遅すぎた「コメ先物」上場の影に東穀取生き残りへの農水省の策謀あり

 コメの先物が72年ぶりに上場されます。江戸時代に大阪・堂島の米会所で始まったコメの先物取引。現代の感覚だと農産物商品の先物取引と思いがちですが、江戸時代のコメは通貨。つまり、日本は通貨先物を持つデリバティブ先進国だったというわけです。この見方は友人の数原泉氏の受け売りですが、金融資本市場後進国になってしまった今の日本を見ると、やりきれない思いがします。1939年に戦時体制ということで導入された統制経済が今も影を落としているということに他なりません。

現代ビジネスに掲載された記事を http://gendai.ismedia.jp/articles/-/12725
編集部のご厚意で以下に転載します。


 東京穀物商品取引所関西商品取引所は8月8日からコメ先物を上場し取引を始める。日本では大阪・堂島の米会所で江戸時代からコメの先物取引が行われていたが、戦時経済に向けて統制が強まる中で、1939年に廃止された。それ以来、72年ぶりの復活ということになる。

 取引所から申請を受けて農林水産省が試験上場を認可したわけだが、実は2005年にも申請が出され、その際は却下されていた。コメ流通の中核を担う農協が全国の組織を挙げて反対してきたことが大きい。東日本大震災と、東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で、今年の東北地方の米生産量や取引価格が読み切れない中だけに、今回も申請が却下されるのではないか、という見方が業界には多かった。にもかかわらず、農水省がゴーサインを出したのはなぜか。

 表向きは、農家に戸別補償制度が導入されたことで、価格政策のスタンスが根本から変わったというもの。市場価格と標準的な生産コストの差額を補填するという制度の趣旨からいって、価格は市場で自由に決まるものだという前提に変わったというわけだ。

 だが、もっぱら関係者の間でささやかれている事情は違う。農水省が自らの監督下にある商品取引所を生き残らせるための切り札としてコメ先物取引を持ち出した、というのだ。

 それならば、このタイミングで慌てて上場した意味が通る。実は今、日本の商品市場は存亡の危機にある。総合商社や証券会社、大手の食品会社など商品取引の参加者が、規制が多く使い勝手の悪い日本の市場を嫌い、米シカゴなどでの取引に移行しているため、日本の商品取引所での売買高が激減しているのだ。

 特に農産物などを扱う東京穀物商品取引所(東穀取)の売買高減少は激しく、経営も窮地に追い込まれている。その救済が農水省にとって大きな問題なのだ。もちろん取引所の歴代トップは農水省天下りで、現在の渡辺好明社長も事務次官OBだ。

 民主党政権が成長戦略の一環として「総合取引所」を掲げたことから、東京証券取引所を中心に統合する案が浮上したが、農水省が監督権限に固執したため頓挫。経済産業省が所管する東京工業品取引所(東工取)との経営統合に舵を切り、合併で基本合意をしていた。

 ところが、コメ上場の認可と機をいつにして、この東工取との統合構想が白紙に戻ったことからみても、虎の子のコメ先物で取引所を復活させたいという農水省の思惑がにじむ。

 では農水省と東穀取が鳴り物入りで上場させるコメ先物は復活の切り札になるのだろうか。

 日本のコメ流通の根幹を担う農協は長い間、コメ先物の上場に抵抗してきた。その全国組織であるJA全中(全国農業協同組合中央会)は「本上場阻止」を掲げており、先物取引には参加しない方針だ。現物を握っているJAが参加しなければ市場の取引高は膨らまない。

 商品先物を運用する投資会社の幹部も「どういった価格や取引量になるのか、半年ぐらい見極めてから取引に参加するつもりだ」と様子見を決め込む。

 JAが先物取引に反対する理由は"古典的"とも言える単純な論法だ。現物取引に比べて数倍、数十倍の取引が行われることで、先物価格が現物価格を振り回すようになる。マネーゲームで米価が決まるのはけしからん、というものだ。

 本来は、生産者が価格変動リスクを回避(ヘッジ)したり、資金手当する手法として先物は活用できるのだが、そうしたメリットには言及しない。真面目な生産者が作ったコメの値段を、一攫千金だけを狙う相場師が決めていいのか、とややヒステリックに言えば、農家の多くはついてくる。だが、その実、これまでは価格決定権は実質的にJAが握ってきたわけだ。

 現物の供給力を持つ持つJAが先物取引に参加しないことで、むしろ価格変動が大きくなる可能性もある。取引量が小さくなれば、少額の投機資金でも相場を変動させることができる。

 もちろん、JAが参加しないからといって、失敗すると決めつけるのは早計だ。有名産地のコシヒカリなど自主流通米によって消費者需要による価格メカニズムに慣れてきた大規模農家などの意識は大きく変わっている。先物取引で現実的にコメ農家のメリットが明らかになれば、農家の支持が広がるかもしれない。

 だが、がんじがらめの仕組みの中で、市場が正しい価格機能を果たすかどうかは微妙だ。そもそも現物のコメの輸出入に制限があるため、シカゴなど外国市場のコメ先物との価格相関がどの程度できるのか、まったく分からない。また、政府のコメ備蓄や減反政策が、大きな価格変動要因になることも考えられる。

 また、伝統的に霞が関の官僚は市場メカニズムを信用せず、自らの統制に過度の自信を持ち続けてきた。金融庁など先進的な市場を監督する役所に比べると、農水省官僚の市場意識は前近代的だ。

 日本は1939年にコメの先物市場を廃止して以来、戦後もコメや麦は生産・流通を国が管理し、価格も政治決着する「食糧管理制度」が続いてきた。1995年に食管制度は廃止されたが、その後も公設の財団法人全国米穀取引・価格形成センターが現物取引を行ってきた。実質的なコメ市場だったが、"統制色"が強かったこともあり、上場数量は伸びず、今年3月に廃止に追い込まれている。農水省が本気で取引市場を育てて来なかった結果とも言える。

 日本は今、商品市場だけでなく、株式や金融先物などの資本市場も世界的な存在感が薄れている。そんな中で、金融商品穀物、工業品などの取引を一体で行う総合取引所構想がここ10年議論されてきた。そんな中で、商品分野の切り札として可能性が指摘されてきたのがコメ先物だった。日本全体のマーケットのデザインが終わる前に、農水省が自らの庭先を守るために切り札を切ってしまった格好だ。コメ先物市場の行方はコメ作り農家やJAばかりではなく、日本の資本市場全体の盛衰の鏡になる。