国民新党の軛を逃れた「金融相」

10月20日発売の「FACTA」11月に掲載した連載記事を、編集部のご厚意で転載します。少し古くなってしまいましたが、ご一読下さい。
オリジナルページ FACTA → http://facta.co.jp/article/201211020.html

野田佳彦第3次改造内閣が発足した。1年余りの間に4回も組閣した政権は前代未聞だが、政権基盤の弱い野田首相が命脈を保つために人事権を駆使しているということだろう。いきおい、政策実現よりも、年功序列や論功行賞が目立つ人事となった。野党からは「入閣待望組の在庫一掃セール」(みんなの党渡辺喜美代表)、「思い出づくり内閣」(国民の生活が第一東祥三幹事長)といった痛烈な批判の声が上がった。

そんな中で注目されたのが「金融担当相人事」である。

内閣改造にあたっては、国民新党との連立継続が早々に決まり、閣僚ポストを一つ割り振ることで合意した。野田首相自見庄三郎代表に対して郵政改革担当相を打診、入閣を求めた。ところが、自見氏はこれを拒否、従来どおり金融担当相を兼務することを要求したのだ。

周知の通り、国民新党郵政民営化反対を旗頭にしてきた政党である。郵政改革担当を握ることが彼らのレゾンデートルであったはずだ。ところがそれは表面的な話で、実のところ金融担当相こそが国民新党が喉から手が出るほど欲しいポストだった、というのだ。

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国民新党民主党内閣で首相が代わるたびに金融担当相に固執してきたという。菅直人内閣から野田内閣に代わった際も、それまで金融担当相だった自見氏の入閣自体は早々に決まったものの、ポストは最後までもめた。当時、官邸にいた民主党議員によれば、国民新党側が「金融相」にこだわったためだった、という。

今年6月の改造で松下忠洋氏(9月10日に自殺)が郵政改革兼金融担当相に就いた時も、ひと悶着あった。首相に近い民主党議員によると、野田首相国土交通相を松下氏に提示、松下氏はいったんこれを受けたという。松下氏は旧建設省(現国交省)で砂防部長を務めたOB。古巣への凱旋に大喜びだったそうだ。ところが国民新党に持ち帰ると、自見氏らが金融担当相を手放すことに強く反対、官邸との直談判に及び、人事をひっくり返したという。

そして今回も国民新党は金融担当相に固執した。だが、今度ばかりは野田首相も、国民新党に金融担当相を渡すことを最後まで拒否し続けた。金融担当相が消えると自見氏は入閣自体を辞退、代わりに下地幹郎氏が郵政改革担当相で入閣することが決まった。

金融担当相には民主党中塚一宏議員が就いた。政権交代から3年余り。金融相に民主党議員が就いたのは初めてのことだ。金融にからむ政策をすべて国民新党に「丸投げ」してきた異常事態がようやく解消されたのである。

野田首相国民新党から金融相を奪還した本当の狙いは何か。官僚による表面的な説明は、日本郵政が住宅ローンなどへの参入を申請しており、それを許可する金融庁の担当大臣と郵政担当相は利害相反だ、というもの。あたかも郵政担当相とは日本郵政の利益代表だと言わんばかりの説明だが、これは後講釈だろう。

どうやら本当のところは、金融庁国民新党に愛想を尽かしたということのようだ。国民新党が主導する金融をめぐる政策に金融庁の現場が頭を痛めていたのは事実だ。そんな金融庁から官邸に「もう国民新党だけはご勘弁」という強い働きかけがあったという。

国民新党が主導した政策の代表格が「中小企業等金融円滑化法」いわゆる「金融モラトリアム法」だ。融資を受けている中小企業や、住宅ローンを借りている個人が金融機関に返済負担の軽減を申し入れた際、できる限り貸付条件の変更等を行うよう努めることを求めた法律である。リーマン・ショック後の金融危機への緊急対策として2009年12月に11年3月末までの時限立法として施行された。その後、12年3月末まで1年延長、今年さらに13年3月末まで再延長され、ずるずる延ばしとなった。

この法律で企業倒産が大きく減ったのは事実だ。返済条件を見直すわけだから、倒産が減るのは当然である。一方で借り入れ側にモラルハザード(けじめ喪失)を起こし、金融機関の潜在的不良債権が積み上がっているという批判も根強い。本来なら淘汰されるべき企業が生き残って、経済の活力自体がそがれ、ゆでガエル状態になってしまったという指摘もある。金融庁の現場からも「カネを借りても返さなくていいというムードをつくった法律の副作用は小さくない」という声が聞かれる。

国民新党が金融担当相のポストを続けていれば、来年3月末の期限を再々延長するという話になっていたと思われる。これを金融庁は恐れていたという。金融庁からすれば、返済猶予ももはや限界、ということだったのだろう。

一方、国民新党はなぜそこまで金融担当相ポストにこだわったのか。金融機関の監督権を持つ大臣ポストを握ることで、融資条件の緩和などを求める中小企業が国民新党を支持するからと解説する向きもあるが、そんな漠然とした期待感だけだったのだろうか。

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新たに金融担当相に就いた中塚氏は、議員秘書から新進党自由党の職員を経て議員になったが、野党時代から金融分野を専門領域とし、政権交代後は財務金融委員会の筆頭理事も務めた。野田内閣の成立と同時に内閣府副大臣として金融を担当してきた。官僚たちの評判も悪くない。野党時代から一貫して民主党の金融政策づくりに携わってきたのである。

もともと民主党国民新党では金融を巡る政策は正反対だった。郵政にしても官業が民業を圧迫しないよう、巨大すぎる郵便貯金を圧縮するというのが民主党の本来の政策だった。05年のマニフェストには、郵貯の預け入れ限度額を現行の1千万円から700万円、さらには500万円に引き下げると書いてあった。もちろん国民新党は預け入れ限度額の拡大を掲げてきた。それが国民新党との連立によって反故にされてきた過程も中塚氏は見てきたのである。

民主党政権交代した09年の衆議院議員選挙で、国民新党の得票率は比例で1.73%、小選挙区で1.04%に過ぎなかった。国民の支持を得たとは到底言えない小政党が牛耳ってきた金融行政が今後、修正されていくことになるのだろうか。かつて世界三大市場といわれた東京市場の停滞は一段と深刻さを増し、株価の低迷も続いている。政権交代時に1万円を超えていた日経平均株価は、一度も本格的な上昇過程に入ることなく、いまや9000円を大きく割り込んでいる。“ゆでガエル”の日本の資本市場を立て直すうえでも、金融担当相の手腕が問われる。