少し古くなりましたが、FACTA7月号の記事を編集部のご厚意で再掲します。最近最も過激なメディアといえるFACTAに連載をいただいて1年余がたちました。よく「なぜ、監査役 最後の一線というタイトルなのですか」と聞かれます。監査役についての話題を書くという意味ではありません。企業や経営者の不正を防ぐ「最後の一線」である監査役に、役に立つ話題を提供する、というのがこのコラムのコンセプトです。ご愛読ありがとうございます。
オリジナルページ→ http://facta.co.jp/article/201207047.html
「当社は、本日、原子力損害賠償支援機構より(中略)466億円の資金の交付を受けましたのでお知らせいたします」
東京電力は5月22日、一枚のニュース・リリースを出した。それまでにも東電は、機構から8822億円の「資金交付」を受けていたが、原発事故被害者への損害賠償として支払う額がそれを上回ったため、「交付」を申請していた。
東電はこのほかにも国から1200億円を受け取っているが、こちらは法律に基づく「補償金」となっている。同じおカネでも名目が違うのだ。ではいったい「交付」された資金、つまり「交付金」とは何なのだろう。
東京電力が5月14日に発表した2012年3月期の決算短信にはどう記載されているのか。連結損益計算書では機構の交付金として2兆4262億円余りが「特別利益」として計上されている。また、貸借対照表(バランスシート)でも1兆7626億円余りが「未収原子力損害賠償支援機構資金交付金」として「資産」に計上されている。決算書では「交付金」は利益、つまり「もらったもの」であり、「資産」だという訳だ。
果たして機構は交付金を東電に“贈与”したのか。機構は昨年8月に施行された原子力損害賠償支援機構法によって国が設立した。原発事故を起こした東電が被害者に賠償するための資金を「交付」する仕組みで、原資は政府保証の付いた国債などを発行して調達する。資金交付を受けた東電は「特別負担金」を機構に支払い、最終的に機構は国に資金を返済していく。つまり、機構からすれば交付した資金は「貸し付け」で、いずれ東電が特別負担金という形で「返済」する建前なのだ。
となると本来、東電は交付金を「借入金」つまり「負債」に計上するのが筋ということになる。まして特別利益に計上することなどできない。仮に今の決算処理を容認するとしても、将来にわたって東電が支払う義務を負う「特別負担金」の推計総額は負債に計上しなければ辻褄が合わない。
だが、特別負担金については注記にこんな記載があるだけだ。
「(特別負担金は)当社の収支の状況に照らし連結会計年度ごとに機構における運営委員会の議決を経て定められるとともに、主務大臣による認可が必要となることなどから、計上していない」
よくもこれで監査法人の監査が通ったものだ。借入金を利益として計上したうえで、将来返済しなければいけない債務は計上しない。摩訶不思議な決算書なのだ。
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なぜそんな無理な決算書を作るのか。理由はひとえに「債務超過にしない」ためだ。3月末の東電の純資産(資本)は8124億円余り。1兆7626億円の交付金を「資産」としなければマイナスになることは誰の目にも明らか。つまり、実態は、全資産よりも負債の方が大きい債務超過なのだ。
バランスシートは、株主や投資家に企業の実態を正確に示すために作られる。東電のような公益企業の場合、料金を支払う利用者や従業員などステークホルダー全員に正しい姿を示す責務がある。巨額の損害賠償によって債務超過なのが実態ならば、その姿を正しく見せるのが経営者の義務であり、投資家の利益を守るのが本務の監査法人の責任のはずだ。
あくまで債務超過ではないと繕うのには訳がある。債務超過となれば東京証券取引所が定める上場廃止基準に抵触するからだ。債務超過で上場廃止となれば、会社更生法の申請など法的整理へと突き進みかねない。そうなれば、株主だけでなく、東電に資金を貸した大手銀行の債権も吹き飛ぶ。
東電も法的整理で会社が解体されることに抵抗した。霞が関は国が全面的に損害賠償負担を負うことを嫌った。金融機関は自分たちが株主や債権者として損失を被ることを何とか避けようと政治家に働きかけた。法的整理が国民負担を最小化する、という主張を封じ込めて、東電をヌエのような格好で生きながらえさせたのは、そんな3者の思惑をそれぞれ満たそうとしたからに他ならない。
東電救済のスキームは、さながらエッシャーのだまし絵だ。水は下に落ちて枯れてしまうはずなのに、いつまでたっても流れ続けるアレである。考え付いた官僚はその芸術性に悦に入るが、決算書という数字の世界ではそう簡単に目の錯覚を引き起こすことはできない。どこかに綻びが出るのだ。
東電の決算書での特別負担金の不計上しかり。機構も設立から1年たてば財務諸表を国民に示さざるを得ないが、そこで東電への「交付金」をどう記すかも焦点だ。東電と機構の決算書は裏表の関係になる。東電が特別利益ならば機構は特別損失だ。そうなれば機構が巨額の債務超過になる。そうなると国は機構にカネを貸しているだけ、という建前は崩れかねない。
では「交付金」を東電への「貸し付け」として「資産」に計上するか。そうなると裏側である東電の決算書では「借り入れ」とし「負債」でなければならなくなる。機構も公的機関だから会計監査ぐらいは入れるだろう。そんな矛盾に会計士は目をつぶるのか。そうなれば監査制度自体が揺らぐ。矛盾はどこかにシワ寄せされる。
上場廃止と言えばオリンパスを思い出す。長年の巨額粉飾にもかかわらず上場維持を決めた言い訳が「債務超過ではない」だった。では誰の目にも債務超過が明らかな東電を東証は見逃すのか。
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実は東電とオリンパスでは登場する面々が似かよっている。まずは三井住友銀行。オリンパスのメーンバンクで、東電では救済スキームを政府幹部に持ち込んだ。両社の上場を維持することで結果的に損失を回避した。
決算書に目を光らせる役回りなのはともに新日本監査法人。オリンパスの巨額損失隠しを発見できなかった責任が問われかねないタイミングと、東電の“無理な”決算書にお墨付きを与えるタイミングが重なった。
そして政府民主党の大物幹部。オリンパスを上場維持させるよう影響力を行使し、東電問題にも中核的に関与する。しかも新日本にはその幹部とべったりの人物がいる。要は監査法人としての独立性に大いに疑問符が付くのだ。政権が交代でもすれば新日本と民主党の蜜月ぶりをFACTAが明らかにするだろう。
6月27日、東京電力は定時株主総会を開き、株主に決算書の承認などを求める。さすがにだまし絵をシャンシャンと短時間で押し通すことは無理だろう。どんな詭弁を弄するのか。見ものである。