末だった期限を12月末までに延期した。9月末時点での普及率は49%と、国民の半分にとどいていない。

10万筆を超す反対署名が集まった

なぜ、マイナンバーカードが普及しないのか。デジタル庁の調査では「情報流出が怖いから」(35.2%)、「申請方法が面倒だから」(31.4%)、「カードにメリットを感じないから」(31.3%)が3大理由になっている。河野大臣が「マイナ保険証」への一本化を打ち出したのも、カードの利便性を増すことが基本的な狙いで、ほかにも運転免許証との統合を前倒しする方針も掲げている。

もともと、保険証との一体化や免許証との統合は政府の「骨太の方針」でも示されていた。河野氏の方針に批判が集まっているのは、現行の保険証を24年度以降に「原則廃止」するとされていたものを、一歩踏み込んで、「24年秋に廃止」と期限を明示したからだ。従来の健康保険証が無くなれば、病院での診察時には保険証を兼ねるマイナンバーカードが必須になるわけで、カード取得が「実質義務化」されることになるわけだ。

遅々として普及が進まなかった政府からすれば、「起死回生の一打」といった強硬策だが、当然、反発も強い。

現行のマイナンバー法ではカードの発行について「申請に基づき個人番号カード(マイナンバーカード)を発行する」と定めており、取得を強制するには法改正が必要になる。そもそもマイナンバーで国民を管理すること自体に長年反対している人たちもいる。マイナンバー制度の導入時はカード保有は任意だったものを、実質義務化するのは「話が違う」ということになるわけだ。

政府の足元でも反対論が吹き上がった。公務員などの組合が傘下にある全国労働組合総連合(全労連)がさっそく反対声明を出し、2週間余りで10万筆を超す反対署名を集めた。日本弁護士連合会も強制に反対する会長声明を出している。国民のさまざまな情報を国が一元的に管理することになりかねないマイナンバーカードに、人権擁護の観点でも懸念があるというわけだ。

日本医師会会長「2年後の廃止が可能かどうか…」

では、仮に、強制されなくとも使いたくなるくらい「マイナ保険証」は便利なのだろうか。

すでに健康保険証とマイナンバーカードをひも付けるサービスは始まっている。ひも付ければ、マイナンバーカードを保険証として利用することもできる。厚労省のホームページには「便利に!」なるとして「顔認証で自動化された受付」「正確なデータに基づく診療・薬の処方が受けられる」「窓口での限度額以上の医療費の一時支払いが不要」と書かれている。

いずれも、それが「便利!」と思うことだろうか。しかも、マイナンバーカードの読み取り機が設置されてシステム対応できる医療機関はまだまだ限られていて、どこでも使えるわけではない。

万が一に備えて健康保険証を財布の中に入れている人も多いが、現状ではマイナンバーカード1枚にはできず健康保険証も持ち歩くことになりそうだ。「薬の情報をマイナポータルで閲覧できる」と言った便利さも書かれているが、マイナンバーカード用のサイトである「マイナポータル」を恒常的に利用している人はまだまだ多くない。

「2年後の廃止が可能かどうか、非常に懸念がある」。日本医師会の松本吉郎会長は10月19日の記者会見でこう述べた。マイナ保険証については「特別反対していない」としたものの、マイナンバーカードがあまり普及していない現状では廃止は難しいとしたのだ。

情報流出への懸念は当初の政府対応に端緒があった

政府が音頭をとっても、マイナンバーカードが国民の半数にしか普及しないのはなぜなのか。やはり、利便性の問題だけではなく、「情報」が流出することへの漠然とした懸念があるのだろう。

これには、マイナンバーカードを発行し始めた当初の政府の対応のマズさがあった。「マイナンバーは他人に絶対に知られてはいけない」、「マイナンバーカードを見られるのも危ない」という意識を国民に植え付けてしまった。最近は政府の説明も大きく変わっているのだが、今でも「マイナンバーカードは貴重品だから持ち歩かないで金庫にしまっておく」という高齢者が少なからずいる。

河野デジタル大臣が自ら発信している「ごまめの歯ぎしり」というメールマガジンの10月18日号は、「マイナンバーの疑問に答えます」というタイトルだった。

Q&A方式で書かれていて、冒頭の質問は「マイナンバーカードは、持ち歩いてもいいものなのか、それとも家の金庫にしまっておくものなのですか」だった。答えは「持ち歩きましょう」。ただし、銀行のキャッシュカードやクレジットカード同様、落としたり無くしたりしないように、というものだった。マイナンバーを人に見られても大丈夫、というQ&Aもあった。

また、仮にマイナンバーカードを落としたとしても、マイナンバーカードのICチップに入っているのは、名前、住所、生年月日、性別、顔写真、電子証明書マイナンバー、住民票コードだけで、医療情報や税・年金といった個人情報は入っていないので、暗証番号を知られない限り、悪用されることはないとも回答している。

現況のITシステムはサイバー攻撃に耐えられるのか

おそらく、大臣自身にそう言われても安心できない、という人も少なくないだろう。

そんな最中、10月31日に世の中を震撼させる事件が起きた。大阪府の「大阪急性期・総合医療センター」がサイバー攻撃を受け、電子カルテシステムがダウンした結果、病院の診療がストップする事態が発生したのだ。

身代金要求型のコンピューターウイルス「ランサムウェア」による被害と見られ、復旧には相当な時間がかかると見られている。この事件を機にSNS上などでは「マイナ保険証への移行は止めるべきだ」といった意見が強まっている。マイナンバーカード自体に情報が保存されていなくても、連携したシステム自体がトラブルを起こした時に、マイナンバーカードだけで大丈夫なのか、現行の保険証を残した方が安全ではないのか、というのである。

情報をデジタル化し一元管理しようとすれば、そのバックアップを含め、システムの頑強さが求められる。医療機関の場合、ITの専門人材がほとんどおらず、規模も小さいためIT投資もままならないため、デジタル化が遅れているところが少なくない。逆にそれがハッカーやコンピューターウイルスに脆弱ぜいじゃくということになりかねない。国民の疑念を払拭しないまま、マイナ保険証に突き進むことは難しいだろう。

「情報が悪用されること」への疑念は消えない

もうひとつ、根本的に問われているのが、政府への「信頼度」だろう。

利便性を高めるために政府に情報を集中させても、政府がそれを悪用し国民を過剰に監視するような使い方はしない、という信頼感がなければ、国民の多くの情報を国が一元管理する体制には支持が得られない。

マイナンバーカードを手にしていない半数の国民には、国に対する「疑念」を払拭できていない人が少なからず存在する。つまり、マイナンバーカードの普及には政府への信頼が不可欠だ。

統一教会との問題が次々と表面化。首相や大臣の発言はくるくる変わる事態となって、岸田文雄内閣の支持率は大きく低下している。そんな政府の信用度が瓦解している中で、デジタル化もマイナンバーカードの普及も進まないだろう。

 

期限を先に設定する岸田内閣の「お得意手法」で日本が失う「時間」 物価対策も労働力移動もコロナ司令塔も

現代ビジネスに10月27日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://gendai.media/articles/-/101454

「ずっと対策を続けておりました」

「物価対策については、3月から対策を始めて、3月、4月、7月、9月と、ずっと対策を続けておりました」

岸田文雄首相はそう言って珍しく語気を強めた。10月17日、衆議院予算委員会立憲民主党逢坂誠二議員から、物価高対策について、「遅いんですよ。やったやったと言っているが国民に届いていないんですよ」と批判された時のことだ。

逢坂氏は、岸田首相が「総合経済対策」の取りまとめを10月末と期限を設定したことも、「遅い」と指摘したが、これに対しても岸田首相は「タイミングとしておかしなものではないと認識しております」と受け流した。

「やってる感だけ」という批判がすっかり定着し、支持率の低下が止まらない岸田内閣。経済政策でも根本的な手は打たず、付け焼き刃の対症療法に終始してきた。

就任した2021年秋には海外での猛烈なインフレの結果、輸入物価が上昇。いずれ国内物価に跳ね返って来ることが確実視されていたが、本格的な物価対策は打てず、消費者物価(生鮮食品を除く総合)の上昇率は4月に2.1%と「目標」としてきた2%を突破。その後、5月2.1%、6月2.2%、7月2.4%、8月2.8%と上昇率が徐々に拡大して、9月にはついに3.0%に達した。

それでも「物価上昇は一時的」だという黒田東彦日本銀行総裁の言葉を信じているのか、抜本的な対策はまだ打たれていない。残念ながら結果として対策は「後手後手」に回っている。

「やってる感」を出すための手法

岸田首相が「やってる感」を出す際に使う「お得意な手法」が、政策策定の期限をかなり「先に」設定することだ。

8月15日、岸田首相は追加の物価高対策を9月上旬をめどに取りまとめるよう指示。翌日から夏休みに入ってゴルフに興じた。抜本的な経済対策が出てくるのかと期待されたが、9月9日に首相官邸で開催した「物価・賃金・生活総合対策本部」の会合では、「この秋に総合経済対策を策定いたします」と表明。次なる「期限」を設定した。

ところが、その総合経済対策を「総理大臣指示」として正式に各省庁を所管する閣僚に策定を求めたのが9月30日の閣議。しかも今度は、策定の「期限」を「10月末を目途に」とした。

そうして時間を失っている間、状況は一段と悪化してきた。

岸田首相が夏休みに入った8月16日の為替相場は1ドル=133円。9月9日には143円と10円も円安が進んだ。その後、ついに150円をつけてしまう。政府・日銀は必死にドル売り円買い介入を繰り返しているが、円安の流れは止まりそうにない。前述の通り消費者物価の上昇率は3%に乗せた。結局、「期限」を先に設定している間に、状況はどんどん悪くなっているのだ。

看板政策でさえも

岸田首相は就任以来、「新しい資本主義」を掲げてきた。当初は「分配重視」の姿勢を見せたが、最近では「人への投資」が分配だというロジックに替わっている。賃上げを実現するには働き手のスキルを引き上げる「リスキリング」を行い、労働移動を促進することで、賃上げを実現していくという。

ところが10月4日に開いた「新しい資本主義実現会議」で驚くべき発言が飛び出した。

「中長期の構造的な賃金引上げのためには、来年6月までに、労働移動円滑化のための指針を策定します」

またもや「期限」を先に設定したのである。しかも、ここで重要なのは「6月」としていることだ。一般に1月に召集される通常国会は6月で閉幕する。6月に指針を策定するということは、来年2023年の通常国会には関連する法案は出さないということだ。労働基準法を変えるなど抜本的な改革は、どんなに早くて2023年秋の臨時国会。急いで法律を施行するとしても2024年4月からが精一杯だ。通常ペースならば2024年秋以降からの施行となる。

岸田内閣の「看板政策」であるはずの新しい資本主義の柱である「労働移動の円滑化」が実現するのは2年先というわけだ。その間、賃上げは起きないということなのだろうか。そうなると日本経済は沈んでしまうのではないか。そもそもそれまで岸田内閣は続いているのだろうか。

やろうと思えばできるはずだが

岸田首相が「柱」としていた政策がいまだに実現していない「前例」がある。新型コロナウイルス禍を教訓とした「司令塔」作りだ。

2021年秋の総裁選で司令塔作りを標榜していた岸田氏だったが、首相に就任すると「来年6月を目処に」と期限を先送りした。しかもそのための会議体を設置したのが5月で、6月に出た報告書もまったくパンチのきかないものだったが、突然、報告書にはなかった「危機管理庁」の新設を表明した。とはいえ、参議院選挙を控えて国会は6月で閉幕したので、法案が出されるはずもなく、司令塔設置は先送りされた。

現状、「2023年度中に」司令塔となる新組織を設置する方針を示しているが、その設置法案がいつ出るかは未定。同時に表明していた「国立感染症研究所国立国際医療研究センターを統合」も「2025年度以降」ということになっている。おそらく司令塔機能を「官邸」に持っていかれることを嫌った厚生労働省が抵抗し、2機関統合も先送りしているのだろう。

岸田首相は「期限」を先送りすることで、繰り返し「期限までに設置する」と答弁することができ、「やってる感」を出すことができる。一方で、霞が関の官僚機構にとっては、改革案を先送りし、あわよくば骨抜きにすることが可能だ。

デジタル庁は菅義偉氏が2020年9月の首相就任時に表明し、翌年6月までの通常国会で法案を通して、1年後の2021年9月1日には発足させる離れ業を演じた。官僚機構を知り尽くした菅氏ならではの手腕とも言えるが、やろうと思えば実現できるのが首相の強いリーダーシップである。

岸田首相の期限先送りは、日本経済を抜本的に立て直し改革の先送りでもある。かくして失われる「時間」は日本にとって深刻な打撃になる。