消費税の税率引き上げ論議が本格的に始まります。「このままでは年金も健康保険も破綻するぞ」「大変だ、大変だ」といった感じで、増税待ったなしのムードが作られています。日本国民の税負担率は低いと言われますが、毎月の月給から引かれている厚生年金や健康保険も加えれば、負担感が増しているのは間違いありません。まあ、税率を上げれば問題が解決するなどという単純な話でないことは誰でも分かります。所得の100%以上を税金で取るわけにはいかないのですから。税金のあり方自体を国民がみな真剣に議論するタイミングに来ていると思います。少し古くなりましたが、WEDGE12月号に掲載された「復活のキーワード」地方が税制を競うスイス、を編集部のご好意で再掲します。
オリジナルは→ http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1618
東日本大震災の復興資金を賄うための所得増税に加えて、医療費や年金といった社会保障費を支えるための消費税増税など、かつてないほどに、税のあり方をどう考えるかが国民自身に問われている。
一般に、税率を引き上げる「増税」を実施すれば、税収が増えると思われがちだ。だが、現実はやや違う。税率を上げた結果、個人や企業など納税者が他の地域に逃げてしまえば、税収は減ってしまう。
逆に税率を下げても、その結果、他の地域から納税者が集まれば、税収が増えることもある。国や地方政府もカネを集めるための工夫、いわば経営努力が必要な時代になっているのだ。
前回はスイスが金融業を発展させて他国からカネを集めている話を紹介した。ヒト・モノ・カネを集めることが経済成長の原動力となり、国家の発展をもたらすわけだが、そのカネを集める知恵だ。今回は同様に、金融機関だけでなく政府自身も税金を他国から引き込もうとしているという話を書くことにしよう。キーワードは「税制の競争力」である。
日本でもようやく法人税を引き下げるべきだ、という声が強まってきた。さもなければ、国際競争している企業ほど海外に拠点を移してしまい、産業の空洞化が起きるというのが背景にある。
財務省が公表している「法人所得課税の実効税率の国際比較」という資料では、国税と地方税を合わせた日本の税率は米国とほぼ同水準の41%だ。これに対してフランス33%、ドイツ29%、英国26%、中国は25%、韓国24%、シンガポール17%という数字が並んでいる。要は日本企業が国際競争している国々の方が、法人税率が軒並み低いのである。
民主党政府は昨年決めた成長戦略の柱として法人税率の5ポイント引き下げを決め、ようやく先進国並みに税率が下がるはずだった。ところが東日本大震災の復興増税で、事実上、減税は見送られる格好になった。
個人の税制でも国際競争力が問われる
ともかくも、法人税に関しては、国際競争が不可欠だ、という視点が広がりつつある。ところが、個人の所得税となると、あまり国際比較はなされていない。企業は税率によって移転できるが、個人は税制が変わっても国を捨てて移住するのは難しい、という考えが基本にあるのだろう。
だが、以前、この欄でシンガポールについて触れたように、富裕層などの個人をターゲットに、国家戦略として移住を働きかける動きが広がっている。もはや個人の税制も「国際競争力」が問われる時代なのだ。
欧州では所得税率の差によって、大金持ちが居住地を変える例が少なくない。スイスはそうした高税率から逃れた富豪が集まる国として有名だ。
スイスで一番の富豪はスウェーデン人で家具販売大手イケアを創業したイングヴァル・カンプラード氏。レマン湖に面したヴォー州に居住地を持っている。また、ドイツ人のF1ドライバーのミハエル・シューマッハ氏が現役時代、税率が高い母国ドイツから、スイスの寒村に移住しようとして大問題になったこともある。
スイスは周辺諸国に比べて税率が低いだけではない。その「税制競争」は徹底している。実は、国内でも激しい税率競争を繰り広げているのだ。
スイスにはカントンと呼ばれる州がある。わずか九州ほどの国土に、その数は26(準州を含む)に及ぶ。もともと州が集まって連邦を成しただけに、連邦よりも州の権限が強い。州ごとに法人税の税率もバラバラだが、所得税でも州に税率の決定権がある。所得税の連邦税(最高税率11.5%)は全国一律だが、州税はこの26の州が独自に税率を決めているのだ。
金融大手のUBSは毎年、「Switzerland in Figures(数字で見るスイス)」という小冊子を作って配布しており、ウェブでも見ることができる。そこには州別に税率の一覧表が載っている。
これによると、例えば所得が20万スイスフラン(約1800万円)の人の所得税率(国税・州税・市町村税・教会税の合計)は、フランスとドイツの国境に近いバーゼル・ラント州が最も高くて26.01%。これに対して最も低いのがスイス中部のツーク州の12.57%だ。
ツーク州は戦略的に所得税率を引き下げることで各地から富豪を集めている。ちなみにツーク州は法人税率が低いことでも有名で、起業家が会社登記をすることでも知られる。隣のシュヴィーツ州も同様の戦略を取り、所得税率は14.26%とスイス全体の平均(20%弱)よりも低く抑えている。
この税率表には他にも資産税の税率や自動車保有税の税率も載っている。自分の所得水準ならば、どこの州に住むのが有利なのか一目瞭然というわけだ。
日本でも長年、地方分権が議論されてきた。地方の改革派首長は異口同音に、権限と共に財源を地方に移管せよ、と言い続けているが、一向に実現しない。
日本の地方交付税交付金を軸とした税制は、国が一括して税金を徴収し、それを地方に再配分するモデルだ。豊かな土地の税収を、貧しい地域に手厚く配分することで、地域間の経済格差が大きい時代には一定の役割を果たしてきた。
だが一方で、都市計画税などの一部の例外を除いて、地方に税制面での裁量権はほぼなかったと言っていい。地方税については、税率引き下げは法的に問題ないとも言われるが、現実に税率を下げようと思えば、国が強く難色を示すことになる。まして国税の基幹税である所得税、法人税、消費税については、地方自治体は一切口が出せなかった。その結果、多くの地方自治体が国からの交付金や補助金にどっぷり依存し、財政的に自立しようという気概を失ってしまったのではないか。
では、今後、地方分権を推進した場合に、税制はどうすべきなのか。正式な議論が行われているわけではないが、多くの霞が関官僚は、「消費税を地方に移管すべきだ」と答える。確かに米国では州ごとに消費税率が違う。だが、消費税の税率を変えたくらいでは企業や個人の移転は起きず、地域ごとの産業政策や富裕層誘致などを行うことは難しいだろう。つまり、地方分権しても消費税の移管では「税制での競争」は起きないとみていい。
「北海道は法人税率が東京の半分以下」「沖縄は金融商品の相続税がゼロ」「所得税率は九州が最も低い」「消費税率は大阪が最低」――。こんな具合に日本の各地が創意工夫で税制のあり方を考えれば、それぞれに特色を持った地域経済が出来上がるに違いない。