天下り死守だけを狙う農水官僚 磯山友幸

72年ぶりにコメの先物取引が復活して9月8日で1カ月がたった。売買高は低迷を続け、このままの売買水準が続けば、取引所としては赤字だろう。もともと赤字体質の東穀取自身には残念ながら復活に向けたビジョンがない。株主でもあり取引参加者でもある商品先物会社は大いに苛立っているが、農水省出身の社長はどこ吹く風だという。

先月、フジサンケ・ビジネスアイの1面に書いたコラムが産経新聞のウェブサイトに掲載されています。是非ご一読ください。
→ http://www.sankeibiz.jp/macro/news/110824/mca1108240501000-n1.htm


 東京穀物商品取引所(東穀取)と関西商品取引所で今月8日から、コメの先物取引が始まった。江戸時代から戦前まで続いたコメ先物の72年ぶりの復活とあって、関係者の期待を集めたが、どうも結果は芳しくない。初値が付いた9日こそ6000枚を超える売買が成立したが、その後、売買高は細り続け、今や毎日400枚程度。コメ先物で日本のコモディティ(商品)市場を復活させたいとのいちるの望みはかなえられそうにない。

 日本の商品市場は存廃の危機に直面している。そもそも市場(いちば)は、モノの需要地に形成されるのが常である。わが国には1億2000万人の人口がいて、日々、さまざまな商品を大量に消費している。にもかかわらず、その日本から商品市場が消え去ろうとしているのだ。

 シカゴや中国主要都市の取引所に売買の中心地を奪われたのも一因だ。しかし最大の理由は市場に価格決定機能を委ねることを嫌い、取引所を自らの支配下に置いて成長を阻害してきた農林水産省の失政にある。

 江戸時代から続いたコメの先物取引が廃止されたのは昭和14年(1939年)。戦時色が濃くなる中で、国家による統制が強化され、コメの自由な取引は禁じられた。戦後も長く、コメの価格は政府が決める時代が続いた。政府が米価を決めてきた食糧管理法は1995年に廃止されたが、コメ先物の復活には根強い反対論があった。「主食のコメを投機の対象にするな」というのだ。

 一見正論だが、結局のところ、実質的に価格決定権を握ってきた農協組織が、それを手放すことに抵抗するための論理だったにすぎない。農家に戸別所得補償制度が導入され、農水省も反対できなくなったのが上場が実現した背景。だが、農協は先物取引への不参加を表明、ボイコットしたままだ。

 東穀取も農水省にガッチリ首根っこを押さえられてきた。理事長(株式会社化で社長)は事務次官OBの指定席で、現在の渡辺好明社長も天下り。代表権を持つナンバー2の山野昭二専務も関東農政局長の後、緑資源機構や畜産環境整備機構などを渡り歩いた農水官僚だ。

 農水官僚が取引所の発展に力を尽くしているのならまだ良い。ところがである。

 東穀取の利用者でもあり株主でもある商品取引業者は、先行きの厳しい東穀取を、原油や金を売買する東京工業品取引所と統合するように求めてきた。渡辺社長もそれに同意。既に東穀取の建物を売却、東工取のシステムを間借りし始めた。ところが7月に突然、統合の白紙撤回を社長が言い出したのだ。

 不動産売却で30億円の自己資本ができたのが心変わりの理由だと周囲は見る。世界の取引所と競争すべき時に、赤字を垂れ流しても天下りポストさえ維持できればいいというのが農水省の本音だとすれば、世も末、である。