震災で動き始めた取引所再編東証・大証統合で本社は大阪に?

「証券市場の中心は大阪に移すなど、大きな発想力で取り組むべきだ」 

 東京都の石原慎太郎知事は4月22日の定例記者会見で、首都機能分散に言及、証券市場の移転を例に挙げた。この石原発言に証券取引所関係者は色めきたった。なぜなら、水面下で東京証券取引所大阪証券取引所の統合話が進んでいるからだ。 

 日本経済新聞が「東証大証、統合協議へ」と報じたのは東日本大震災が起きる前日の3月10日だった。実際にはこの段階で東証側に具体的な動きはなく、「大証サイドからのリーク」(東証幹部)という見方が強かった。

 もっとも、東証の斉藤惇社長は以前から、「東証株価平均(TOPIX)の先物などを大証に移譲し、大証の現物を東証にもってくることで、デリバティブ取引所と現物株取引所に集約すべき」というのが持論。むしろ、大証の米田道生社長がそれを"無視"してきたことから、斉藤氏は「米田さんの気持ちが変わったんだな」と解釈したと話す。 

 つまり、今回の統合話は大証主導という色彩が強いのだ。東日本大震災後の3月15日の定例会見で米田氏が「統合するのであれば一刻も早くやるべきだ。ゆっくり進めていく余裕はない」と語ったのをみても、それは明らかだ。 

 大証が動き始めた背後には永田町と霞が関の圧力があった。民主党は成長戦略の金融分野の柱として総合取引所の実現を掲げてきた。民主党には「経済とくに金融に興味がない」という批判が付きまとっており、何とか金融分野で成果を挙げたいという民主党サイドの圧力が金融庁を動かしていた、という。

 もっとも、東日本大震災後、金融庁は東北地方の金融機関対策などに追われ、証券再編どころではなくなった。「しばらく先送りだろう」(東証幹部)と見られていたところに、飛び出したのが石原発言だったわけだ。

「首都圏機能はいい形で分散されるのが好ましい。東京への過度な集積は好ましくない」と会見で石原氏は強調した。首都を東京に残したまま、一部の首都機能を分散するという石原発言は、これまでの東京都の姿勢を大きく転換させたものだ。政府が長年にわたり議論してきた首都機能移転について、反対姿勢を貫いてきたのは東京の地盤沈下を避けたい東京都だった。 

 当然ながら、東証大証の統合話を進めるうえで、議論になるのが「本社」の場所だ。斉藤・米田両社長の腹案で共通するのは、持ち株会社の下に、デリバティブ取引所(大証)と現物株取引所(東証)をぶらさげること。そうなると、持ち株会社をどこに置くかが焦点になる。世界の取引所ビジネスの趨勢はデリバティブ重視で、将来をにらめばデリバティブ取引所(大証)が主導権を握るのが"流れ"。

 だが、「プライドが高く、役所の中の役所のようなカルチャーだ」と中堅幹部自らが自戒するほどの東証は、持ち株会社も当然、兜町東証本館に置かれるものと信じ切っている。 

 そんな中で、東京の主から「出て行って構わない」と言われたことは、東証の"役人"にとっては後ろ盾を失ったも同然だったわけだ。斉藤社長自身は野村証券の出身で、住友ライフ・インベストメントや産業再生機構の社長を務めて、東証社長に就いた。「東証で育ったわけではない斉藤さんは、本社の場所などまったく拘らないだろう」と兜町では見られている。 

 まして、東京直下型地震への懸念など、危機管理の観点から出てきた大阪移転には、なかなか抵抗する論理が出てこない。日本の金融先物の原点は大阪・堂島の米相場だ。取引所である堂島米会所ができて280年余りがたつ。米相場というと現在の商品取引所の原点と思われがちだが、当時の米は実質的な通貨でもあった。いわば金融先物取引所の原点が大阪にあったと考えられるわけだ。大震災を機に日本の原点を見直すという点でも、大阪に金融市場の中心を再興することは荒唐無稽な話ではない。 

 大震災の後、東京からひっそりと1つの取引所が姿を消した。東京穀物商品取引所日本橋蛎殻町にあった取引所本社ビルを売却、近くの貸しビルに移転したのだ。取引は東京工業品取引所のシステムに移行。組織は残っているものの、事実上、東京工業品取引所と統合する格好になった。 

 東穀取は売買高の急減で業績が大幅に悪化、このままでは存続が危ぶまれている。また、軒を貸した東京工業品取引所自体も取引高が大幅に落ち込んでおり、経営の先行きが見えなくなっている。実は、東工取は1年以上前から大証に統合を申し入れているが、話は進んでいない。 

 民主党政府が総合取引所構想に熱心なのは、危機に陥っている2つの取引所を救済する狙いもあった。東穀取は農林水産省の傘下、東工取は経済産業省の傘下で、それぞれトップは両省からの天下りだ。お荷物になった取引所をまだまだ懐が豊かな証券取引所に救済させようというのが、両省や民主党政府の本音だった。 

 証券取引所金融庁が所管で、三つの省が三つの法律でバラバラに監督してきた。それらを統合して総合取引所にするには法律と監督官庁を一本化するのが前提だが、「農水も経産も、あくまで自分たちの権限を残すことに執着している」(金融庁幹部)ことから、話が進んでいない。 

 今回の東日本大震災東京電力福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、外資系金融機関が東京を脱出するなど、東京市場は大きく混乱している。時間がたつにつれ、東京市場での売買が細ってくるのではないか、と懸念する声も高まっている。

 そうなれば、それぞれの取引所の経営は一段と厳しさを増す。名古屋に本社があった中部大阪商品取引所は今年1月末で解散し、5月末で清算を終える見通しだ。中部大阪が無くなり、東穀取は本社を売却、東工取もジリ貧になる中で、目先の権限に固執する官僚機構や指導力を発揮できない政治家任せでは、日本の市場に未来はない。 

 大震災ですべてをご破算にして考えられる今こそ、日本の金融資本市場のあり方を一から考えるべきだろう。政府が復興後のグランドデザインを描くべきだという声は強く、遅まきながら復興構想会議が設置された。では、日本の市場はどうあるべきなのか。金融市場のグランドデザインが不可欠だろう。そのリーダーシップを発揮する責任が株式会社である東証大証の両社長にあることは言うまでもない。 

 震災前、総合取引所設立に向けて霞が関が動き出そうとしていた際、真っ先に動いたのが人事だった。現社長の斉藤氏を会長に棚上げし、武藤敏郎・元日銀副総裁を社長に据える案を、現役の財務官僚が持ち歩き、根回しに動いていた。官主導で再編を進めるには、まずは大物官僚をトップに据えて、というのが言うまでも無く霞が関の手法だ。 

 かつて東証トップの理事長ポストは大物大蔵官僚の指定席だった。財務省幹部にはまだまだそんなノスタルジーが残っているのだ。だが、デリバティブなど金融商品が高度に発達した現在の取引所ビジネスを、"大物官僚"が取り仕切れるほど世の中は甘くない。資本市場を支えているのは民間の資金と知恵だ。今こそそれを結集して、新しい市場を創り上げる時だろう。

現代ビジネス 磯山友幸「経済ニュースの裏側」20110427アップ http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2831