政治と経済は真逆の「政冷経熱」という日中関係の実情

引っ越しできない以上、隣人との関係は改善していかなければいけない、というのが多くの日本人の意見ではないでしょうか。日中関係をどうするのか。政治の世界で身動きが取れない以上、民間で関係を緊密化するほかありません。新「政冷経熱」時代でしょうか。
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 日中関係は「氷点下」まで冷却化した――。

中国政府系のシンクタンクである中国社会科学院日本研究所が、3月31日に発表した「2014年版日本青書」で、安倍晋三首相の靖国神社参拝などにより、昨年の日中関係は「国交正常化後、最も緊迫した状態に陥った」と指摘した。

 野田佳彦内閣時の2012年9月11日に日本政府が尖閣諸島魚釣島などを国有化した直後には、中国各都市で反日暴動が相次いだが、その時以上に緊迫しているというのだ。

 確かに、政治外交ではかつてない緊張状態にあるのは間違いない。安倍首相は日中首脳会談の実現を繰り返し呼び掛けているが、中国は「歴史問題の解決が先だ」として、これに応じない姿勢を貫いている。また、同様に靖国参拝従軍慰安婦問題で冷却化が続いている韓国と共同歩調を取り、1909年に伊藤博文を暗殺した安重根の記念館を、中国黒竜江省ハルビン駅に開館した。さらに、習近平国家主席は、3月末にドイツを訪問した際にベルリン市内で講演し、日中戦争で「3500万人の死傷者が出た」、南京事件では旧日本軍が「30万人以上の兵士や民間人を殺害した」とする対日批判を展開した。

 加えて、戦時中の強制徴用労働者の損害賠償請求訴訟を裁判所が受理するなど、政治レベルの日中関係は悪化の懸念こそあれ、改善の兆しは見えてこない。

 では、日中関係はこのままどんどん冷え込んでいくのだろうか。実は、政治の世界の「冷却化」とは違い、民間レベルでは底を脱しつつあるように見える。

昨年から急増した「中国人観光客」

 例えば、中国から日本を訪れる観光客数の減少 は、底を打った感がある 。日本政府観光局(JNTO)の「訪日外客数」統計によると、2012年7月に20万4270人に達した中国からの訪日者数は、同年9月の尖閣諸島国有化をきっかけに激減。11月と12月は5万2000人にまで落ち込んだ。対前年同月比での大幅マイナスは、同年10月から13年8月まで11カ月間も続いたのである。

 その中国人観光客が、昨年末から大幅な増加に転じている。今年1月は15万5700人で去年の2.2倍となり、尖閣問題前である2年前の13万6665人を上回った。また2月も去年より71%多い13万8400人となり、おととしの8万2000人を大きく上回っている。円安による日本旅行ブームは、政治・外交の冷却化にまったくと言ってよいほど影響を受けていないのだ。

 中国人旅行者の急増は、日本国内の消費産業に大きなインパクトを与える。東京・秋葉原の家電量販店や銀座の百貨店に中国人旅行者が大挙して押し寄せる光景は2010年ごろから顕著になったが、その光景が復活しているのである。また、地方の観光地などにも大勢の中国からの旅行者が訪れている。

 中国に進出している日本の大手企業のトップも言う。

「北京政府はともかく、地方政府の幹部に会うと、日本企業にどんどん進出してもらいたいという話ばかり。中央は政治だが、地方は経済運営に必死。日本の協力なしではやっていけないというのが本音だ」

 1990年代に日中関係が冷え込んだ際、しばしば「政冷経熱」と言われたものだ。政治関係は冷え込んでいても、経済関係は熱いという意味だ。どうやら、国交正常化後最も緊迫化していると言われる「政冷」の中にあって、民間ベースの経済はかつてと同様に「熱く」なりつつあるのである。

増大する中国の「対日貿易黒字」

 中国地方政府の 本音は、別の統計数字にもはっきりと表れている。

 財務省の貿易統計によると、2013年の日本から中国への輸出額は、12兆6252億円。前年に比べて9.7% も増えている。11年から12年は10.8%減少していたものが、増加に転じたのである。中国からの輸入額も、13年は17兆6599億円と17.4% も増えた。09年の11兆円を底に増え続け、17兆円はもちろん過去最大である。原油液化天然ガスLNG)を買っている中東諸国全体からの輸入額15兆円を上回り、米国の7兆円の2倍以上。輸出も米国向けとほぼ同額だから、日本にとって重要な貿易相手国であることは間違いない。

 ただし、確かに昨年は 中国からの輸入額は17.4%も増えたが、数量ベースがそれほど増えたわけではない。食料品などは総じて減少傾向だったが、金額では大きく増えた。

 日本から見た中国との間の貿易収支は、5兆円の赤字。つまり支払超過である。もちろん赤字額としても過去最大だ。2010年には3273億円まで赤字幅は 縮小していたが、その後、毎年、赤字が膨らんでいる。逆に言えば、中国の黒字が膨らんでいるわけで、中国にとって、日本は貿易相手としての重要度が増しているとみていいだろう。

過去最高の中国M&A

 一方、 中国向けの直接投資でも、日本は重要な位置を占めている。中国商務部がまとめた統計によると、2013年の世界から中国への投資額は1176 億ドルで、このうちの6割以上は香港からの投資だが、日本は70億6400万ドルとそれに次ぐ規模を誇る。リーマンショックがあった2008年以降も日本の投資額は増え続けてきた。13年は4.3% 減ったが、前の年の伸びが16%増と大きかった反動と見られる。

 最近の中国向け投資の中心はサービス産業で、全体の52%を占める。もともとは 製造業などの進出が先行していたが、今後は、中国の巨大な内需を狙った小売業などサービス産業の進出が拡大すると見られている。

 逆に、 中国から日本への直接投資も増えている。2013年の国際収支ベース(ネット)の対日直接投資額は1億5000万ドルで、9.9%増えた。米国や欧州からの投資に比べればまだまだ規模は小さいものの、2010年以降、差引で投資超過が続いている。

 各種 報道によると、中国の2013年のM&A(企業の合併・買収)総額は、前年比83.6%増の932億300万ドル(約9兆6400億円)と過去最高になったという。中国国外での資源権益の獲得など、外国企業の買収が増えているという。日本企業に対する投資意欲も引き続き強い。中国と日本との関係が政治から経済まですべて凍り付いているわけではないのだ。

容認するほかない「政冷経熱

 もっとも、だからと言って、いまの「政冷」状態のまま膠着状態が続くかどうかは分からない。1990年代の「政冷経熱」時代は、中国サイドもしきりに「政冷経熱」という言葉を用いていた。だが、今回は地方政府がいくら「経熱」だからと言っても、北京がそれを望んでいるのかどうか、今ひとつはっきりしない。

 外務省の高官は、「いろいろ試みてはいるが、しばらく様子を見るしかない」とあきらめ顔だ。中国が歴史問題を執拗に持ち出すのは、安倍首相の靖国神社参拝が大きな理由になっていることは間違いないが、それ以上に、中国側の 「内政問題」が原因だという見方が外務省内には多い。内政問題とは、「人民解放軍」と「地方経済」だという。この2つで高まっている不満のはけ口として「反日」を利用しようとしている、というのだ。国民の目を外に向けさせることで国内の不満を抑えるのは、古来、為政者が取り続けてきた手法だが、習近平主席も同じだという。歴史問題を中国はしきりに国際世論に訴える戦略に出ているが、これも、経済成長鈍化と、不動産などの資産価格の下落に対する国民の不満をかわすためだというのである。

 北京や上海など大都市では、普通の庶民と言っていい人が数軒のマンションを保有している例が珍しくない。不動産価格の上昇が自らの幸せに直結する「構造」が、国民に広く広まっているのである。

 日本ではアベノミクスによって株価が上昇し、経済再生への期待が安倍内閣の高い支持率を支えている。安倍内閣発足以来の「経済最優先」の政策実行が支持されているのだ。靖国神社参拝や集団的自衛権の容認、憲法改正といった“右翼的”と言われる安倍首相の政策志向が高く評価されているわけではない。

 実はこの点、習近平政権も同じである。共産党一党独裁への批判が封じられてきたのも、必ずしも力で押さえてきたものではなく、経済成長によって多くの国民が恩恵を受けてきたからにほかならない。経済運営の失敗は共産党支配の崩壊に直結する。それだけに、経済的に重要な日本との関係を、これ以上「冷却化」「緊迫化」させて経済成長の足を引っ張ることは、何としても避けたいというのが本音ではないか。

 北京政府は好むと好まざるとにかかわらず、日本と政治的な雪解けが簡単にはできない以上、「政冷経熱」を容認していくほかないだろう。