世界スカウトジャンボリーを訪れた皇太子殿下と ボーイスカウトの知られざるご関係

宮内庁関係者でもほとんど知る人がいなくなった皇太子殿下とボーイスカウトの交流について書きました。WEDGE infinity に掲載された拙稿です。オリジナルページ→http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5239?page=1

山口県きらら浜の第23回世界スカウトジャンボリー会場にて
2015年08月06日(Thu)  磯山友幸 (経済ジャーナリスト)

 山口県山口市阿知須のきらら浜で開かれている「第23回世界スカウトジャンボリー(23WSJ)」の会場を8月2日、皇太子殿下が訪れた。世界スカウトジャンボリーは、4年ごとに中高生年代のスカウトと指導者が世界中から集まるキャンプ大会。今回は7月28日から8月8日までの12日間、158の国と地域から集まった3万3000人を超す参加者が野外生活をしながら、様々な交流プログラムを行っている。

 会場を訪れた皇太子殿下は、色とりどりのテントが張られたキャンプサイトを訪れ、スカウトたちを激励されたほか、各国のスカウト活動を展示したテントなどをご覧になった。また、大会期間中最大のイベントである「アリーナショー」でお言葉を述べられた。

 「私自身、日本ジャンボリーに1978年以来、毎回参加してきたほか、1982年と1986年のジャンボリーでは野外料理やテント生活を体験しました。私が非常に大事にしている、その素晴らしく、忘れられない思い出は、今も深く心に染み込んでいます」

 そう皇太子殿下ご自身が英語で語られているように、殿下とボーイスカウトの交流の歴史は長い。殿下ご自身がスカウト関係者に語られたお話によると、学習院の初等科に通われていたころ、学校内のイベントで学習院ボーイスカウト「東京21団(現・豊島1団)」が丸太とロープでモンキー・ブリッジを作り、子供たちを渡らせていたのだという。これをご覧になったのがボーイスカウトとの「出会い」だったそうだ。

 1978年に御殿場で行われた日本ジャンボリーには当時の皇太子(今の天皇陛下)ご一家がおそろいで参加された。82年に南蔵王で行われた8回大会では、皇太子殿下が代表スカウトたちとキャンプ生活を送られ、実際にテントで1泊されている。この実現を強く望まれたのは、同世代のスカウトたちとの交流を考えられた今の天皇陛下だったという。

 ジャンボリー会場の一角で、3人の指導者と全国から選ばれた13人のスカウトと共に、キャンプ生活を経験された。夕食を一緒にとられた後、キャンプ・ファイアーを体験され、夜は2人のスカウトと共にテントで就寝された。「一般のボーイスカウトが行っていたキャンプ生活の一端を、できる限り味わっていただこうと考えた」とその際に隊長を務めた杉原正・ボーイスカウト日本連盟先達はのちに語っている。

 よほど強く印象に残ったキャンプだったのだろう。翌83年4月には東京・赤坂にある東宮御所の庭で、同じメンバーによる1泊2日のキャンプが行われたという。来賓用ではない、ボーイスカウト流の本物のキャンプを体験したいというご希望で、テント張りから料理づくり、皿洗いまでを経験されたという。
 2日目のお昼には、皇太子ご夫妻(現在の天皇皇后両陛下)と礼宮殿下(現在の秋篠宮殿下)もキャンプサイトを訪れ、浩宮殿下(現・皇太子殿下)とスカウトたちが作ったカレーライスを召し上がられたそうだ。

 当時の曽我剛・東宮侍従がこの時のスカウトたちメンバーのグループに、殿下のお印の「梓(あずさ)にちなんで「梓友隊」(しゆうたい)と命名。その後も交流が続いているという。

 1986年の日本ジャンボリーでは別の代表スカウトたちとのキャンプ生活も経験されたほか、その後のジャンボリーも欠かさず参加されている。 

 2010年に皇太子殿下がケニアを公式訪問された際には、ニィエリ市にあるホテル・アウトスパンに立ち寄られた。実はこのホテルの敷地内には、スカウト運動の創始者だったベーデン=パウエル卿(B-P)が終の棲家としたコテージ「パックス・トゥ(Paxtu)」があるほか、B-Pと妻オレブ・ベーデン=パウエルの墓所もある。熱心なボーイスカウトでも中々訪ねることができないスカウトの「聖地」だ。

 公表されている公式日程にはコテージを訪ねた事実は記載されておらず、スカウト関係者も長年それを知らなかったそうだが、梓友隊のメンバーに会われた際に、殿下ご自身から「B-P のコテージに行ってきました」と明かされたという。

 英国に行かれた際には、B-Pが1907年に20人のスカウトたちと最初の実験キャンプを行ったブラウンシー島も、殿下自身のご希望で訪問されている、という噂がボーイスカウト関係者の間には流れているが、まだ公式には確認されていないという。

 実は、皇太子殿下との交流以前から、ボーイスカウトと皇室の関係は非常に太い。

 1921年に訪英した昭和天皇(当時は皇太子)が、ロンドンでB-Pを謁見。その際、英国ボーイスカウトの最高功労章である「シルバーウルフ章」の献上を受けられている。

 ボーイスカウト運動はそれ以前から日本に伝わり、全国に団ができ始めていたが、正式にスカウトの国際組織に加盟したのは、昭和天皇のB-P謁見の翌年の1922年。昭和天皇はのちに、「日本にボーイスカウトを伝えたのは私です」とスカウト関係者に仰っていたと伝わっている。その頃からボーイスカウト草創の頃から皇室との関係が始まっていたのだ。英国をはじめ世界の王室もボーイスカウトとの関係が深いことから、皇室とスカウト運動の関係は特別なものがあるのだ。

 今回の世界スカウトジャンボリーには、ボーイスカウト運動発祥の地である英国からは4000人を超すスカウトと指導者による大派遣団が来日した。会場を訪れた殿下は英国隊のキャンプサイトを訪問された。

 そのサイトには、前回、44年前の1971年に静岡県朝霧高原で開催された「13回世界スカウトジャンボリー」の写真や参加記章などが展示されていた。その写真には当時の皇太子殿下ご夫妻(現在の天皇皇后両陛下)のお姿が残っていた。その写真を皇太子殿下がご覧になったかどうかは、まだ確認できていないという。

オリジナルページの写真撮影:生津勝隆