監査法人トップ「民下り」に疑問符

2011年10月号 連載 [監査役 最後の一線 第6回]
by 磯山友幸(経済ジャーナリスト)

http://facta.co.jp/article/201110062.html

今年6月24日に開かれたクボタの株主総会でちょっとした異変が起きた。議案採決の時のことだ。ほとんどの議案が100万を超す賛成票を集めたにもかかわらず、1件だけが70万余りの賛成にとどまり、3割近い反対票が入ったのだ。

その1件とは、「佐藤良二氏を監査役に選任する件」。他の取締役や監査役候補者への反対票はせいぜい1千〜9千票だったのだが、佐藤氏への反対票は29万2366票に達した。こう聞くと、佐藤氏とはいかなる御仁かと思われるだろう。だが、決して怪しい人物ではない。

佐藤氏は公認会計士で、企業の監査を長年担当し、監査法人トーマツの包括代表社員(CEO)にまで上りつめた人物。豪放磊落な人柄で法人内外の評判もいい。昨年11月にCEOを退任。クボタが監査役就任を発表した5月段階では、トーマツのシニアアドバイザーを務めていた。

そんな佐藤氏になぜ反対票が集中したのか。

実は海外の議決権行使助言会社が、その会社の監査を担当してきた監査法人出身者を監査役や取締役に迎えることを問題視し、機関投資家などに反対票を投じるよう助言しているのだ。佐藤氏が監査役に就任したクボタは、トーマツの監査先企業、つまり顧客だったのである。

¥¥¥
そうした監査先への“民下り”とも言える再就職は、かなり常態化している。トーマツで佐藤氏の前任のCEOだった阿部紘武氏は、やはりトーマツの監査先企業のひとつである住友金属工業監査役を務めている。

新日本監査法人の水嶋利夫前理事長は、三菱ケミカルホールディングス監査役だが、同社の監査は新日本が行っている。あずさ監査法人の岩本繁・元会長が監査役を務めるNTTも、同じ岩本氏が社外取締役を務める三井住友フィナンシャルグループも、いずれもあずさの顧客企業だ。

あずさで岩本氏の後任だった佐藤正典・前会長は、今年7月28日に全国農業協同組合中央会JA全中)の理事・監査委員長に就任したが、このポストは岩本氏から譲られたポスト。歴代理事長の指定席になっている。中央官庁の幹部官僚が繰り返す“渡り”に見えなくもない。

監査法人のトップが監査対象企業に再就職しても、監査法人を辞めて行くわけで、監査内容に影響力を行使できるわけではないから、独立性で問題になることはない」というのが監査の独立性などをチェックする日本公認会計士協会の立場だ。さすがに、直接監査を担当していた関与社員の場合は、一定期間はその企業に就職できない倫理規則があるが、監査法人の経営トップに対する縛りはない。

監査を直接担当する会計士に関しては、独立性を保つためのルールは非常に厳しい。銀行の監査を担当すると、その銀行の投資商品はもちろん買えないし、普通預金ですら1千万円までしか預けることはできない。経営危機に瀕した際、自分の預金大事で、監査意見が歪むこともあり得るという考え方だ。要は、外部から見て利害関係が疑われるようなものは禁止、というのが鉄則なのだが、監査法人経営者の扱いだけが抜け落ちている。

だが、監査法人経営者の“民下り”は本当に問題ないのか。仮に、企業が生きるか死ぬかの瀬戸際になった時に、元の上司に遠慮して監査意見を曲げることはないのか。顧客企業に再就職した元幹部が、昔部下だった後輩会計士に、手心を加えてくれるよう圧力を加えることはないのか。企業がそうした役回りを“民下り”の役員に期待することはないのか。議決権行使助言会社機関投資家はそうした人的な関係から独立性に疑問符を付けているわけだ。

監査法人業界の中にも“民下り”を問題視する人たちは少なからずいる。川北博・会計士協会元会長もそのひとりだ。長年、監査法人の経営は個人経営の集合体で、20年近く前までは定年退職すらないのが普通だった。各監査法人が定年制度を導入する過程で、経営幹部の“老後”の面倒をみる再就職先が必要になったわけだ。監査法人の幹部や会計士協会幹部が“民下り”に厳しい規制を課してこなかったのも、そんな配慮があったと見られる。

¥¥¥
だが、ルールがないことで、逆に混乱も招いている。

会計士協会の元会長で野村ホールディングス社外取締役を務める藤沼亜起氏は、いまだに野村の株主総会で議決される際は反対票が格段に多いという。藤沼氏が長年籍を置いてきた新日本が、野村の監査担当法人だからだ。

取締役に就任したのは個人的な関係で野村から依頼されたため。しかも外国の会計事務所の友人に相談し、「外形的な独立性を保つうえで必要だろうと判断して、新日本にあった年金もすべて引き出した」(藤沼氏)。にもかかわらず関係を疑われることに憤慨している。

藤沼氏は同様の経緯で武田薬品工業監査役も引き受けているが、助言会社は野村はバツで武田はマルという判断だ。武田は新日本の顧客ではないからだが、「監査法人にいたから永遠に独立性がないと機械的に決め付けるのは行き過ぎではないか」と藤沼氏は言う。

藤沼氏の後任の会計士協会の会長だった増田宏一氏も今年TDK監査役に就任したが、賛成票は69%にとどまった。出身のあずさが監査しているためだ。

増田氏は会計士協会の会長に就任した段階であずさを退職した。協会が独立性を高めることなどを狙って会長職を有給にしたためだ。増田氏はあずさを退職してすでに4年が経過している。

これまで名前を挙げた会計士はみな、企業に媚びるようなタイプではなく、独立性が疑われるような人物ではないことは、長年取材してきた私が一番知っている。企業も個人の識見を見込んで社外監査役社外取締役を依頼しているに違いない。

だが、天下りが繰り返されることで、そのポストがあたかも指定席のようになり、両者の癒着が深くなっていくことは、官庁の天下り如実に示している。

監査法人のトップを務めるほどの見識を備えた大物会計士が、わざわざ古巣の顧客企業の世話になることもないだろう。政府機関や公的な分野など活躍を求められる場は山ほどあるはずだ。

まさか、監査担当の会計士はコンサルティングや税務に比べて現役時代の収入が少ないから、退職後に帳尻を合わせるのだ、などとは言わないだろう。そんなことを言えば、官僚の天下りの論理と同じになってしまう。企業と監査法人を見る外部の投資家が納得するようなルールを早急につくるべきだろう。