日本の電力会社が割高な燃料ガス(LNG)を購入していることが問題になっています。一方で、つい先日、国会で可決成立した日本の金融市場の活性化策に「総合取引所」があります。両者にはまったく関係がないように思われるでしょう。しかし、売買が活発に行われる中心的な取引所を持つということと、価格決定権を握るということは、表裏一体の関係なのです。WEDGE8月号に掲載した記事を編集部のご厚意で再掲します。
オリジナルページ→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2121?page=1
輸出額から輸入額を引いた「貿易収支」の赤字が続いている。6月末に財務省がまとめた5月の貿易収支は9073億円の赤字で、3月以降3カ月連続の赤字となった。赤字の最大の理由はエネルギー資源の輸入増である。
統計では、原油や液化天然ガス(LNG)などが「鉱物性燃料」に分類され、輸入額全体の3分の1を占める。この鉱物性燃料が5月は前年同月比で19.6%も増えたのである。中でもLNG輸入額は44.3%増という高い伸びを記録した。
新聞などでは原子力発電所の稼働停止に伴って火力発電用のLNGなどの需要が急増したため、と説明されている。だが、統計をよく見ると、LNGの輸入量は16.8%の増加だ。つまり、量の増加よりも価格の上昇の影響が大きいことが分かる。
読者の多くは首を傾げるに違いない。原油価格は下がっているのではないか。ニューヨーク市場のWTI原油の先物価格は、4月末には105ドル前後だったが、6月下旬には80ドルを割っている。それなのになぜLNG価格は下がっていないのか。
「買い負け」に重い腰を上げた政府
実はLNGは売買される「市場」がなく、価格は相対取引で決まっているのだ。日本がエネルギー価格の決定権を握っていないために、売り手の“言い値”で買わされている。東京電力など電力会社は燃料代を自動的に価格に転嫁できる料金制度のために、これまで売り手の“言い値”をほぼ丸呑みしてきた。
そうした“買い負け”にようやく政府も重い腰を上げた。6月27日に関係閣僚会合を開いて、新たな資源確保の戦略をまとめたのだ。これによれば、韓国とのLNGの共同調達や価格交渉での連携を検討する、としている。また、9月に日本が開く中東など天然ガス産出国を集めた国際会議の場で、LNGの価格決定の仕組みの見直しを共同で提案する、という。
日本は、LNG消費量の世界全体の4割を占める最大の需要国だ。本来ならば最大需要家としての「バイイング・パワー」があるはずなのに、なぜ日本は価格決定権を握れなかったのか。また、政府が進めようとしている国際交渉での価格引き下げ、という戦略は成果を上げるのか。
日本が価格決定権を握れない最大の原因は「市場」を持たないことである。もともと市場は需要のあるところにできるのが普通だ。伝統的な朝市が教会前の広場に立つのを考えれば分かる。ニンジンやジャガイモを作る郊外の畑に市が立つのではなく、買い手が集まる街の中心に市場ができる。
日本は世界有数の商品(コモディティ)需要国である。にもかかわらず、現在、日本の商品市場は壊滅状態だ。工業品を扱う東京工業品取引所や農産品を売買する東京穀物商品取引所は売買高の減少で青息吐息だ。ゴム取引などかつては東京が世界の中心相場だったものがいくつもある。ところが、今では総合商社など売買の主役たちはまったくと言っていいほど日本の市場では取引しない。シカゴなどで取引しているのだ。
世界の原油価格はニューヨークで決まる。売買の指標銘柄であるWTIはウエスト・テキサス・インターミディエイトと呼ばれる原油で、実際の産出量は1日100万に満たない少量だが、先物として1日1億バレル以上が取引されている。かつては産油国の王族の胸三寸や、OPEC(石油輸出国機構)などの会議で価格が決まっていた時代もある。だが、現在は、先物市場のボリューム拡大によって「市場」で決まっている。逆の言い方をすれば、価格決定権を供給者である産油国から需要家である米国が奪取した、と見ることもできるのだ。
なぜ、日本は需要家でありながら、市場を持てないのか。これはひとえに政府の無策からきている。霞が関の官僚は「市場」が嫌いなのだ。自分たちがコントロールできない「市場」を作ることを本能的に忌避する。今回「戦略」として打ち出したように国家間の連携や交渉となれば、主役は自分たち官僚である。
民主党唯一の市場改革策
注目されていないが、今国会に、いわゆる「総合取引所法案」が提出されている。工業品の取引所は経済産業省、農産品は農林水産省、株式など金融商品は金融庁と、バラバラに分かれていた規制・監督権限を一本化し、垣根を越えた取引所の統合を促進しようという法案だ。金融行政にまったく無関心な民主党政府が唯一出した市場改革策といって良い。
その肝は、何とかまだ命脈を保っている証券取引所に、商品の売買を認め、日本に商品市場を復活させることにある。ところが霞が関の抵抗はまだ続いている。各取引所には所管官庁の事務次官OBなどが天下っているのだが、そのポストを守ることに躍起になっているのだ。「市場の隆盛を犠牲にしてまで天下り死守にこだわっている」と経済産業省の官僚OBも批判する。
原油価格の決定にも関わろうとする中国
米国の先物業協会(FIA)がまとめた2011年の世界のデリバティブ(金融派生商品)取引所のランキング(売買枚数ベース)ベスト30によれば、トップは韓国取引所。これに米CMEグループ、独ユーレックスなどが続く。日本勢は大阪証券取引所が18位、東京金融取引所が23位に入っているだけだ。一方で鄭州商品交易所が11位、上海期貨(先物)交易所が14位、大連商品取引所が15位と、中国の先物取引所が日本勢よりも上位に食い込んでいる。商品取引だけを抜き出して集計すれば、それぞれ世界4位、3位、6位に相当するという。
鄭州では小麦、綿花、砂糖、菜種油、米などが取引され、大連ではトウモロコシ、大豆、製鋼用コークスなどが売買されている。巨大な人口を背景にした「バイイング・パワー」を生かして、価格決定権を握ろうとしているのは明白だろう。
さらに上海の取引所は年内をメドに原油を上場する方針を発表している。世界の原油価格の決定に、中国市場の動向が大きく影響することになるのは明らかだろう。
日本は江戸時代、大阪堂島でのコメ取引が活況を呈し、世界に先駆けて先物市場ができた歴史を持つ。当時の日本では侍の俸給がコメを基準に決まるなど、一種の通貨でもあったので、世界に先駆けて金融先物取引を行っていた、と見ることもできる。価格決定権を握るためには、使い勝手の良い市場を作るために機能や規制を抜本的に見直し、世界からヒト・モノ・カネを集める政策への転換が重要だ。その第一歩がすでに韓国に先を越されている「総合取引所」の創設である。
◆WEDGE2012年8月号より