司法制度改革は本当に不要なのか? 合格者抑制策でロースクールは崩壊寸前

司法試験合格者数が増え過ぎて弁護士の質が落ちたと言う声が弁護士業界には根強くあります。では、日本の弁護士は多過ぎるのでしょうか。政府は弁護士の数を増やす計画だった司法制度改革を後退させる方針です。本当に日本の司法は「過大」なのでしょうか。日経ビジネスオンラインに書いた原稿です。オリジナルページ→http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20131127/256389/?P=1


 2001年に本格的に始まった司法制度改革では、法曹人口の大幅な増員を目指し、司法試験合格者年間3000人を掲げた。その改革を支える教育システムとして法科大学院ロースクール)が導入されたのだが、それが今、崩壊の危機に直面している。「弁護士が多過ぎる」という声を受け、安倍晋三内閣が司法制度改革の看板を事実上、降ろしたからだ。本当に司法制度改革は不要なのだろうか。

 「弁護士の数が増えるのを恐れているのは既得権益の保持者なのです。行政官僚や政治家、司法官僚、それに弁護士の大半です」

 11月22日。「ロースクールと法曹の未来を語るセミナー」と題された会合で記念講演した新堂幸司・東京大学名誉教授はそう言い切った。

2001年に始まった司法制度改革は方向転換

 このセミナー、民事訴訟法の大家である新堂氏のほか、弁護士の久保利英明氏や岡田和樹氏、斎藤浩氏といった著名な法曹関係者の呼びかけで開かれた。彼らの主張は司法試験の合格者を増やして弁護士を増員すること。そのために法科大学院を強化することである。「合格者を減らせ」という一般的な法曹界の声とはまったく逆だった。

 「数が増え過ぎて、弁護士の質が落ちた」「司法試験に合格しても法律事務所に入れない人がたくさん出ている」

 そんな弁護士業界の一般的な声を受けて、政府は司法制度改革の見直しを進めてきた。安倍晋三内閣は7月16日に関係閣僚会議を開き、これまでの司法制度改革の計画を撤回することを了承した。司法試験合格者については年間3000人を目指すことを取り止め、法科大学院についても自主的な定員削減や統廃合を求めるとした。2001年に始まった司法制度改革は完全に方向転換されたのである。

 そんな改革の後退に危機感を持った法曹関係者が集まったのが冒頭のセミナーだったのである。

 新堂氏が語った演題は「忘れ去られた法曹一元制度」。なぜ弁護士の人数を増やさなければいけないのか、弁護士自身が原点に立ち返って考えよ、と訴えたかったのだろう。82歳と高齢の新堂氏が講演を引き受けるのは珍しいのだという。

 法曹一元制とは、弁護士経験者から裁判官と検察官を任用する制度で、英国や米国などで採用されている。法曹一元によって「ヒラメ裁判官がいなくなる。周りを気にしないで、真に独立して自らの責任を自覚した裁判ができるようになる」と新堂氏は語る。日本のようにすぐに裁判官や検察官として採用されるキャリア制度では、司法官僚として出世するために上司に気に入られようという意識が働いてしまう。つまり、行政組織に従順な、国民の権利をともすると犠牲にする裁判官や検察官が育ってしまうというのである。

法曹一元制の実現に資するはずが・・・

 戦後、日本でも法曹一元制の必要性について議論されてきた。1964年の臨時司法制度調査会では、法曹一元制について、「これが円滑に実現されるならば、我が国においても一つの望ましい制度である」とされた、という。ところが「この制度が実現されるための基盤となる諸条件は、いまだ整備されていない」として実際には導入されず、現行のキャリア制度が続けられることになったという。その「諸条件」とは、弁護士の人数不足だった、というのだ。

 1964年当時、法曹人口は8129人で、裁判官は2000人。余りにも弁護士数が少なかったことが、法曹一元制を不可能にしていたという。それだけに、弁護士が自ら、試験合格者を減らして法曹人口を抑制しろという主張は、新堂氏からすれば「敵に塩を送るようなもの」だというのである。

 司法試験合格者を抑制することは、「弁護士の社会的存在感の増大、政治や行政の怠慢・傲慢・不正などに対して国民を保護することを使命と自覚する弁護士にとっては、戦力の縮小を意味する」と新堂氏は言う。政府の意に従う官僚組織の暴走から国民を守るには、弁護士が力を増す必要があるというのだ。

 2001年末、内閣に司法制度改革推進本部が設置された。翌年3月には司法制度改革推進計画が閣議決定され、「見えやすく、分かりやすく、頼りがいのある司法」を実現することを狙って、2004年には法科大学院がスタートした。従来の司法試験受験者にはなかった知識や経験の持ち主を法曹に招き入れるという狙いもあった。つまり、法学部以外の学部を卒業しても法科大学院に行けば弁護士になれる道を開いたのである。

 2006年に新司法試験が実施され、2007年以降、合格者は年間2000人を超えるようになった。1999年の時点では司法試験合格者は1000人程度だったから、倍増したわけだ。

 ところが2008年のリーマン・ショックで景気が大幅に悪化。M&A(企業の合併・買収)など弁護士の仕事が一気に減少した。そこで巻き起こったのが、弁護士業界からの司法制度改革批判だった。

 「合格者が増えて新人弁護士の質が落ちた」という批判である。要はパイが縮小する中で新規参入をこれ以上増やすな、というわけだ。2010年には合格者3000人計画を真正面から批判する宇都宮健児弁護士が、地方の弁護士会などの支持を得て日弁連会長になった。弁護士会自身が司法制度改革に背を向けたのである。

 法科大学院で学べば基本的に試験に合格できるという設計だったこともあり、発足当初は6万人近くが入学を希望した。ところが、合格率が人工的に抑制された結果、法科大学院を卒業しても試験に受からない人が溢れたことから、2013年の法科大学院希望者は5000人を切るまでになっている。もはや法科大学院は崩壊の危機に直面しているのだ。

 久保利弁護士は、弁護士自身が「食えない」と言っているのは人数が増えたからではないという。「国内の訴訟業務にだけ目を向け、より広範な企業や団体、国民に法的サービスを提供しようとする努力を怠ってきたことに主たる原因がある」と言うのだ。弁護士業界の困難を理由に法科大学院の現状を放置すれば、司法制度改革の根幹が揺らぐと危機感を露わにする。

 2001年以降、司法制度改革が大きく進んだ時、「官から民へ」をキャチフレーズに掲げ改革したのが小泉純一郎内閣だったのは、決して偶然ではない。「官」の役割を小さくするには、肥大化した官僚組織をスリム化しなければならない。だがそうなると、これまで霞が関が「事前規制」として調整していた民間同士の紛争が表面化する。それを事後的に解決するにはインフラとしての司法の拡充が不可欠になるのだ。

弁護士が増えると権限が減る高級官僚

 では、安倍内閣が司法制度改革の見直しを決めたのは、弁護士界の要望に従ったまでの事なのだろうか。

 実は7月16日に改革を撤回するわずか1週間前の7月10日、霞が関から1つの組織が消えた。国家公務員制度改革推進本部。08年に公務員制度改革の工程表を決めた国家公務員制度改革基本法が制定された際に設置されたものだが、その法定期限の5年が満了して解散したのだ。もちろん公務員制度改革が終わったわけではなく、時間切れとなったのだ。

 司法制度改革と公務員制度改革が、時を同じくして頓挫したのは、決して偶然ではないように見える。弁護士を増やせば、法曹一元が実現し、司法官僚の権限が奪われるだけではない。霞が関の事前規制による利害調整も不要になり、官僚たちは大きく権力を削がれることになる。意識してか無意識か。そんな力が働いているように見える。

 集まった法曹人らは、今後、「ロースクールと法曹の未来を創る会」を創設、司法制度改革の継続を働きかけていく、という。代表には久保利弁護士が就任、副代表には岡田弁護士と斎藤弁護士が就くことが決まっている。