「なんちゃって血判状」の腰砕け

 この2カ月で国際会計基準IFRSを巡る状況は劇的に変わった。前を向いてひたすら走っていたマラソンランナーが突然止まったかと思うと元来た道を逆走し始めたような感じだ。その、そもそものきっかけになった反対派がまとめた要望書についてファクタに書いた原稿を編集部のご厚意で再掲する。6月上旬締め切りで6月20日発売だったので、その後かなり状況は変わっており、このブログでもその後の動きをいろいろ記述しているが、資料的な意味もあると思い載せることにしました。
2011年7月号 連載 [監査役 最後の一線 第3回] by 磯山友幸(経済ジャーナリスト)
http://facta.co.jp/

 5月25日、金融庁長官あてに1通の要望書が出された。A4判8枚にわたる文書の冒頭には、新日本製鉄トヨタ自動車日立製作所東芝三菱重工業キヤノン、リコーなど日本を代表する21社と日本商工会議所が名を連ねている(表参照)。表題は「我が国のIFRS対応に関する要望」。金融庁が2012年をメドに、すべての上場企業に利用を義務付けるかどうか判断することになっている国際会計基準IFRSに関する要望書だ。

 要望書では東日本大震災の発生に触れたうえで、「今の日本経済、産業界には不急不要のコストを払う余裕は全くない」と記載。「莫大なコストと事務負担が発生するIFRSへの対応は真に高いプライオリティ」なのかと、IFRS導入に疑問を呈している。
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 さしずめ、反IFRS血判状なのだが、読み進んでいくと不思議なことに気づく。文頭には「下記に示す企業、団体の合意により」とわざわざ書いてあるにもかかわらず、署名者となると副社長や監査役執行役員などが目立つのだ。これだけの錚々たる大企業が反IFRSで結集したとなれば大事件だが、どうやらそうではないらしい。

 「会社を挙げてIFRSに反対というわけではありません」と署名した企業の事務方は言う。「要望項目に適用反対とは書いてないはずです」というのだ。

 確かに、「要望項目」には以下のように記されている。
 ①上場企業の連結財務諸表へのIFRSの適用の是非を含めた制度設計の全体像について、国際情勢の分析・共有を踏まえて、早急に議論を開始すること
 ②全体の制度設計の結論を出すのに時間を要する場合には、産業界に不要な準備コストが発生しないよう、十分な準備期間(例えば5年)、猶予措置を設ける(米国基準による開示の引き続きの容認)こと等が必要
 この二つだ。

 “血判状”の取りまとめに動いたのは三菱電機常任顧問の佐藤行弘氏。前回も取り上げたが、反IFRSで精力的に動き回っている。要望書の後半には「各業界の意見」が「別紙」として添えられているが、佐藤氏が委員長を務めた経済産業省の企業財務委員会での反対意見などが列記されている。ちなみに血判状に署名した22人のうち確認できただけで15人が同委員会のメンバーだった。

 要望項目には、誰も異論がない「早期に議論開始」「十分な準備期間」を挙げて署名させ、本音の反対論は別紙として付ける。反IFRSでまとめ切ることができず、腰砕けとなっているわけだ。

 もちろん「別紙」には先月号で取り上げた東京財団の主張も記載されている。「(2012年に上場企業に強制適用するかどうかを決める)決定スケジュールを直ちに白紙に戻すべき」「IFRS会計基準としての品質には理論・実務両面から問題があり、経営、投資家のためにもならない」というものだ。意見をまとめたのは、岩井克人国際基督教大学客員教授経済産業省出身の佐藤孝弘・東京財団研究員。最近、『IFRS異議あり』(日本経済新聞出版社)という本まで出した。

 会計の初学者でも一読すれば気付くが、本書はキャンペーンを意図したもので、学術書としてはお粗末な中身である。意図的に誤った断定をし、そこからIFRS批判を展開する箇所がいくつも出てくる。

 一例を挙げれば時価会計(公正価値)批判の部分で、「公正価値計算は、公正という名のもとに、数値操作のフリーハンドを経営者に与えてしまいます」と断定し、米国で起きたエンロン事件を代表例として挙げている。これでIFRS会計基準として「質が低い」と言い切っているのだ。

 だが、考えてみれば、時価会計なら経営者が数値操作可能というのは論拠に乏しいし、エンロンIFRSではなく米国基準で決算をしていた。さらに、エンロン問題の核心は、SPC(特別目的会社)を使って連結はずしを行い、時価会計を回避したところにある。

 IFRSの「質が低い」と繰り返し述べられている本書だが、日本基準の質が高いという具体例はほとんど出てこない。バブル期に日本企業が株式投機に走り、結果的に膨大な損失を抱えたのは、時価会計のせいではなく、むしろ取得原価主義を悪用した特定金銭信託などの金融商品が跋扈したからだ。日本の会計基準の不備を埋める形で、会計基準の国際化が進んできた歴史的な流れを一切無視している。

 本書のまえがきに、「日本が国としての立ち位置をしっかりと決め、戦略的に行動することによって、世界に大きな影響力を与えることもできる」とある。大賛成だ。ではそれをどうやって実現するのか。国際基準に背を向けることで、国際組織が日本の主張を真剣に聞いてくれるというのか。
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 現在日本は、IFRSを決める国際会計基準審議会(IASB)に理事1人、その理事任命権を持つIFRS財団の評議員会に2人を送り出している。また、チェック役としての監督機関の集まりにも米SEC(証券取引委員会)やEC(欧州委員会)と並んで、日本の金融庁がポストを得ている。各国間のポスト争いが熾烈さを増す中で、経済力が落ちている日本がその座を守るのは容易ではない。

 「日本がIFRSの強制適用を打ち出せないのなら、導入済みのわれわれに、ポストは明け渡すべきだ」。そんな声がインドやブラジルなど、新興国の代表から上がっている、という。

 誰もが反対し得ない正論と、自分たちが主張したい本音を見事に織り交ぜる手法は、冒頭の“血判状”と本書はまったく同じだ。

 ちなみに、佐藤行弘氏が籍を置く三菱電機は、日本基準ではなく米国基準で連結決算書を作っている。冒頭の要望書にあった「米国基準の容認延長」は我田引水の要望なのだ。また、いくら国家戦略と言ってみたところで、米国の基準づくりに日本としての主張が反映されるわけではないのだ。この点、基準づくりに参画しているIFRSとは大きく違う。にもかかわらず米国基準に拘るのはなぜだろうか。

 本書の最後に、驚愕の戦略が出てくる。その名も「なんちゃってIFRS」戦略。「IFRSを表面的には受け入れつつ、もともと日本でやってきた会計処理を継続すればよい」というものだ。IFRSで国際交渉の前線に立つ担当者は「まったく品格に欠ける。不誠実極まりない」と憤慨する。日本がどのようにリーダーシップを発揮して存在感を出していけるのかについて、対案が一つも示されていない、というのだ。

 決算書作成者の立場からコストだけを強調し、株主・投資家や証券取引所、アナリストなど、利用者の便益にはほとんど触れていない。著名学者を担ぎ出した「なんちゃって反IFRS論」の底は浅い。