殺処分“ゼロ”で町おこし 「いのちをいつくしむ」高原(広島県神石高原町)

月刊ウェッジに連載している「地域おこしのキーワード」。今回は日本有数のNPOであるピースウインズジャパンが広島で始めた取り組みを取り上げました。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4980

Wedge (ウェッジ) 2015年 5月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2015年 5月号 [雑誌]

イラクアフガニスタンなどでの人道支援を行うNPO特定非営利活動法人)が、広島の山の中で町おこしを始めた。

 福山駅から車で1時間ほど。標高500メートルほどのところにある神石高原町に今年7月4日、「神石高原ティアガルテン」がグランド・オープンする。町が運営していた体験施設「仙養ヶ原ふれあいの里」を見直し、民間の力で再生するPFIプライベート・ファイナンス・イニシアティブ)事業として取り組む。中心になっているのが難民キャンプの支援などを行ってきたピースウィンズ・ジャパン(PWJ)だ。

 人道支援の団体がなぜ町おこしなのか。ティアガルテンのコンセプトは「いのちを体感し、いつくしむ場所」。動物や植物、自然、人とのふれあいを通じて、すべてのものの「いのち」の尊さを体感し、難民の生活にも思いをはせてもらおうというのだ。

公園の奥で目を引くのが広大なドッグラン。柵で囲ったいくつもの広場があり、犬が自由に走り回っている。規模は西日本最大だ。周囲の犬舎には、すんでのところで殺処分を逃れた保護犬が200頭あまり。広島県は捨て犬の殺処分頭数が全国最悪だったという不名誉な記録を持つが、これをゼロにする計画を立てている。

 「ふるさと納税」の仕組みを活用、神石高原町にPWJを指定して寄付すると、この「犬の殺処分ゼロ」プロジェクトに95%が充てられる仕組みを整えた。実質的な負担をほとんどしないでも「支援」できるようにしたのだ。

 この犬舎からスターが誕生した。雑種の夢之丞(ゆめのすけ)。県の動物愛護センターでガス室に送られる寸前でPWJに保護された。最初は怯えて人に近づかなかったが、災害救助犬として訓練され、昨年夏の広島土砂災害の現場にレスキューチームの一員として加わり、行方不明者2人を発見するまでになった。

みんなで創るというコンセプト

 ティアガルテンを軌道に乗せるカギは、いかにリピーターを増やすかにかかっている。そこで考えたのがもうひとつのコンセプト、「みんなで創る」である。開園前から有志を募って植栽の植え付けなどを行っている。また、園内の立木を利用して本物のツリーハウスを造ってもらうワークショップも始まる。親子で何度も参加して少しづつ作り上げていく「作品」は、将来にわたってティアガルテンに残る。

さらにオリジナル商品を開発してティアガルテンやネット通販で販売することも考えている。ティアガルテンで働く職員はデニムのオーバーオールの制服を着る予定だが、実は備後地方は日本のデニムの9割方の生産や販売に関与しているという。そんな地元の素材を使った「制服」も、オリジナル商品として販売してしまう計画だ。

「神石高原はすばらしいところなのですが、町おこしをやる条件としては非常に厳しい。ここで成功すれば日本全国どこでもできる。神石高原をモデルケースにしたいんです」とPWJ代表の大西健丞氏は語る。

 実は、大西氏はふらっと訪れた神石高原町に惚れ込み、2010年に奥さんと共に移住。その後、東日本大震災もあってPWJの本部も町内に移した。移住して地元の人たちと親しくなる中で、ティアガルテンの話が持ち上がった。仙養ヶ原の組合の幹部だった河相昇氏と意気投合、地元の説得などは河相氏が一手に引き受けた。人口が1万人を切った神石高原町の町民の間にも、「このままでは地域経済が崩壊してしまう」という危機感があったのだ。

ところがプロジェクトが動き出した段階で、河相氏が急死してしまう。もはやこれまでと思ったところ、子息の河相道夫氏が父の遺志を継いで参画することになった。PWJと地元が共同出資して作った株式会社神石高原ティアガルテン代表取締役に就任した。「もちろん計画に難色を示す人たちもいましたが、形が見えてくるにつれ反対の声はなくなってきました」と河相氏。

 ティアガルテンは構想から2年もたたずにオープンにこぎつけたが、その原動力となったのが、大西氏の幅広い人脈だ。

 ティアガルテンの牛を管理するのが相馬行胤(みちたね)氏。相馬野馬追で有名な、福島の旧相馬中村藩主家の34代目の当主に当たる。もともと相馬市で農業などを営んでいたが、東京電力福島第一原子力発電所の事故で途方に暮れていたところ、大西氏に出会う。話がとんとん拍子に進んで13年に神石高原に移住した。相馬氏は「カシワダイリンクス」という会社を設立、地元の有力企業である常石造船の協力を得て広大な土地で乳牛の飼育に乗り出した。

ティアガルテン全体のデザインを請け負った荒木洋氏は大西氏とは小学校からの同級生。資金調達の仕組みづくりやプログラム作成に携わるイノウエヨシオ氏や鵜尾雅隆氏はNPOなどの資金調達を支援するファンドレイジングの専門家。浅妻信弘氏は東京ディズニーランドイクスピアリの社長だった人物だ。

 人道支援の資金援助を依頼する過程で培った企業との関係も生きている。大西氏を長年支えてきた新浪剛史・元ローソン会長(現・サントリー社長)の肝いりで、子会社のローソン・ファームがこのプロジェクトを支援しているのだ。

 山間地など限界的な地域の場合、民間業者だけが「事業」として採算を取ることは簡単ではない。かといって地方自治体にもそれを支える予算がなくなってきた。そんな中で切り札となるのが「寄付」だと大西氏は考えている。企業の社会貢献事業や、個々人の善意を集めることで、何とか採算点にまでもっていく。神石高原で成功すれば日本中どこでもできる、という意味はそこにある。

 イラクなどで砲弾の下をかいくぐってきた大西氏からすれば、なかなか現場に出てゆけない政府に代わって地に足の付いた活動をするのがNPOだという自負があるに違いない。日本の様々な地域で、国や市町村が支えられなくなっている事業を、代わって担うのもNPOの大きな役割ということだろう。