認知症対策は重要な国家戦略だ 安倍内閣でも本腰

高齢化で急速に問題化している認知症。政府も国家戦略を策定することになりました。一方で、もうこれ以上、医療費は増やせないところまで来ています。求められるのは民間の知恵です。
日経ビジネスオンラインに記事を書きました→http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20141120/274088/


認知症を巡る課題について話し合う国際会議が11月5日と6日の両日、東京・六本木で開催された。昨年12月にロンドンで開かれた「G8認知症サミット」のフォローアップ会合で、「新しいケアと予防のモデル」をテーマに、先進各国や国際機関の専門家が熱心な議論を繰り広げた。さらに7日には、認知症対策に向けた民間企業の取り組みに焦点を当てた関連会合も開かれ、対話型ロボットの認知症対策への活用の可能性など、様々な報告がなされた。

 政府主催の国際会議に出席した安倍晋三首相は、「国の認知症施策を加速するため新たな戦略の策定を厚生労働大臣に指示する」と述べ、政府として認知症対策を重要課題に据える姿勢を明確にした。医療や介護分野の支援を中心とする認知症施策の5カ年計画を見直し、国家的課題として新戦略づくりに乗り出すとした。安倍首相として、並々ならぬ意欲を示したわけだ。

 だが、安倍内閣が当初から認知症対策に積極的だったわけではない。昨年の認知症サミットにはG8の8カ国のうち5カ国は大臣が出席したが、日本から参加したのは土屋品子副大臣(当時)で厚労相は不参加だった。認知症対策への意気込みの違いが図らずも露呈した格好になっていたのである。

批判が起こる前に先手打つ

 にもかかわらず、今回の日本でのフォローアップ会合で、安倍首相が対策に強い意欲を示したのには理由がある。もともと認知症サミットはキャメロン英首相の呼びかけでスタートしたが、きっかけはBBCなどメディアが繰り返し認知症問題を取り上げる中で、政府の無策ぶりを批判し、それによって社会のキャメロン政権非難が高まっていたことだった。「政府無策」という批判をかわすための「対策」だったわけだ。

 日本でも同じ事が起きるのではないか――。NHKなど国内大手メディアが積極的に認知症をテーマに取り上げたドキュメンタリーなどを報道しており、日本でも「政府無策」の声が上がる可能性が出ていたのだ。そうした流れに先手を打つ格好で、安倍首相が「国家戦略策定」を打ち出したのである。

 キャメロン首相はサミットを開いた後、世界認知症諮問委員会という実務者を中心とした会合を立ち上げた。そのメンバーに日本学術会議会長などを務めた黒川清氏が日本から唯一加わっている。

 黒川氏は政府が内閣官房に置いている「健康・医療戦略室」で参与を務めており、安倍内閣の健康・医療戦略に影響力を持っている。そうした「政権との近さ」が英国側の目にとまったのだろう。

 黒川氏は菅義偉官房長官や9月の内閣改造厚生労働相に就任した塩崎恭久氏に認知症対策の重要性を訴えており、これが安倍首相の戦略策定指示に結び付いたとみられる。

 黒川氏は塩崎氏にも近い。東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所事故の原因究明に当たる調査委員会を国会に置いた際に、その実現に尽力したのが塩崎氏だった。黒川氏はその「国会事故調」の委員長を務めた。そんな黒川氏が今回の認知症対策の仕掛け人の役回りを果たしたのである。

 政府の会合を受けて7日に開いた民間会議も、黒川氏の発案だった。黒川氏が代表理事を務める日本医療政策機構が主催したのだ。

 黒川氏は医師だが、認知症諮問委員会での主張はユニークだ。急速に進むICT(情報通信技術)やロボット技術を認知症克服に役立てるべきで、そのためには民間の力を大いに活用するのが好ましい、というのである。医療に商売を持ち込むのはけしからん、という批判を気にするよりも、世界で急速に広がる認知症対策に国や政府機関だけでなく、民間企業の力も結集すべきだ、と考えているわけだ。

ロボットの会話が認知症の進展を遅らせる?

 民間会議には、世界初の感情認識ロボット「Pepper(ペッパー)」を開発したソフトバンクの担当者や、ロボットスーツを開発するサイバーダインの社長である山海嘉之・筑波大学大学院教授、本田技術研究所の研究者などのほか、ヤマト運輸ダスキンなどが自社の技術やサービスが認知症対策に貢献する可能性などについてプレゼンを行った。国内外の聴衆が集まり、盛会だった。

 例えば感情認識ロボットで高齢者との会話や簡単なゲームなどを行っていた場合、認知の進展を遅らせることができるのではないか、と見る専門家もいる。

 また、通信サービスを使って高齢者の「見守り」をすることで、町の一定範囲内を安全に出歩けるようにする工夫をすれば、同様に認知症が進まないという見方もある。実証されているものばかりではないが、創意工夫によって認知症の予防や対策に役立てようという意欲が示されていた。

 実はこうした民間の力を生かした対策は、安倍内閣が目指す方向性と一致している。もともと、医療周辺分野への民間技術の活用は、安倍内閣の成長戦略の中にも盛り込まれているのだ。

 今年6月に閣議決定された成長戦略「日本再興戦略 改訂2014」では、「ロボットによる新たな産業革命の実現」や「医療介護のICT(情報通信技術)化」「質の高い新たな医療介護サービスのイノベーション」といった言葉が並んでいる。認知症対策を進めることが新産業の創出につながるという黒川氏の発想は、アベノミクスの成長戦略と符号するわけだ。

 黒川氏の働きかけに安倍内閣はすっかり乗り気になった。厚労相だけでなく首相までが会議に参加、「国家戦略」の策定を大々的に打ち出した。これを新聞やテレビが大きく報道したのである。これによって日本が認知症対策に本腰を入れるという宣言を世界に向かって行ったことになる。

日本を認知症対策のリーダーに

 今後日本がどんな戦略を打ち出すか、各国は固唾をのんで見守っている。というのも、認知症は英国だけでなく高齢化が進む先進国の共通課題になっているからだ。世界保健機関(WHO)の推計では、認知症の人は世界で3600万人にのぼる、2050年には1億人に達するという。

 高齢化は日本が先進国の中で最速のペースで進んでおり、その後を欧州諸国が追いかけている。日本の認知症対策の成果は、いずれ先進各国にも応用できるという共通認識があるのだ。

 しかも認知症による経済損失は計り知れない。日本だけで数兆円規模になるという見方も出始めており、社会的なコストの低減という観点からも、認知症対策が不可欠になっている。

 安倍首相の指示を受けて、厚労省認知症対策の国家戦略をまとめることになる。解散総選挙の影響もあり、当初、見込んだ年内というメドは遅れそうだが、抜本的に戦略を練り直す方針だ。

 既に厚労省が「認知症施策推進5カ年計画(オレンジプラン)」を2013年度からスタートさせているが、これは厚労省所管の医療・介護が中心だった。新しい国家戦略では、これに消費者被害防止や就労支援、社会参加の働きかけ、公共交通の充実など、多くの省庁にまたがる課題を包括的に取りまとめる方針だ。

 これにあわせて厚労省は、2016年度から全国で1万人規模の住民を対象とした健康や生活習慣の追跡調査を実施することを決めた。これによって認知症の実態解明なども進めたい考えだ。

 国際会議の場では、認知症対策に向けた予算確保など、財源問題を指摘する声も多かった。社会保障関連支出が増大して財政赤字が拡大する中で、国が認知症対策ですべての役割を担うのは難しい。こうした点から黒川氏らが提唱する民間の知恵や技術、資金を生かした対策の具体化が求められることになりそうだ。