個人所得課税を引き下げ 世界の富裕層から税収獲得

もっと金持ちから税金を取れ、というのは溜飲が下がりますが、グローバル化している中で、そんな事をすれば大金持ちは逃げていきます。ならばということで、租税逃避の取り締まりを強化する動きも強まっています。一方で、税率を低くして大金持ちを集めようという国もあります。まるで北風と太陽。日本は北風政策でいくのでしょうか。ウェッジ2月号(1月20日発売)に書いた記事です。オリジナルウェブ → http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3560


 一時期、日本を捨ててシンガポールや香港、スイスなどに移住する日本人富裕層が急増していた。日本の所得税相続税が国際的に高いため、税率が低かったり、課税されなかったりする国に移ってしまおうというのが動機だった。シンガポール政府などは日本人の金持ちをターゲットに、移住を勧誘していた。富裕層を顧客とする信託銀行やプライベートバンクは、そんな富裕層が日本から“逃避”する手伝いで繁盛していたものだ。

 先日、信託銀行のトップと話をしていたら、そんな富裕層顧客の行動に変化が出ているという。所得増税や資産課税に意欲を見せていた民主党政権が崩壊し、自民党に戻ったことで、富裕層が日本に逆流して戻って来ているのかと思ったら、そうではないという。移住先が米国に変わりつつあるというのである。

 理由の一つは、世界中で資金のチェックが厳しくなったこと。スイスなどタックスヘイブン租税回避地)と呼ばれた国・地域への締め付けが厳しくなり、課税回避を狙った資金などを安心して置いておける場所がなくなった。スイスは、銀行の顧客情報を税務当局にすら開示しない「銀行守秘義務」のルールを伝統的に守ってきたが、米国などの猛烈な圧力によって風前の灯となっている。

 つまり、移住してまでタックスヘイブンに資産を移す意味合いが薄れたのだ。そんな中で、金持ちが資産を守るのに最も安全な国はどこか。高所得の起業家やビジネスマンを守ってくれるのは、やはり、資本主義の砦でもある米国だろう、というわけだ。そんな発想から米国への移住が増えているのだという。気候も温暖で日系人も多いハワイやカリフォルニアが人気らしい。

 もう一つの理由は、自民党政権に変わったものの、金持ちを国内につなぎ止めようという政策が一向に出て来ないことだという。安倍晋三首相は2013年9月25日にニューヨーク証券取引所で行った演説で、「私は日本を、アメリカのようにベンチャー精神のあふれる『起業大国』にしていきたいと考えています」と語った。そのためにアベノミクスで規制改革などを思い切って進めるので、日本へ投資して欲しいと訴えたのである。

 日本では最近、起業して株式を上場し、その売却益を得た創業者が高額所得者になるケースが増えている。安倍首相の演説に起業家は奮い立ったのかと思いきや、見方は厳しい。

 「所得税率は50%を超え、会社からの配当にも高い税率がかかる。これでは起業家はたまらない。この国の政策は起業家絶滅政策ではないのか」

 そう、ベンチャー企業の創業者の一人は語る。首相の「思い」と政策がミスマッチを起こしているというのだ。

 政権交代直後に自民党政権がまとめた13年度税制改正大綱では、所得税最高税率を40%から45%に引き上げることを決めた。これが15年1月から実施される。日本の最高税率は1999年にそれまでの50%から37%に引き下げられたのだが、07年に40%に引き上げられていた。これを一気に45%にするというのである。

 所得には国税のほか、復興特別所得税(税額の2.1%)と地方税の個人住民税(一律10%)が課される。15年からの最高税率は55.945%になる。

 対象は年収が4000万円以上の人である。金持ちから税金をたくさん取るのは当然だと国民の多くは溜飲を下げるだろう。だが、実はこんなバカな政策はない。もともと高額所得者は多額の税金を納めている。税率を上げれば海外への逃避を促すことになる。税率を上げても、高額所得者が海外に出れば、税収は逆に減ってしまうのだ。

税収を増やすなら金持ちイジメは逆効果

 今や世界の国々は、どうやって高額所得者を自国に呼び込むかに知恵を絞っている。方策の一つは税率を低く抑えることだ。税率を低くしても高額所得者が多くなれば、税収は増える。

 スイスは26ある州・準州ごとに所得税率が違う。国税自治体税・教会税を含めた税率は、最低のツーク州で所得が20万スイスフラン(約2000万円)の場合、10.51%。首都ベルンの20.99%の約半分だ。ツーク州には国内外の高額所得者が移住し、00年から12年の間に居住者人口が17.3%も増加した。しかも、居住者の25%が外国人になっている。富裕層獲得を狙って州の間で、税率競争をしているのだ。

 こうした税率競争は、欧州では、国と国の間でも起きている。英国は13年4月にそれまで50%だった最高税率地方税はなし)を45%に引き下げた。一方で、ドーバー海峡をはさんだフランスは14年から「富裕税」を課す方針だ。オランド大統領の目玉政策だったが、フランス国内で反対が巻き起こっている。当初は100万ユーロ(約1億4000万円)超の所得に対して75%の税率を課す方針だったが、憲法違反との判断が下り、高額の給与を支払った企業から徴税することとなった。社会保険料を含めた実効税率は約75%になるという。

 これに対して、サッカーのプロクラブがストライキを行う構えを見せたり、有名俳優がフランス国籍を放棄してロシア国籍を取得したりする動きも出ている。かつてフランス革命が起きた時代とは異なり、富裕層といっても既得権を独占する王侯貴族や資本家ではなくなったということだろう。税率の変更は富裕層に国を見限らせることになりかねないのである。

 米国の所得税最高税率は39.6%。これに地方税が加わる。日本の財務省の資料によると、ニューヨーク市の場合は50.10%だ。これまで日米英の最高税率は50%でほぼ横並びで、財務省はこれを、日本の最高税率は妥当だという論拠に使ってきた。

 ところが、最高税率が引き上げられる15年からは日本が米英を大きく上回る格好になる。日本の富裕層が米国に移住しようとする理由はここにもあるのだ。財務省は、今度はフランスの富裕税でも持ち出して最高税率引き上げの妥当性を強調するのだろうか。

 金持ちイジメは止みそうにない。政府は昨年12月24日、14年度税制改正大綱を閣議決定した。13年から給与所得控除に上限が設けられ、給与所得1500万円以上は245万円で打ち切りとなっていたが、大綱では、さらに上限を厳しくする。16年分の所得からは給与所得1200万円で控除額230万円が上限となり、17年分からは1000万円で220万円が上限となる。高額所得者からより多くの税金を取る、という姿勢が続いているのだ。

 国債など国の借金が1000兆円を超えた日本。本気で税収を増やしたいのなら、世界中から金持ちが集まってくる国にすることだろう。

◆WEDGE2014年2月号より